ジャニーズ性的虐待についてBBC完全版から考える日本社会が抱える問題と今から変えるべきこと

この記事について

BBCで取り上げられたジャニーズの性的虐待問題について、Amazonプライムで日本でも完全版が見る事ができるようになりましたね。BBC完全版を見て筆者なりの意見をまとめ直しましたので是非ご一読していただき、ジャニーズ性的虐待の件について理解を深める手助けになればなと思います

この記事は前回同様どこをどう引用してもスクショして拡散して頂いても構いません。この記事で筆者に利益が入ることは一切ありません。多くの人に見てもらえるように拡散の際は検索に引っかかりやすいワード『ジャニーズ』『BBC』その他思い当たるワードを入れて頂けると助かります。筆者が考え得ることを全て詰め込んだら実に長い記事になりました。気になる見出しだけ読んでも構いません。全部読んでいただけた方は大事な部分を引用し拡散してください。お願いします。
記事の中で「彼等」という三人称を使用していますが性別を定める意図はありません。この記事では男性・女性どちらも含め「彼等」と指し示しています。


本放送を見て新たに読み取ったBBCの報道の意図

まず、BBCの完全版の放送を見て筆者が前回の記事作成時には読み取れていなかったことを書き改めます。
(前回の記事はこちら→https://note.com/nnnnnonaka/n/n2bf0ae003202 こちらの記事は被害者視点多めでこの件について考察しています)

BBCがこの件について何を1番に問題定義にしているかという事です。前回の記事で私は権力の乱用をした権力者とその犯罪を隠蔽した事務所、真実よりも利益を取りそのジャニーズ事務所に忖度した日本メディアの在り方など複数の問題提議の中の1つに国民の無関心な姿勢があると綴りました。
しかし本放送を見るとむしろ主題は我々国民達の姿勢に向けられている。
BBCの報道はその事務所と日本メディアのおかしな在り方と子供への性的虐待という深刻な犯罪に対して国民の多くがその事実を知った上で無関心、深く問題視しない姿勢についての異常性について訴えていた。
権力とそれに忖度するメディアというのは確かに日本に限らずどこの国でも多かれ少なかれ必ず発生する問題でしょう。それにしても日本メディアの「報道しない自由」の行使、隠蔽体質は他国の比ではないことは確かですから、その点に関しても我々は今後国民として日本メディアのあり方に抗議していく必要があるのは変わりませんが…。
しかし、その事実を目の当たりにしたのにも関わらず、抗議しないどころかある種それを肯定し受け入れる国民の異常性に焦点が当たっていると感じました。海外ではまず国民がこのような問題に「沈黙」することはあり得ないということです。
異常な事をそういうものなのだと受け入れてしまう日本の国民に対し異常な事は異常であると問題視し声を上げることの重要性を唱え、これまでの異常な事を異常であると声を上げてこなかった我々日本国民1人1人の無関心な態度、子供への性的虐待への意識の低さについて強く非難しているのです。
BBCが指摘した問題は筆者は全面的な納得することができましたが、正論だけが人の行動を正しく導くわけではありませんから、BBCを見た後でも見当違いな意見を発信している人を目にします。
「国民がいくら声を上げてもメディアが報道しないから意味がない」「ファンが事務所に利益を落とすことをやめない限り、ファン以外の国民がいくら抗議しようと変わらない」そんな意見が未だに散見します。

そのため次の章からはジャニーズ事務所と日本メディアの依存関係はBBC報道後も一切この件に触れないメディアを目の当たりにして国民達も身をもって実感しているはずですし、業界関係者の記者達がジャニーズ事務所と日本メディアの関係の問題点についての指摘は増えてきているので、筆者は何故権力に忖度の必要のない国民も「沈黙」してしまうのかという点に関してあらゆる視点から考察し、国民が「沈黙」することで起こる問題について挙げ、BBCによって取り上げられたジャニーズの性的虐待問題によって炙り出された日本の国民側の問題点今後どのように変えていく必要があるのか筆者なりの意見を綴ります。


まず、日本社会が何十年間にも渡りジャニーズの性的虐待について「沈黙」を貫いてきたのか、日本社会の様々な背景から一つ一つ考察していきます。

性的少数者を社会的に排除してきた過去

まず一つにジャニーズの性的虐待について文春が報道し裁判で有罪判決が下された当時、LGBTQの存在が社会に全くと言っていいほど認められていなかったことが挙げられると思います。特に同性愛者への差別意識は根強く、同性愛に対し差別的な発言をしても今のように咎められる環境はまずなかったでしょう。それどころか異性愛者であっても同性愛に理解を示せば差別の対象になるような性的少数者を差別することがむしろ真人間であるかのような社会だった。そのため殆どの性的少数者達は差別を向けられないように、社会にマジョリティのフリをして社会に溶け込み自身を偽って生活するか性的少数者達のコミュニティの中で差別から逃れるようにして生活していくしかなかった。それがマジョリティ達に「自分たちの身の回りに同性愛者など1人もいない」「生まれてこの方出会ったことがない」と性的少数者は概念として存在している程度で実際に存在する数はごくごく僅かで稀であり一生涯に1人出会うか出会わないか程度の現実味を持たない架空の存在であるという認識を強めさせ、性的少数者の存在をまるで無視した社会体制をより加速させた。(実際日本国内にいるLGBTQの割合は13人に1人と考えられています)

