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044『元型論』(04)-無意識と対決する

 042『元型論』(02)043『元型論』(03)で「能動的創造」という手法を紹介した。これは集合的無意識及び個人的無意識と自我を結合して変容に近づけるユング心理学派の奥義であると言えよう。私が長年探してきたもの!

 集合的無意識について最初に研究を始めたCGユングも結合、変容に導く方法を編み出し使っていたことは今年の後半になって知ることとなった。それが「能動的創造(Active Imagination)」である。

 警告しておくが、生半可な気持ちの人や経験の浅い人は知りもしない方が良い。勝手なことを言うが、この文章を読まない方が良い!集合的無意識の中には邪悪な意識も含まれている。そうした意識に遭遇した場合に精神的健康を損なったり、その他の悪影響については一切保証は致しかねるのでご留意のこと。哲学者のあのニーチェも例外ではなかった。

 ユングの弟子であるバーバラ・ハナー女史(1891~1986)の著書の実質紹介になる。ユング自身の著書は何を言いたいのか非常に分かりにくい。女史の説明を読むとユングが何を言わんとしていたのか分かり易い。だから、女史の著書とユングの原典と比較することで理解が深まる点は良い。

第1章 無意識と対決する

 能動的創造とは 意識と無意識が対峙して、互いに折り合っていくための技法である。ユングは古くからあるこの意識と無意識の対話法を、ほかならぬ自身の経験を通して再発見したのであった。その特徴は、対立しあうものを統合して、心の全体性を回復させようとする点にある。無意識との対決は決して生易しいものではないが、その効果は強くそして深い。

能動的創造の発見
CGユングの心理学になじみのない読者に対して最初にはっきりさせておきたい点は、 私たちが自分自身について知っていることが自分と言う物の全てではない、と言うことである。少し注意して自分や自分に起こることを観察してみれば、日々の生活の中でもそれがわかる。私たちはどうしても乗り遅れまいと思っていた列車に乗り遅れてしまうのだろうか。 どうしてことさらに愛着のあるものをなくしたり壊したりしてしまうのだろうか。どうして深く後悔するような言動を次々にしでかしてしまうのだろうか。どうしてわけもなく滅入った気分で目覚めるのだろうか。かと思えば、それまで考えていた以上の素晴らしい言動をして、我ながら驚いたり、思い当たる節もないのに元気な自分で目覚めたりもする。これは一体どうしたことだろうか。

 こうした3つの側面の存在に気づいてしまった場合、理屈では納得がいかない。だから、この未知なるものについては、自分で何かを見出していくことが1番重要になってくる。 ユングが「能動的創造」 と呼ぶテクニックを発見したのは、他でもない。彼自身がそうした仕事−ヘラクレスの功業に匹敵するマイナスに専念していたときのことであった。そしてこれが本書の主題なのである。

自分の中にある未知なるもの
 今、私は極めて慎重に、発見したと述べた。発明した、ではない。というのも能動的創造は、神や神々のことを知るために、少なくとも歴史の黎明期から用いられてきた瞑想の一形態だからである。換言すれば、それは未知なるものを探索する方法なのだ。その道のあるもののことを、外在する神−計り知れぬ限りなきもの−と考えているにせよ、瞑想しさえすれば完全に内的な経験の中で出逢えると思っているにせよ、である。 キリストが言ったように、「天の王国はあなた方の中にある」のであり、どこか外部、天空の彼方にあるわけではない。

 東洋人はこの心理を私たちよりもはるかによく知っている。彼らは宇宙的なアートマンと個人的なアートマンを同一のものとして語る。そしてプルシャに関しては、一人ひとりの心臓に住む小さなものであるにもかかわらず、宇宙を包むものをやって、「上よりも小さく太よりも大きい」と言っている。 かつては西洋世界でも、 小宇宙、大宇宙と言う言葉は、一般に同様の意味合いで考えられていた。

 もちろん夢は、特別に優れた無意識からのMessengerである。しかし象徴的言語でできているため、理解するのが大変難しい。自分の夢についてはことにそうだろう。夢はいつも私たちが知らない何かを語るし、その何かは大抵の場合、私たちにとってこの上なく意外なことである。日本語はフロイトと袂をわかって1人無意識と向き合った時、多くの夢を見た。 その意味が本当に明らかになったのは、何年も後のことである。

