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柳田聖山・梅原猛『仏教の思想7 無の探究<中国禅>』角川書店、1969年

一般的に無の思想と呼ばれるものは実は近代的な関心から要求された立場に過ぎない。明治以降になって西洋に対抗できるものとして東洋精神の伝統を仏教や禅に求めた。p20

ブッダが弟子たちに語った言葉を集めた『スッタニパータ』の背後にあるものは、「座禅と瞑想以外のなにものでもない」。p28
ブッダは「快楽と苦行の両極端を捨てて、誠実な中道をとるところに、真の意味での道を楽しむすがすがしい生活の発見があるとした」。ブッダの瞑想は思い詰めた深刻さがない。原始仏教の無常観は、神経質な厭世観ではない。「仏教の根底には徹底して楽天的な、人間性の肯定がある」。p29

大乗仏教は従来の伝統仏教の固定化を革新(つまり復古)しようとする運動であったと考えられる。瞑想やヨガにも反省。p64

「かつてはもっとも現実的であり、人間の生き方を問題にしつづけた禅も、宋代の体制の中にくみこまれると、しだいに定型化に向かい、いわゆる体制内知識人の養成にその中心的な努力を注ぐようになる。しかも唐代の禅が、儒教に対してもっていた人間批判の任務を、宋学に譲り渡してしまうと、禅はまったく無用となり、・・・みずから狭い公案の経験主義、もしくは心理主義にとじこもる。唐代の禅問答がもっていた魅力的な個性を捨てて、一種の伝統的権威と、私的な自己満足にふけるのである」

「「無字」の公案が、いうところの「無」の思想を形成したのは、あるいは近代のことであり、むしろ我が国の近代哲学においてである。宋代以後の大陸における禅宗は、・・・思想そのものの雄大な発展を示すことがなかった。むしろ思想的な反省の仕事を、ほとんど朱子学や陽明学に譲ってしまった」

「一般に、日本の禅は、鎌倉の初期に宋より移されて、室町期より江戸時代に至って日本的なものに脱皮したと考えられている。しかし、今日のわれわれが禅とよんでいる仏教の内容は、朱子学や陽明学とおなじように、江戸時代にあらためて大陸より移された中国禅によって、大きく影響」

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