少なくとも性的少数者が日本国内にどれだけの割合でいるかの認識がどうであれ日本社会は日本人=異性愛者であり、異性愛者の価値観=正しい価値観であることが前提に社会は回ってきた訳です。

そのためジャニーズの性的虐待の件が一部のメディアで報じられた時、多くの人たちは同性間の性接触についての記事の時点で真実性を持たない噂程度の単なる芸能ゴシップの一つとして裁判で有罪判決が下された「未成年者への性的虐待」であることにまで辿り着く人が少なかったのではないかと推察します。

また裁判で有罪判決が下された事実であることを認識した上で同性間の性的接触にそれほどの深刻性はないという誤った認識によって「性的虐待」であるという認識を持たない人が多かったのではないかと推察します。

そのような認識は先にも述べた性的少数者の存在が日本社会では当たり前に存在しないもののように扱われてきたことによって波及した様々な誤った価値観によって生み出されたのではないかと考えます。日本社会には「同性相手に性的感情を抱くことはあり得ない」ということが前提にありそのため同性間の性的な部分への接触は異性間で行われるものと同様の意味を持たず性的接触のうちに入らない、全く別の意味を持つ接触であるという誤った価値観が根付いているように思います。それは男性女性に限らずです。

日本人は銭湯などで大勢の見知らぬ人達の前で裸を晒すことに抵抗を感じる人はあまりいません。むしろ抵抗がある人に「気にしすぎ」「自意識過剰」のような言葉をかけることが多いと思います。しかしながら何故同性同士であれば見ず知らずの人に裸の状態で密室に居ても問題がないのでしょうか?このような裸及びプライベートゾーンが同性同士であった場合晒しても特に問題ないという価値観はなぜ問題がないのか明確な答えを説明できなければそれは植え付けられてきたおかしな価値観です。同性同士であればなぜプライベートゾーンを晒すことが問題ではないか皆様はすぐに根拠のある説明ができるでしょうか?

異性同士の場合であればなぜ裸やプライベートゾーンを晒さないようにするのか答えられる人は多いでしょう。その理由が果たして同性同士であれば該当しない理由なのか、また同性同士であればプライベートゾーンを晒すことが問題でない理由の説明になるか考えてみて下さい。我々は性への知識や意識がまだ未熟な幼い頃から学校での着替えを行う際個室ではなく性別で分けられ同性相手に身体を晒すことに抵抗を持つタイミングすらない環境が多いと思います。しかし身体とは性的な意味を全く伴わなくとも非常にプライベートで繊細なものであり自分自身の意思によって晒す相手を限定するべきものであるはずです。

しかしながら男性同士のキスがテレビではギャグとして行われることがあります。女性同士であれば胸を無許可で触られたり、無遠慮に胸のサイズを聞くことがセクハラとして認識されませんし、このような行為の経験がある女性は少なくないはずです。
男性であれば性器のサイズを比べるなどの理由から性器を見せあったり、性経験や性知識についてオープンに話すなどの経験があるのではないでしょうか。

その中でも特に男性間で行われる性的部位の露出や性的接触は「面白おかしいもの」としてテレビ等のメディアでも学生時代の日常の中でも扱われることはよくあることのように思います。同性間の中でもとりわけ男性間においては現実で行われた行為であってもどこか「ノーカウント」「冗談」「コント」と茶化す対象であり、性的接触が雑に扱われることが多いのではないでしょうか。

ジャニーズの性的虐待について深刻な問題であるのにもかかわらず真実と向き合ってこなかった理由に、このような「同性間であれば問題がない」「異性間で行われる場合と同様の意味を持たない」という我々がその理由を考える前に当たり前に存在し植え付けられてきた価値観も一因にあるといえます。

これを機に我々の持つ価値観、認識が果たして正しいものなのかも改めて考えていく必要があると思います。


どちらにも不利益をもたらす無意識の性差別

女の子であれば「女の子は足を開いてはだめ、足を閉じて座りなさい(この教えが正しい教育かはさておき)」とか「暗くなる前に帰りなさい」「1人で帰ってはダメ」とか門限が厳しく決められていたり自分の身体を守ることや自分が女の子であることで巻き込まれる可能性のある危険性について幼い頃から成人しても親や周りの大人から声をかけられる機会がたくさんあります。女の子・女性であることで様々な行動を幼い頃から指摘されたり制限されるのは日常的なことだと思います。女性は幼い頃から自身の性について周りからも自覚的にさせられ自分の性が社会の中でどう扱われるのか、女性であることによって巻き起こる危険や不利益を学ぶ機会が多いのです。

