「1997〜1999(13〜15歳)」

新築したマイホームのすぐ近くに中学はあった。
「中学は勉強に専念しろ」と趣味だったゲームを禁止されたのは悲しかった。
でもその入れ替わりで中学に入る前に音楽が好きになっていった。
1番最初に買ったCDはSMAPの「ダイナマイト」で、2番目に買ったCDはJUDY AND MARYの「くじら12号」だった。
1番最初に買ったアルバムはglobeの「FACES PLACES」で、このアルバムのオリジナリティーとクールさとエモーショナルさは凄まじいものがあって、今でも愛聴している大好きなアルバムだ。



ゲームが出来なくなった代わりに音楽に夢中になっていった。
ミュージックステーションを毎週楽しみにしていて、当時は土曜深夜に放送されていたCDTVを録画して見ていた。
テレビで放送されていないような音楽は全く知らなかったけれど、音楽はとにかく俺の心をワクワクさせてくれた。


小遣いで気になったCDをよく買ってはクラスの人に貸したりしていた。
近くのCD屋に頻繁に通い、新しい曲が発売されているのを見る度にワクワクしていた。
ノートの落書きは当時のシングルランキングや、テレビでやっていたバンドのディスコグラフィーや、自分で作った妄想のバンドの作品や曲名で埋め尽くされていった。


しかし中1の周りの環境はとにかく狂っていた。
家庭環境がよくなかった不良みたいなヤツはクラスの人間の金を盗みまくっていて、裏口合わせる為に画鋲を俺に刺してきた事があった。
そいつはキャンプの時に焚き火の中にロケット花火を仕込んで、焚き火を燃やすとロケット花火がいくつも飛び交って危なかった。
思い返すとマジキチってヤツだ。



普段は普通にしてるのに放課後に好きな女子のリコーダーを舐め回したり、椅子に頬を擦り付けたりしているヤツがいた。
流石に俺はやらなかったが。


知らない年上のヤツが何故か俺の名前を知っていて、自転車に乗ってとにこやかにいきなり話かけてきた事もある。
恐らくカツアゲでもしようと思っていたのかも知れないが気持ち悪かった。
危険だと思い何もしないでいたら機嫌悪そうに去っていった。


当時の俺は孤立していた訳ではないが男からはからかわれ、女子からはバカにされる事がとにかく多かった。
余りにもバカにされるから女が嫌いになりかけていたけど、可愛いと思う子に恋はしていた。
好きではあっても別に何もしなかったが。


頻繁にお前はおかしい。普通じゃないと言われ続けた。
何故、自分がそんな風に見られるのか当時は全く分からなかったが、行動や雰囲気がとにかくおかしかったんだと思う。
人から変に注目されずに気にかけられずに普通になりたいと、どれだけ思った事か。


勉強も全く出来ず5教科で98点だったりした。
親からは毎回怒られ、中1の誕生プレゼントがもっと勉強をしろと言う事でノート3冊だった時の失望は大きかった。
そのノートは前述した音楽関係の落書きで埋め尽くされるのだが。


そんな事も重なり何か異常があるんじゃないかと精神科に連れて行かれてカウンセリングを受けた事もあったが障害的なものはなし。
精神安定剤を飲んだ事もあったが吐き気しかしなかった。
精神異常でもなく普通なはずなのに普通じゃない扱いを受ける俺は一体何なのか分からなかった。



中1の12月。
再放送していたLUNA SEAの横浜スタジアムでのライヴ「真冬の野外」を見て音楽に初めて衝撃を受けた。
一体これは何なんだ!というとてつもない衝撃で、同じ人間がやっている事とは思えないくらいにかっこよかった。
俺もエレキギターを弾きたい!と思い、親にねだったが買って貰えなかった。



ここまで音楽に夢中になっている事を察せず、ギターを買ってくれなかったのは失敗だったと思う。
あの時にエレキギターを与えられていたら何か違ったかも知れない。
小学では空手やら水泳やらの習い事をさせられていたが何一つ身に入っていない。
中学時代は弓道部に所属していたが1番下手だったと思う。
スポーツを見るのは好きだけど、自分がやるのは好きではない。
俺に運動のセンスは全くない。



