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語ることへのためらい

去年の今頃は故郷である宮崎のピアサポーターに声をかけて、あいりきを実施したあと家族4人で観光したり両親の誕生日を祝ったりと賑やかな日々を過ごしていた。
たった1年前だけどものすごーく前のことに感じるのは充実しているからなんだろうな。
その後リカバリーフォーラムに登壇したり全国ピアスタッフの集いに登壇したりとピアサポーターとしての活動が多かったことも大きい。
それに伴ってわしは最近、悩んでいることがある。
ピアサポーターとして活動する上でリカバリーストーリーを語ることはセットみたいなものだけど、
ここ最近、語ることにためらいを感じるようになっている。

そもそもリカバリーストーリーは十人十色なので正解ではなくて「きっかけの1つ」として何かヒントや自分の可能性を感じてもらったりするものだと思っている。
少なくともリカバリーストーリーを美談にして拍手喝采というような自己満足みたいなものじゃないと思う。

とはいえ。
わしは改めて自分のリカバリーストーリーを客観的に読むとちょっと特殊な人でじぇーんじぇん参考にならないんじゃないかと思ってしまった。
というのもピアサポートを知って間もない頃にあっちこっちで有名なピアスタッフの講演を聞くたびに
「自分も頑張ろう」ではなく「わしには無理だ」と突き放されたような気分に陥っていたことを今でも覚えているからだ。
ピアスタッフの頃は特に考えていなかったんだけど(考えろよ…)
ピアスタッフを辞めてフリーで活動し始めると改めて感じることは
「ピアスタッフ」がまだまだ少ないから名乗った時点で「すげー頑張ってる優秀な人」的な目で見られているということ。
つまり現状、ピアスタッフはまだまだ落語で言うところの大看板、ごく一握りなのである。
その冠があるだけで本人の意志とは関係なく一目置かれ燦然たるロールモデル扱いされる。
一方でわしみたいな「元ピアスタッフ」は長続きしなかった惜しい人のような扱いをされたりする。
「待て待て!悪いのはこっちかよ!」なんて反論しようものなら火に油を注ぐようなもので
「でも続いている人がいるし経験だけで続くほど福祉は簡単じゃない」とかなんとか仰っしゃり始めて負け犬扱いである。
(余談だけどピアサポートをディスる時に支援者が連携するのはなぜだ…普段はお互いディスり合ってるの知ってるぞ…健常者がバンバン辞めてくのも知ってるぞ…余談おわり)

これはもう明白だけどピアスタッフ礼賛はピアサポーターが積極的にしているわけではない。
むしろ支援者によって担ぎ上げられているフシがあって、こうなってくるとピアスタッフは客寄せパンダ状態なので嬉しくないし、存在意義が行方不明になってくるのでワケが分からなくなってしまう。

さて一方のわしは…というと。
これとは別の意味で参考にならないような気がする。
まず3年くらい働かずにピアサポートばかりしている。(今は働いてるよ)
けれども充実していてハマッチャやあいりきを主とした草の根ピアサポート活動を軸に珍しく真面目に続けている。
ものすごく雑に言えば働かずにピアサポートや本の編著などやりたいことをボランタリーで続けているわけです。
「なんだお前ただのヒモじゃねーか!」とツッコまれたら「正解!」としか言えない。
ただ当然のことながら両親とカミさんの理解がなければ不可能でもある。
今までやりたくない仕事でもお金のために無理をしてきた結果、毎度のようにストレスを抱え込んで自滅してきたことが何度もあった。
そうなると浮上して安定するまでカミさんの負担が激増する。
ということはどうすれば潰れないのかをきちんと洗い出しておかないと延々と繰り返してしまうので最終的には別々の道を歩むことに繋がりかねない。

というわけで、まずは2人で話し合ってから親と話をして本の出版までは集中させてもらうことにした。
1人で書いているならともかく、色んな人が携わっているから片手間じゃ不可能だった。
それが一段落したタイミングでご縁があって地域活動支援センターで働いたものの、
コロナ禍の到来と施設の方針が合わなくなり徐々にストレスを感じ始めたタイミングでサクッと辞めた。
このときはカミさんから「辞めていいよ」と言ってくれたことが大きかったかな。
というのも結婚直後にわしがぶっ潰れたときにカミさんは「辞めていいよ」と言えなかったことを悔やんでいたから同じ轍は踏まないということだったみたい。
とはいえピアサポーターとしての依頼もコロナ禍が直撃していて激減していたし、
社会が大混乱に陥っていたからサクッと仕事が見つかる状況でもなかった。
でも考え方によっては誰もが今までにないくらい迷っているから堂々と迷うことができた。

ということで「逆境を楽しめ!」がスローガンのわしは兼ねてから取り組む必要を感じていた居場所作りとアウトリーチをオンライン形式でスタートさせつつ、あいりきに専念する生活を始めた。
またも話し合いである。
はい、またヒモですよ。
…誤解のないように言っておくと開き直ってるわけでじゃないですよ。
そこから先は去年もろもろアレコレ綴っているので端折りますが、オンライン形式のものは「ハマッチャ」に発展して今も続いているし、
あいりきもファシリテーターとして活動を広めるために画策している。
どっちもやりたいことだ。
お金にはならないけど支えてくれる仲間もたくさんいるから大変なこともあまり気にならない。
こうした活動がきっかけとなって今の職場に繋がったので2019年くらいからやりたいことだけやっている。
まぁ…稼ぎは少ないけれど地域も世代も超えた人たちとの繋がりがグンと広がったから良い経験を積むことができている。

さて…改めて客観的に見ると参考になるのだろうか…と考えてしまう。
どう考えてもカミさんと親がいなければ成立しない。
しかもこの前提が誰にとっても簡単じゃあないから滔々と語ることは自慢にしかならない。
カミさんの存在は自慢だけどカミさんがいることを自慢するというのは似ているようでだいぶ違うから丁寧に伝えないとオメデタイ野郎になってしまう。
さらに自分のことを伝える時間は限られるので微に入り細に入り…ということも難しい。
当然、ある程度の妥協は必要だし正解はないので完璧はあり得ないにせよ、やはり考えてしまう。
以前は仮に100人に話をして1人でも参考になれば良いかなと思っていたけれど、
残る99人を突き放していたら話さないほうが良いんじゃないかと考えるようになった。
まだ毒にも薬にもならないほうがマシかもしれない。
だとしたらそもそも話す必要はあるんだろうか?
とついつい考え込んで語ることに対して抵抗を感じるようになってしまった。
もちろん、ただの驕りかもしれないし考えすぎなのかもしれない。
けれどこういうところまで考えないと、かつてわしが味わったような挫折感を与えるだけになってしまう気がしてならない。

けれど語ることをやめてしまったら本当に誰のためにもならない。
ピアサポーターを続けていくからには語り方なり伝え方を常に考えていくしかないんだろうな。
色んな人がいるから色んな生き方がある。
そこに評価はいらない。
なので今年のリカバリーフォーラムでは率直にこの辺の想いも伝えてみようと思う。
言い訳としてではなく伝えたいことに重きを置いて、苦労自慢でもなく幸せアピールでもなく大切にしていることは何なのかということを伝えてみたい。
色々なことでわしは構築されているから。

語ることへの抵抗を感じるからこそ、
何を伝えるのかを意識すれば良いのかもしれないな。
そういうわけでリカバリーフォーラム会場にてお待ちしております。
2日目の分科会でお会いしましょう。
(初日は欠席します)

あ、ハマッチャではいつもお待ちしておりまーす!
(たまにいないけど)

ではではやる気に満ちたところで…
アディオース!

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