では男の子の場合でも女の子と同じように身を守るように大人が呼びかけているか?ということを考えて下さい。確かに女の子・女性の方が危険に晒されたり、狙われる対象になりやすいのは事実です。身体面においても女性が狙われた場合と男性が狙われた場合では女性は抵抗する力も及ばない場合が殆どでしょう。
しかし男性が危険に遭わない訳ではありませんし、男性であっても自身の身を守れるほどの力が常に発揮されるとは思い難いです。
そしてそれは子供、未成年者であれば尚更そうなはずです。しかし未成年であり身体も精神も発達途中であるのにも関わらず大人は「男の子は大丈夫」という無責任甚だしい安心感を抱いている場合が多く見受けられます。
同じ年齢の女の子と男の子の門限が違うことはよくあることです。男の子の場合厳しい門限は定められていなかったりします。
大人は何故かまだ守られるべき子供であるはずなのに男の子であればそもそも危険な目に遭うことは滅多にないし、あったとして自分の身を自分で守ることができると思い込んでいるのです。

根拠のない信頼は責任の押し付けであり、そのような信頼を寄せられた子供が被害に遭った時、子供は大人から受けた信頼を裏切らないようにするために被害を隠すようになるのです。男の子の場合、まだ守られるべき立場であるのに早期の自立を求められたり、時として守る側の立場を背負わされたりすることが多いのではないでしょうか。(もちろん女の子もそのような背負うべきでない責任を背負わされることもありますが)

このような性別によっての対応の違いは無意識の性差別です。男性は強者であり、女性は弱者であるという深く根付いた性への価値観が子供相手にも及んでいる。そして男性が強者であり、女性が弱者という認識は一見女性を軽視しているように見えて、男性も軽視しているのです。「男性なのだから強くて当たり前」「男性であれば自身を守れて当たり前」「男のくせに守られている・男のくせに被害に遭っているなんて男として半人前だ」という根深い女性差別を元に発生する男性差別が起きているのです。それは男性同士でも起こりますし、女性であっても女性=弱者として差別されてきたことによって男性の弱さを受け入れられず「男のくせに」「男性は弱者じゃないのだからその程度平気でしょ」と両性間で差別を助長させてしまっているのです。

そうした無意識のうちに根付いた性差別からくる価値観によって、大人としての役割である「子供を守る」責任を子供自身に負わせていないかも考えるべき点であり、性別によって変えるべき対応と性別関わらず同じように扱うべき対応を今一度見直す必要があると思います。


ホモソーシャル

全章二つで書いたことはつまり「ホモソーシャル」の価値観が日本社会全体の中心的で最も正しい価値観として根付いていた社会背景によって生み出されたものだといえます。

ホモソーシャルとはこちらの記事に詳しく書かれています。

https://note.com/palette_lgbtq/n/nef751beeeb21

「性的少数者を社会的に排除してきた過去」の章であげた“男性間で行われる性的部位の露出や性的接触は「面白おかしいもの」”として扱われることの一部にはこの「ホモソーシャル」の価値観から生まれているといえます。

差別の対象である同性愛を揶揄し馬鹿にしたり、自らが「ホモソーシャル」の世界で地位の低い側に回り弱者を演じることを「面白く、おかしいこと」として扱っている部分が含まれているわけです。

またそのホモソーシャルの価値観によって引き起こされているジャニーズの件の問題点についてはこの記事が非常に端的にわかりやすく説明しています。ジャニー氏性加害問題:黙殺のメカニズムと日本社会の共犯性 - オルタナ

日本という国に女性軽視が根深くあることは間違いありません。
けれど男性軽視もまた根深くある問題です。
女性差別について声を上げる時、男性を軽視してしまったり、反対に男性差別について語る時女性を軽視してしまうことはどちらもあってはならない事です。
差別がまた別の差別を生み出し差別を拡大していってしまう事につながります。
女性差別についてだけ考えるのではなく男性差別についても目を向ける必要があります。
女性差別について訴える上で男性が受けている差別を軽視しては前進しませんし、逆もまた然りです。
女性への差別、男性への差別どちらか一方だけを考えるのではなく両性全体を見て差別をなくす必要があります。
女性差別もあるし、男性差別もある。両者の差別をなくす必要があります。


