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(制作の中で)「納得いく絵」 と 「好きになれる絵」

絵を描いている最中に、昔描いた絵や、好きな作家さんの絵が頭を横切る事がときどきあります。

先日、制作中にひさびさの「横切り」に遭遇。これ、私にとって良くない時の兆候だったりします。
過去作の整合性〜、リスペクト精神〜といったイメージに付随した言葉まで浮かんできちゃいます。そういった戯言も含めて、これは目の前にある絵と対峙できていない証拠。

抜け出すには、邪な想いが横切った事実を認め、一旦落ち着き、もう一度絵と向き合う他ありません。
「納得いく絵」を求めようとせず、「自分が好きになれる絵」を目指すように軌道修正し、何とか脱出しました。トップ画像が、その時に描いた絵(の部分)。

私の中で、「納得いく絵」と「自分が好きになれる絵」はちょっと違います。自惚れしすぎるのは良くないものの、「納得いく絵」を求めすぎるのもまた不健全です(最近になってようやく気付きました)。
「納得いく絵」を目指すと「自分の中にある、他人の物差し」を使って作品とにらめっこする事になります。要は客観的(に立とうとする)視点ですね。

もちろん、他人物差しが必要な場面もあります(自己愛が強すぎるあまり、空虚な作品になってしまう事も、ままあるので......)。
しかし、絵を前にして別の絵が頭をよぎるような、気持ちがふわついている時は、他人物差しに偏りすぎて、作品への想いが欠けている証拠です。

そんな時に「何だか納得いかないけれど、まあ好きにはなれるかな」という気持ちに軌道修正し着地を試みる事は、勇気がいります。
それでも、歪に狂ってしまった物差しに身を委ね「納得」してしまうよりも、よっぽど健全。
私の場合、健全でさえあれば、また次の作品にとりかかれます。

つまるところ、気持ちのバランスが重要なわけです。

......といった「いっぱし風自己分析」こそ、ほどほどにしておかないと、今度は「眼高手低」に陥ります。いやはや気をつけねば。



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