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北海道遺産シリーズ(27)~留萌のニシン街道(再掲)

北海道にも歴史があります。そんな歴史をたどり、未来へ紡いでいく北海道民の宝物。そんな北海道遺産を自身の足(車)で巡り紹介しようと思います。なお、記事作成にあたって、『北海道遺産 完全ガイド』(北海道新聞社)を参考にさせてもらいました。

留萌のニシン街道

北海道の日本海側に位置する留萌市は、かつてのニシン漁で栄えた歴史を持つ街です。江戸時代の半ば以降、留萌を含む多くの沿岸地域では、豊富なニシン漁によって大いに繁栄しました。ここでは、留萌のニシン街道と、その象徴ともいえる「鰊番屋」について詳しく紹介します。

ニシン街道とは?

ニシン街道は、北海道の沿岸部を走る道の一部で、かつてのニシン漁の拠点を結ぶ道です。ニシン漁は、北海道の経済と文化に大きな影響を与え、多くの漁師や商人がこの道を利用して繁栄を築きました。特に、留萌市や江差町、小樽市、増毛町などは、ニシン漁で有名な地域として知られています。

ニシン漁の歴史

ニシン漁は、江戸時代の中期から明治時代にかけて北海道の主要な産業の一つでした。漁業活動は冬から春にかけて行われ、多くの漁師が沿岸に集まりました。ニシン漁は地域経済を支える柱となり、多くの人々がこの産業に従事しました。

鰊番屋

「鰊番屋」とは、ニシン漁の作業小屋のことを指し、漁師たちが漁業活動を行うための重要な拠点でした。留萌には、現在もいくつかの鰊番屋が現存しています。その中でも最も有名なのが「旧花田家番屋」です。

旧花田家番屋

旧花田家番屋は、留萌郡小平町に位置し、国道沿いの道の駅おびらの近くにあります。この番屋は明治38年(1905年)頃に建てられ、現在もその壮大な木造建築が見学可能です(有料)。建物は非常に大きく、当時のニシン漁の繁栄を物語っています。訪れると、その迫力に圧倒されることでしょう。


壮大な木造建築


レストランなども入っています
留萌のニシン街道が北海道産なんですが、小平町が主役

他の鰊番屋

旧花田家番屋以外にも、留萌市内には「旧佐賀家番屋」があり、かつて苫前町には「岡田家番屋」が存在しました。岡田家番屋は2014年に解体されましたが、これらの鰊番屋は歴史的価値が高く、見ることができたなら、写真に収めておく価値があります。


まとめ

留萌のニシン街道は、かつての繁栄を偲ばせる歴史的な道です。旧花田家番屋や旧佐賀家番屋など、現存する鰊番屋を訪れることで、当時のニシン漁の活気を感じることができます。


にしん文化歴史公園

道の駅おびらの向かいにある、にしん文化歴史公園には、あの「松浦武四郎」さんの銅像があります。

本記事ですが、「北海道遺産シリーズ(3)~天塩川、留萌のニシン街道」から記事内容を増加させての再投稿となります。番号と紹介した北海道遺産の数が、一つずれてしまっているために合わせることにしました。ご了承いただければと思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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