性差別が存在することはどちらの性別にとっても必ず不利益が生じるものであり、皆が当事者意識を持って解決に取り組まなければならない問題です。



子供を守るために必要な知識を大人が学ぶことを放棄してきた

見出しの「性的少数者を社会的に排除してきた過去」の中に書いたように日本人は自分の身体やプライベートな領域を守る必要性があることの意識が大人であっても非常に低いです。そしてそのような価値観の大人達の社会に従って生きていくしかない子供達は自分たちが取り巻く環境に疑問を抱く機会すら与えられていません。

近年では性教育の遅れが問題視されています。またBBCの報道で「グルーミング」という説明を受けるまで被害者が加害者を庇ったり、慕っている様子を見て我々は深刻な問題ではないのだと「未成年者への性的虐待」とすら認識できないほど未成年者を利用し行われる犯罪の手段、手口の知識がまるでありませんでした。

 つまり日本人は子供であることを利用した犯罪や人権侵害に該当する扱いから守るための教育をするための知識をそもそも大人が持っていない。殆どの人たちが子供を守るための子供への教育をまともに行えていないということです。

親の立場であれば誰しもが「知らない人について行ってはだめ」「お菓子やおもちゃをあげると言われても絶対について行ってはだめ」と幼稚園の頃から教えるはずです。

それらと同じように子供だからこそ巻き込まれるであろう危険を学び、子供が危険に巻き込まれないように対策をしなくてはならないはずです。子供を守るために起こりうる危険について知り、その手口・手段からそれを回避する対策を打つ。子供に教育する。大人がこれをしなければ子供を危険から守ることはできるわけがありません。大人に守られていない子供は大人に利用・搾取されてしまう。自身を守るための教育を受けていない子供は利用され搾取されていることにも気づくことができません。大人である我々一人一人が子供を守ることの重要性についての理解が浅すぎることは本当に問題です。子供を狙った犯罪者は子供であることを最大限に利用し搾取します。我々は子供が被害に遭わないように対策しなければならないし、子供の表面的な態度だけで「この子は大丈夫」と自分自身を安心させるのではなく、子供の僅かな異変や異常をいち早く気付き被害を食い止める必要もあります。

特に子供へ性教育をすることが子供を守る重要なパーツであるにも関わらず長年蔑ろにされてきたことが、子供が性被害に遭う確率、そして性被害を訴えられない環境を作り上げた一因であるといえます。家族間で性的な話題をするのが気まずいとか、性的なことを教えないことが良い教育なのではないかとか誤った選択をし続けてきたわけですが、我々は子供達にどのように性的な話題から遠ざけるかに注力するよりも、子供に性への正しい知識・理解、それに伴う危険をどのような形でどのような言葉で伝えるかに注力していく必要があります。そしてその教育にも性別によって教えることの内容を大幅に変えてはいけません。

自分自身の肉体について学ぶことの重要性と同じくらい異性の肉体の構造について学ぶ必要がありますし、女性にだけ性被害に遭わないように教育するのではなく、男性にも同様に教育する必要性があります。反対に性加害に当たる行為についても男性にだけ向け教育を行うのではなく当然女性にもそのような教育をするべきなのです。

大人たちが子供に伝えることの気まずさや難しさから自分の都合を優先させ、子供に教えるべきことを蔑ろにすれば、子供が傷ついたり、子供が他者を傷つけたりしてしまうことにつながるのです。少なくとも幼い頃から「簡単に人前で裸を見せてはダメ」「どんなに信用している大人だったとしても嫌なことは拒否していい」「信用している大人であっても身体を触らせてはいけない」「過度な接触をしてくる大人はおかしいから避けること、そのような接触を受けたら必ず報告すること」「何かを対価に身体を求めてくる大人は悪い大人」「違和感のある接触や性的な接触を受けたらそれが被害が判らなくても必ず親や周りの大人に相談すること」「被害を受けたことは恥ずかしいことではないから絶対に隠さないで助けを求めること」そういうことは教えなければいけません。家族間、大人と子供の間で性的な話をタブーにすると性被害を回避する知識を持たないため性加害を回避する能力が培われませんし、性被害にあった子供は性被害にあったという認識すら持てなかったり、自覚があっても誰にも相談することができなくなってしまいます。

大人が子供を守るために子供であることで巻き込まれる危険について学び子供自身が危険に合わないように教育することが行われてこなかったことを反省し性教育をはじめとした子供達を守るための子供への教育を行なっていくことと大人自身が子供達を守るための知識をつけ行動を変えていかなければなりません。