無意識と向きあうこと
 ユングははじめ、 フロイト派のやり方で夢解釈を試みていた。それによると、 夢は眠りを守る検閲のために理解不能となった願望充足である。安直にそう説明されていた。その頃の彼は、分析の終わった感情は「夢を理解することによって」無意識と良い接触が持てると、信じていた。当時の心理学者は皆そう思っていたのである。しかし ユングはこの方法の不適切さを悟り、研究を余儀なくされた。彼自身、理解できないゆえに随分と突き当たったからである。彼はその時のことをこう述べている。当時、患者の援助に支えたものと言えば、「その価値が疑わしい、偏見に満ちた理論」のみだった。「この考え---私が(新たなやり方で自分自身を探求すると言う)危険な企てに身を任せているのは、自分1人のためではなく、患者たちのためでもあるということを---のおかげで、私は何度も危機的な局面を切り抜けることができた」のだ、と。

 予備知識のない読者には、自分の中の知られざるものに向き合うことがなぜ「危険な企て」なのか、理解しがたいかもしれない。意識の世界のなじみある出来事に心を向けて、無意識の世界の全く未知なるもの方を向くこと。 これがいかに恐ろしい企てであるか教えてくれるのは、ただ経験のみである。初めての時は戦慄したのだった。自分の見たり聞いたりするヴィジョンが、ブルグヘルツリ精神病院の患者を苦しめているファンタジーに酷似していると気づいたからである。 最初彼は、自分もまたそうしたビジョンに圧倒されてしまうのではないかと恐れた。そして何か月もの間、眼前にぶら下がった発狂の恐怖と共に過ごした。この状態を引き起こしたのは、ヨーロッパの大部分が昨日海に沈むと言う反復性のビジョンであった。 そして1914年8月に戦争が勃発(木の海に沈んだ国々を全て巻き込んでいた)して初めて、 1913年のビジョンが第一次世界大戦を予告していたものと分かり、自分の心の問題とは無関係だと知ったのである。

 彼は狂気に陥るかもしれないと言う恐ろしい悪夢から解放され、ビジョンの内容に対して冷静かつ客観的に向き合えるようになった。それによって、フロイト、アドラー両者が既に充分知っていた個人的無意識ばかりではなく、その背後にある集合的無意識を経験的に発見した。諸元型や無限の可能性ともども発見したのである。 この内的世界は外的世界と全く同じ位にリアルである。 外的世界に馴染みがあるのは当然だが、実は 内的世界の方がもっとリアルなのだ。というのも、内的世界が無限かつ永続的であり、外的世界で普段に生ずるような変化や崩壊がないからである。実際、 1910余年以前を知っている人からすれば、現在の外的世界の有り様はあまりにも大きく変貌していて、まるっきり別のものがように見える。

無意識に圧倒されることへの恐怖
 ユングはかつて私に語った。無意識そのものは危険ではない。本当の危険はたった1つ、無意識を恐れるあまりにパニックに陥ってしまうことだ、もちろんそれは極めて深刻な事態があるから、と。人が全く予想だにしなかったものに直面したり、意識の世界の足場を失いそうに思ったりした時、その恐怖がひどい混乱を引き起こすことがある。だから、この仕事に乗り出す人がほとんどいなくても驚くには当たらない。 何であれ試みてみると言うのが最も賢明だが、まずその前に、外的世界にしっかりと根を張るうまくやれている必要がある。ユングは「無意識との対決」を自らの仕事として引き受けたが、その時すでに結婚していて数人の子供があり、ご飯に自宅と庭園を所有していた。職業上も稀に見る成功を収めていたのである。 このことは忘れてはいけない。彼は『思い出・夢・思想』の中で次のように指摘している。 ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』を書いたときに同様の旅に出たのだったが、 外的世界に根も責務もなかったため1枚の木の葉のごとくに吹き飛ばされてしまったのだ、と。

 未知のものへと向かうこの旅に際して私たちを怖じ気づかせ、それを本当に「危険な企て」にしてしまう恐怖。それは無意識の内容に圧倒されてしまうことへの恐怖である。無意識の内容それ自体は危険なものではない。それは、外的世界の内容が危険でないのと同様である。外的世界で会話をする場合でも、難しい話であれば動揺することがあろう。怖気づかなければなければ容易になんとかできたはずなのに、である。私たちが 無意識に向き合う時にも、自分にとって未知のものであるが故に、その驚くべき成り行きに動揺すると言うことが起こり得る。アクティブマネージメントと言う方法は、適切に用いるならば、私たちのバランスを保ったり、未知のものを探求したりするのに大いに役立つ。それは困難な仕事を科学的に行う1つの実例である。

