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(雑文)だらだらつづり宣言(とその訳)

名称未設定のアートワーク

 そこまでカチッとした文章が書けるかは怪しいものの、最低限のマナーでメールやりとりをしたり、制作活動の中でステートメント(作家としての志、私はこんな事大切にしていますよという声明文)やコンセプト(作品に込めた想い)を書かざるを得ない状況においこまれると、やっぱりそういう体裁で書こうとしますし、ある程度はそれっぽく書けはするわけです。形式をつかめばあとは慣れですし。

 形式にどっぷりのっかって書くのは余計な事考えなくて楽ではあるものの、日常的に形式依存な文章と、もっと簡略化されていてスタンプや絵文字も絡み合うカジュアルメッセージのやりとりだけだと、「いざ」って時に自分の言葉ってなかなか出てこないわけです。あきらかに硬直している。

 硬直していても生活に大きな支障はないので生きてはいけます。のびのび大らかな文章が書けても形式的な文章が書けないと世の中的には「差し障りあり」だったり。

 とはいえ「いざ」って時つうのは「たびたび」くらいの頻度で襲いかかってくるわけでのんきに構えているとヤられてしまうなというのが最近の所感。なのでここらでだらだらつづりを宣言したいなという所見。

 何でもむき出しで素のものを出せばいいってわけではないけれど、そこそこの文章量をある程度だらだらっと出し続けてほぐしておかないと、いざって時に固まって使い物にならないなと思い、ここでは少し鬱陶しいくらいのだらだらさを軸に書いていこうかなと。ほぐれた文章を素材にタイム・プレイス・オケージョンに合うよう体裁を整えるのはそこまで難しくないのですし(私の場合はです)。むしろ編集作業や言葉の言い換え("パラフレーズ"っていうとかっこよさ増します)は結構好きだったりします。

 その逆、硬い文をほぐす作業はほんとつらいし大変。ほぐすにつれて体積減ったり真ん中が空洞になったりするため、粘土みたいに硬くなってもこねればOKとはいかないのですね。だらだら→かっちりは自分の中で創作的な作業だけど、かっちり→だらだらは創作というより赤ペン入れみたいで業務的。でもこれはみんながみんなそう感じるわけではなさそうだし、かっちり→だらだらが性に合う人もいるような気もします。

 だら→かちで変換作業も良いけれど形式的なビジネス文章なんかは、短歌や俳句の変種と捉えて絶対に外せないルールの元に文章を構築して、そこに遊びを入れるものだと捉えると楽しいのではないでしょうか。制約(ビジネスルール)を知らなきゃあそべないので、ちと面倒ですし相応の教養を求められるわけです。そこがまた何とも歯ごたえあって遊びごたえがありです。

 一方でステートメントやコンセプトのような自分の主義主張が表に出てくるけれどそれなりに体裁を求められる文章の場合。例えば品行方正な人間が真摯に用いた言葉が結果として礼儀良く並ぶのであれば、何も差し障りないと思います。私の場合はですが方正気取ってステートメント・コンセプトぶって書くと読み返した時に「うげー、なんだこのおべんちゃら」となるようななかなか心地の悪い文がうまれてしまうわけです。どうやら自分にとっての自然体な文章はそこまでかっちり真面目でもない。さりとて大きく不真面目ではなくその「中間域」に潜んでいるようなのです。だらだら→かっちりという一方向での変換作業だけではない言葉の探り方が求められるわけですね。何度も書きますが、あくまでわたしの場合。

 だらだらと決意を表明し、だらだらとその訳を言い垂らしました。だらだら書くと言いつつ、だらだらなりの体裁を整えて投稿します。時々だらだらしない投稿があった時は、その裏に一度だらだらさせつづけた「見えない努力」が潜んでいる事に想像を膨らませてお読み下さいませ。それから添える絵も文章に合わせて弛緩していくと思われます。

#だらだら #エッセイ

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