被害者の傷の深さを表面に現れる姿だけから勝手に決めつけてはいけない

BBCの報道では被害者達数名が顔出しをしてインタビューを受けています。インタビューにおいてリュウ氏は「ジャニーさんのしたことは悪いことだけどジャニーさんのことを嫌いではない、むしろ好きだ」と答えています。平本淳也氏も大したことではなく笑い話だと語っています。このような姿を見て被害者がトラウマを負っていないのであれば、被害者が被害によって傷を負っていないのであれば問題視することではないという意見をSNSなどで目にします。未成年の頃に負わされた過度なストレスや辛い経験は身体も精神も未発達な子供達は様々な受け入れ方をします。いくら自分自身の身に起きていることといっても自分が受けたことに対して自分自身がどう感じたかすら理解できなかったり、周りの環境や空気によって自分の感情すら決めてしまう場合もあります。自分が受けた行為は自分だけが受けたわけではない、多くの仲間や先輩たちも受けていることで大したことないんだ。周りも平気そうにしているし、自分も平気だ。そうやって自分自身の被害に向き合うこともできず傷を傷とも思えない環境であった。自分が受けた被害について深刻に捉えないことの何が問題なのかと思う人もいると思います。むしろ傷ついてない方が良い、被害に遭ったのだから傷つけという考えの方が危険だと思うでしょう。しかしそれは本当に傷ついてない場合に限った話であって、傷ついていないと被害者が言っていても加害行為を受ける前に加害者から受けた優しさが性的目的の為であることを認めたくなかったり、被害を認めることで傷と正面から向き合わなくてはいけなくなることを恐れ、自分は大したことと思っていない、笑い話だと言い聞かせる場合も多くあります。例に挙げた以外でも性被害は被害者が様々な理由から自分自身が被害者であると認めることが難しい問題です。男性だと先述したホモソーシャルの価値観から被害を認める=弱者とされ反対にそのような被害を受けても平気で笑い話にできる=強者という誤った思想からも被害を被害として訴えられない一因にあるといえます。

実際に同じような被害に遭っても傷つき方には個人差があり、被害を受ける前と受けた後で何ら影響を受けず普通の暮らしをできる人もいます。本当にその人にとって受けた被害が被害を受ける前の自分自身のアイデンティティを損なわすことなく被害を特に気にすることなくいられる人もいることにはいるかもしれません。
被害者が加害者を恨んでいないなら問題視する必要はないのではないか?という意見がありますが、もし仮に被害者が全員被害を深刻に捉えていなかったとしても社会が未成年者への性的虐待を許すことは決して許されません。
なぜなら「あなたが受けた行為は許されない犯罪行為であり、それをされたことによってあなたがどう感じたかは別として行為を行うこと自体が社会で許されないことだ」としなければ、「犯罪行為であっても被害者が被害を訴えないなら問題ではない」と言っているようなものであり、加害者はこうした社会の価値観を利用して被害者が被害を訴えられない状況を作って犯行を行うわけですし、被害者自身が受けた被害に対し適切な対応を受けなかったことで誤った価値観が根付き将来加害者側に回る危険性が生まれるのです。
加害者側に回るというのは単に「かつて被害を受けた被害者が自身が受けた加害行為と似た加害行為を行う」という意味ではありません。場合によっては自身が受けた加害行為を加害行為として認識しないまま「自分がされた行為はこういう立場であればしていいことなのだ」と歪んだ認知を持ち加害行為を行なってしまう場合もありますが、私が言いたい加害者側に回るとは、自身の受けた被害をきちんと理解しないまま加害行為を加害行為と認識出来ない状態を放置すると同じ様な被害に遭っている人や、被害を訴えた人に対し被害者側の責任を問う様な態度や意見、そんなこと大した事ではない、被害者ではないと無意識に加害者側の肩を持つ価値観を持つ人間になってしまう可能性があるということです。

また未成年者への犯罪は「犯罪行為であっても被害者が被害を訴えないなら問題ではない」という価値観をまさに利用したものであるからこそ未成年者への犯罪は我々社会が厳しい目で見なければならないのです。

ハヤシ氏のインタビューの姿と前述したほか2人のインタビューの様子の違いからも我々がジャニーズ事務所の性的虐待について長期にわたり黙認してきたことで、被害者が深い傷を負いながらその傷を社会からも軽視され続け適切な処置、対応を受けれず癒すこともできずに抱えてきた被害者がいることを読み取る必要があります。傷の深さの現れ方の違いは節々から感じられます。
まず一つにインタビューを受けた場所の違いです。リュウ氏や平本氏が自分の職場や被害にあったマンションの近くなどインタビューを受けた場所を明らかにしているのに対しハヤシ氏はインタビューのために用意された部屋でインタビューを受けています。他二人が素顔も名前も明かしているのに対し、ハヤシ氏はメガネにマスク姿で名前も仮名です。
つまり被害によってついた傷が深いほど他者に被害を訴えることのハードルが高いことがハヤシ氏のインタビューを受ける姿から推察できます。
ハヤシ氏は勇気を持って被害内容を告白してくれたわけですがハヤシ氏のように被害によって深い傷を負った人たちが我々が知り得ないところで沢山存在する可能性が大いにあること、社会がこの件を黙認することでそうした被害者達を見殺しにしているということに目を向けなければいけません。
ジャニー喜多川のタレントへの性的虐待は被害内容からも常習的で計画的であったことは明白で被害者の数も膨大であることは明らかです。我々が目にしたり耳にすることができる被害者の声はごくごく一部であり、そうして表に出て被害を語ることができる被害者の多くが被害を重く捉えていない人が多いのはそうした被害を告発することへのハードルの高さが傷の深さによって違い、被害を深刻に捉えていないからこそ表に出て被害を告白してくれたとも見れるわけで、そうした点からも我々が知り得ることが出来る被害者達の話だけに目を向け、被害者が傷ついていないのであれば問題でないと結論づけ問題視しないのはあまりに浅はかな判断と言えるでしょう。少なくともハヤシ氏一人であっても深く傷ついた人がいることは紛れもない事実です。