中1くらいから親父の当たりが俺にだけ酷く厳しくなり、家にいるのが苦痛になっていった。
俺にだけ冷たく当たり、重い空気を作ったり、母親がいない時に酔っ払ってお前は我が家の恥だ!と一方的に侮辱された事もあった。
勉強も出来ず何の取り柄もなく何を考えてるか分からないような俺が気に食わなかったのかも知れない。
母親に普通の家庭が良かったと何度か言った事があるらしい。
父親がいなくなって欲しいといつも思っていたし、死んで欲しいと思った事も何度もあった。



中2の時には完全にLUNA SEA一筋となり、LUNA SEAの作品を集めて他の音楽は余り聴かなくなっていた。
1998年12月に生放送された東京ドームのライヴも死ぬ程かっこよくて、Unlikelihoodのマイクスタンド投げを真似して、部屋で何か物を放り投げたりしていた。



LUNA SEAはパフォーマンスとルックスが死ぬ程かっこいいし、楽曲を聴くだけで様々なイメージが鮮明に湧き上がるくらい世界観が強かった。
そして荒れ狂っていた自分の心境を表現してくれた。
「この苦しみを呉れてやる」と歌われるSHADEという曲に憎悪を共鳴し、
「奇跡よ今、僕を救え」と歌われるMOTHERという曲は幾度となく癒された。



そんな荒れ果てた家庭事情の中で、中3の時にパグを飼う事になった。ロンと命名された。
相変わらず親父の当たりはキツかったけれど、ロンがいる事で家庭の雰囲気が少しだけ良くなった。
ロンとじゃれ合うのが楽しくて家族の中に1人味方が出来たような感覚だった。



風呂に入る前に犬小屋に入ってロンとワチャワチャして毛だらけになった。
弟とは仲が良くて、近くの野原で簡易野球をやったり、親に隠れてテレビゲームをやって、親が買い物から帰ってきた車の音が聞こえたら速攻で片付けて何食わぬ顔をしていたりしていたのを思い出して今も笑う事がある。



中3の時、俺を虐めるヤツがいて運動会の日に余りにもムカついて途中で勝手に帰った事があった。
力が無いからやり返す事もできず、憎しみが募る一方で呪い殺してやると人形に切り抜いた発泡スチロールを串刺しにし、赤い絵の具を垂らして真っ赤にしたものを、それを妹が見つけてドン引きしたり、テープレコーダーに「ヤツの体がバラバラに引きちぎれた」等とひたすら残虐な言葉を吹き込んで、それを聞いたりしていた。



そんな中3の時の担任を今も覚えている。
毎日提出する日記に「明日台風がくると思っていたけど来なかった。ゼリー買ったMeanないじゃん。」と書いたり、嫌いなヤツへの憎悪を爆発させたり、手袋付きTシャツなどの訳わからない絵を書いたりと毎回エキセントリックな事ばかり書いていたが、提出していた日記に毎回ちゃんと返事を書いてくれていた。
俺を変な人間だと見捨てずに個性として向き合ってくれていた。
不登校の生徒や不良含め、生徒一人一人とちゃんと向き合っている素晴らしい教師だった。
彼こそが天職の教師だと今も思える。



中学3年間。
楽しい思い出なんか全く見当たらない。
家では父親に虐げられ、学校ではバカにされからかわれ、勉強も運動も出来ず、恋愛も密かな片思いしかなく、生きていて何が幸せなのか全く分からなかった。
俺の心は常に憎悪に満ちていた。
家族と全員仲が良くて、バカにされる事もなく、勉強もできて波風立たない普通の生活を送りたいだけなのに、何故こんなにも荒れ狂った人生を送らなきゃいけないのか。



勉強が出来なかった俺も何とか私立高校に合格し、テレビゲームも正式に解禁された。
2000年春からは町の高校へと通う事になる。
虐げられる悪意を呼び覚ます雰囲気は纏ったままに。

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