 能動的創造が難しい仕事だと言う事は、特に知っておかねばならない。おそらくこれ以上に大変な仕事はないと思う。それを引き受けるのは、心の中の道のあるものを全てと交渉を開くためである。心の全体的な安らぎはこうした交渉にかかっている。この交渉がなければ、私たちは永久に意識と無意識に分断されたまま、訳も分からずに苦しみ、極めて不安定な状態でいなければならない。 なぜなら、私たちの中の光のあるものが普段に私たち自身と対立しているからである。しかし『心理学と錬金術』で

ユングが書いているように、「無意識のつけている仮面は固定的なものでないことがわかっている。それは私たちが向ける顔を反映するのだ。敵を持ってみれば脅かすものになるし、親しみを持ってみれば優しいものになる」。

対立するものを受け入れる
 無意識はたくさんの個人的性質を持っているが、さらに多くの個人的性質を備えている。だからこそ、今述べたような考えに馴染むことが最も大切なのである。私たちの方はそういう非個人的な部分を知らないが、それはいつも私たちに何かを強いている。 この動かしがたい事実に気づいたならば---できれば自らの経験に基づいているのが望ましいが---それと疎遠でいるなど、実際ばかばかしいではないか。 もし私たちが、自分では選ぶはずのなかった連れと共に生きなければならないとしたら、敵対的な顔より親しげな顔を向けるほうがずっと円滑に行くに決まっている。

私はある賢明な女性が語ってくれたことを思い出す。 彼女は前々から訪れたかった国々を巡る長い旅に出た。ところが途中で全く気の合わない女性と相部屋になることを強いられ、全てが台無しになりかけた。 だが彼女は、嫌いなものが邪魔するに任せておいたら人生で最良の時間の1つが無駄になってしまう、と気づいたのである。そこで、相性の悪い連れを受け入れてみようと試みた。否定的な感情やその女性自身に振り回されるようにし、反対に等しく親切にしてみたのである。このやり方は驚くべき効果を発揮し彼女は大いに旅行を楽しむことができた。

自我の好みに合わず、極めて相性が悪そうな無意識からの商用車についても、ちょうど同じことが言える。それに憤っていると、人生と言う旅は台無しになってしまう。しかしありのままに受け入れて仲良くすれば、大抵そんなに悪いものではないとわかるし少なくとも敵意を被る事は無い。

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冒頭に警告文を入れたことがお分かりいただけよう。あの哲学者のニーチェでさえ集合的無意識と対峙して自我を失い精神的な病を患ってしまった。
 
しかし、一方で、対立するものを受け入れることができれば、世界大戦を避けることもできるとユングはいっている。家族、会社、コミュニティの中での揉め事や紛争の鎮火のヒントにもなるはず。これは、次回以降で紹介する。

今回はここまで。

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参考文献[10] 能動的創造の世界ー内なる魂との出逢い バーバラ・ハナー 創元社 ISBN4-422-11244-9

参考文献[9]心と身体のあいだ 老松克博著 大阪大学出版局 ISBN978-4-87259-449-2

参考文献[8] 『ユング心理学入門』https://amzn.asia/d/0gCq7JP9

参考文献[7] <ミヒャエル・エンデ『モモ』 2020年8月 (NHK100分de名著) ムック – 2020/7/22>https://amzn.asia/d/0cuD1g7M

参考文献[6]『ユング――魂の現実性(リアリティー) (岩波現代文庫)』https://amzn.asia/d/cUEvxPS

参考文献[5] 『元型論』https://amzn.asia/d/eyGjgdX

参考文献[4] ユングのタイプ論に関する研究: 「こころの羅針盤」としての現代的意義 (箱庭療法学モノグラフ第21巻) https://amzn.asia/d/aAROzTI

参考文献[3] 『タイプ論』https://amzn.asia/d/2t5symt

参考文献[2] MBTIタイプ入門 タイプダイナミクスとタイプ発達編https://amzn.asia/d/70n8tG2

参考文献[1] MBTIタイプ入門(第6版)https://amzn.asia/d/gYIF9uL

背景画像:原案:経営を語るユング研究者 小河節生。
     作画:ChatGTP4o。
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こころざし創研 代表

「コーチやめました」
経営を語るユング研究者 小河節生

E-mail: info@teal-coach.com
URL: 工事中
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