未成年者への犯罪行為が正しく罰を受ける社会なのかも今一度見直す必要があると思います。
果たして未成年者問わず日本の性犯罪に関する法律の処罰は妥当なものだろうか。性犯罪への処罰が軽すぎるのは我々が性犯罪を軽視してきたことも一因です。そしておかしいと思っても声を上げてこなかったことも一因です。
我々は性被害について実態を知り「性教育」というものが子供を守るためにどれほど重要か認識し、教育内容を改善していく必要があり、法改正のために社会全体の性犯罪や未成年者への犯罪への誤った価値観を指摘し、おかしな現状のルールに対し抗議の声を上げる必要があります。

このことについて日本が報道することの意義、放置してはいけない理由を精神科医が性的虐待とは如何なるものかという視点から語っています。是非見てください。二つ目の動画のジャニーズのファンに関する意見はアイドルのファンであること自体が全て問題ではないと筆者は思うので、精神科医目線であくまで精神が弱っている患者の方がアイドルを自分の精神の支えの中心に持ってくることの問題を説いていると解釈して、深く考えず見て良いと思います。未成年者への性的接触がなぜ問題かこの動画を見て理解を深めるのに役立てて欲しいです。

https://youtu.be/ZXXHcad8wjk

https://youtu.be/SR-0AqvaaIA


個人の問題である芸能ゴシップか日本全体の問題である社会問題か

また、「芸能界って性接待や枕営業が当たり前なんでしょ」という芸能界が何故か治外法権のように芸能界の悪しき風習や芸能界の中で行われる犯罪に対し世間は一般社会で行われた場合に示す反応とは全く別の反応を示す傾向があります。多くの人が一般社会と芸能界ではまるで社会ルールが同じように適応されないことが当たり前のようになぜか思っています。

少し前まで単なる名誉毀損、人権侵害である誹謗中傷が「有名税」として問題視されていないどころかある種肯定されていたことがそのおかしな価値観の象徴の一つでしょう。

確かに我々は普通に生きていれば芸能界の裏側の世界を知る由もありませんから芸能界という世界が一体どんな世界なのかは想像するしかありませんし、介入できるものとも思いません。第一に我々一人一人にそれぞれの人生がありますから自分達の生活と関係のない芸能界という遠い世界の内情など深く考えることがないのは当然と言えば当然です。特別に芸能人の誰かのファンとかでない限りテレビやメディアは生活の中心になることはなく余暇の間に何となく眺めているものです。芸能人の恋愛や結婚、離婚、不倫は世間を度々賑わせますが、大多数の人はその手の芸能ゴシップを話の種として面白がることはあっても、自分の生活と関係ない話として深く考えることはありません。勿論それは当たり前のことで「芸能ゴシップに興味ない」という態度は何ら責められるものではありません。
しかし十数年前に文春が取り上げたジャニーズの性的虐待疑惑については単なる芸能ゴシップであったのか、我々一般社会にも関わる日本社会の問題だったのか、我々は見極めることが出来ず未成年者への性犯罪を野放しにしてしまったのです。ジャニーズの事務所社長による未成年者への性的加害行為は「芸能界の闇」なんて言葉で表すゴシップ程度の話題ではなく、日本社会が未成年者を守る制度をきちんと整備していないことの表れと、未成年者が深刻な犯罪に巻き込まれながらも声を上げられない、声を上げても権力や社会の風潮によってその声がかき消されるという「日本社会の闇」が現れた問題なのです。

いくら表に立って仕事をする芸能人であっても恋愛も家庭も個人の問題であって、我々は芸能人の個人の領域にまで踏み込んで問題視したり芸能人の私生活にまで口を出す必要は本来であればありません。むしろ踏み込みすぎては彼等の人権を侵害する事でありそこについても我々は行動や姿勢を見直す必要があると言えます。

しかし、反対に彼等の人権が侵害されているという報道がなされた時、我々は芸能界とはそういうものだと問題視しなかった。

人権は全ての人にある権利であって芸能界では適応されないなんてことはありません。

「人間である前にアイドルという生き物」とか「芸能人という自覚を持って」とか「プロ意識を持て」という言葉が尊重されるべき1人の人間としての当たり前の権利を自ら手放させるための洗脳の為の言葉として作用していないか、考えるべきです。「アイドルである前に1人の人間」の筈です。芸能人である前に一人の人間なのです。アイドルとして輝く為に人として尊重されるべき権利を手放さなければならないなんてことは絶対にありませんし、我々もそれを許しては行けません。今まで我々はそういった人権侵害を許してきた。そういう社会だからこそ芸能界を目指す若者もどんな状況であっても尊重されるべき人権を芸能界でスターを目指すのであれば放棄することが当然だと思い込んでしまった。社会がそれを許さなければ芸能界を目指す若者達も自分達が受ける不当な扱いに気づくことが出来たかもしれません。しかし、社会までもが未成年者への人権侵害を許容する姿勢であったことはジャニーズ事務所の性的虐待を黙認してきた過去から認めざる得ない事実です。

タレント達の活動のおかげで事務所が成り立ち、事務所のマネジメントによってタレントがより良い活動を行える。両者は対等なものであってタレント達に一方的に事務所や社長のおかげで自分達の今のキャリアがあると言わせる経営のあり方はタレント達を徹底的に事務所の所有物として扱いやすいように洗脳してきているわけでそれは許されないことのはずです。

事務所側がタレント達のキャリアの命運を全て掌握しているという姿勢はタレント達を完全な支配下に置いている訳でそういった姿勢は人権を尊重しているとは言えませんし芸能界を志すタレント志望の若者達がいなければ成り立たないものなのにおかしいですよね。本来であれば事務所とタレントは二人三脚で共に支え合って成り立っているものであり対等な立場であるものなのに、事務所側がタレントに「デビューさせてもらった」と言わせる関係にまず我々は違和感を持つ必要があります。未成年者達を利用して不当な扱いを当然の扱いと思い込ませ彼等の努力や実力で得たものも事務所の手柄にし、事務所の支配下に置くようなマネジメントは絶対に許されるべきものではありません。

未成年者の大事な時間を貰っている以上彼等の人生を保証する責務があると筆者は思います。

それは何も芸能界で必ず活躍させるという意味ではありません。(筆者個人は事務所が将来の責任を持てないほどの練習生を抱え、事務所が選ぶ側の立場で彼等の大切な時間を将来の保障も何もせず無闇に奪うような在り方も問題だと思いますが)彼等未成年者の時間を貰っている限り、その時間が彼等の今後の人生において芸能界でやって行くにしても別の道に行くとしてもマイナスに作用したりするような事なく人としての成長に繋がる人生経験になるように責任を持たなければいけないと思います。それは最低限の責任です。本来であれば就労義務のない未成年者達の若さや才能の力を借りている訳ですから彼等未成年者達の大切な時間を貰っている分の責任を果たす、その時間を貰うことで彼等の将来に悪い影響を及ぼさないように芸能界で生きていけるだけの道を与えられなければ彼等の人生が先行き成り立たないような状況にしたり、事務所を辞めた後の人生は知らないというような経営を許してはいけないと思います。

未成年者という身体も精神も発達途中の人達がその時に置かれた環境の中で受ける影響の大きさは計り知れないものであり、その大切な時間を才能を見極める為、スターを発掘する為に大勢の若者達の将来を保証する事なく才能の選別を行う形態にも問題があると思います。それがどうしても必要な行程ならばそれなりの責任を持って未成年者達が一方的に不利益を被るようにならない一定のルールを敷くべきです。

これはジャニーズ事務所に限らず未成年者達を扱うアイドル業界全てに言える事で、未成年者達への扱いは国が基準を持って厳正なルールを敷くべきでそれらのルールは一般社会でも知り得るように組織の内情を透明化する必要もあると思います。

彼等芸能人達も芸能界という世界以外の社会を知らない人の方が多いですし、多くは未成年の頃からその世界にいるわけで社会が芸能界とはそういうものだと彼等の受けている不当な待遇や明らかな人権を無視した扱いを異常であることを指摘しなければ彼等は自分達の待遇がおかしいということも気づくことが難しいでしょう。

また不当な扱いである事をわかったところで権力に従い不当な扱いを受け入れる人が大多数になってしまっている芸能界では彼等芸能人の一部が不当な扱いに抗議をしただけ損をする構造が強固に造り上げられてしまっているというのもあると思います。

我々社会の中で許されないことが芸能界では許されるというのを社会が許容してはいけません。

今まで前述したように我々は日本に根付いた様々なおかしな社会常識、価値観によって問題を問題として認識する事が出来てきませんでした。

こうした日本社会に根付いたおかしな価値観や国民性によって、権力者達が自己の利益の為に倫理や他者の人権を無視した経営をしても成り立ってきた訳です。


タレントを応援している筈のファン達がタレント達への性的虐待に抗議せず容認してきたのはなぜか

前述してきた「性的少数者を社会的に排除してきた過去」の章に書いたように裁判で有罪判決を受けている性的虐待が事実認定されているということに関して辿り着かなかった人がいるのはファンも同様だと思います。
ファンはなぜこのことを知っておきながら放置したんだ!という意見には「噂だと思っていた」「知らなかった」と反論したくなる人もいると思います。
しかし知っていながら行動を変えなかったファンももちろんいるわけですし、疑惑であってもそのような深刻な話題において利益を落とす側の責務として深く知ろうとしなかった姿勢には問題があるとは言えます。(国民全体もこのことについて真剣に取り合ってこなかったわけで一方的にファンを責められる立場の人は日本国民にはいないと思いますが。)

ファンが真剣にこのことについて向き合うことができなかった一因に「被害者であるタレント達を応援することは加害者の罪を黙認し加害者を支持する事になる。しかし加害者へ罪を追及すると被害者側のタレントのキャリアを奪う事にも繋がるのではないか?」というジレンマがあると思います。

事務所を罪に問う事が応援しているタレントの為になるのかファンという立場からは冷静な判断を行うのが難しいのは仕方ないのかもしれません。

むしろ事務所の社長であった性加害者とその隠蔽に加担していた事務所を罪に問うことはタレントの夢や希望を奪う事になりキャリアを傷つける、下手したら失わせることに繋がるファンとして「してはいけない」行為だとすら思っている人もいるようです。

そうした一時のその場しのぎにしかならないファンの浅い配慮が被害を長期化し、拡大させてきたとも言えます。

また何故ジャニーズ事務所に利益を落としてはいけないのかわかっていない人も多いようです。
性的虐待問題について明らかになったにも関わらずジャニーズ事務所に利益を変わらず落としてきた事でどのような経営をしても利益は変わらないということが事務所がタレント達に人権侵害を行い続けたことの一因です。
タレント達もジャニーズ事務所を退所して別の事務所でアイドルを目指す事がほぼ日本では不可能な構造でした。それは男性アイドル市場がジャニーズ事務所によって独占されているからです。ジャニーズ事務所以外の男性アイドルがジャニーズのタレントが出演している番組に出れないよう事務所が圧力をかけることを匂わせることで圧力をかけるまでもなく日本メディアがジャニーズ事務所の機嫌を損ねジャニーズタレントを起用させてもらえなくなる事を恐れ過度な忖度によってジャニーズ事務所以外の男性アイドルを起用しない構造が出来上がっていた。それは元ジャニーズジュニアを起用しないという忖度もありましたしデビュー後も退所する事で今までのキャリアを奪われる可能性が大いにありました。
つまりはジャニーズ事務所でジュニアとしてデビューを目指す中で不当な扱いがあってもジャニーズ事務所を退所し別の事務所でアイドルを目指す事はほぼ不可能だった。だから彼等は自分の夢のために耐えるしかなかった。デビューの為に虐待環境に耐えるか、夢を捨てて芸能界を諦めるか、その選択肢しか残されていなかったのです。
性的虐待について裁判で有罪判決が下されても変わらずに利益を落とし続けるファンがいる事で経営が傾く事なく権力を持ち続ける事が出来たためタレント達はより一層虐待環境に耐えなければアイドルとしてデビュー出来ない環境が作り上げられた。
本来であればタレントに性的虐待や人権侵害を行なっている事実があった時点でファンが事務所に利益を落とすことをやめていればアイドルを目指す若者達の権利が守られた経営をする事務所だけが経営を行えアイドルを目指す若者達が当然の権利を守られた上でアイドルを目
指す事が出来た。
しかしそれをしてこなかった。日本で男性アイドルを目指すには彼等に虐待を、耐えさせるしかない世界を作り上げてきた。
ジャニーズ事務所に利益を落とすことはジャニーズ事務所以外で彼等がタレント活動を行えないように追い詰めることです。
ジャニーズ事務所に利益を落とすファンがいなくなれば彼らは以前のようにジャニーズ事務所を退所しても圧力をかけられることなく新しい形で自分達のキャリアを築く事ができる世界になるはずです。
一時の彼等のキャリアを見るのではなく長期的な目で見て彼等の今後のキャリアのために本当に必要なことを考えてください。
このままジャニーズ事務所に所属し続ける以外彼等がアイドルとしてキャリアを築きあげられない環境のままでいいのか?
ジャニーズ事務所所属の彼等を応援する事が彼等の夢実現の協力になるのか考えて下さい。
果たしてあなた達の応援の力は性的虐待問題に目を背け、性的虐待を放置した経営を行う事務所に利益を与え続ける事に使うべきか、ジャニーズ事務所が権力を失った時その所属タレント達が新しい道でキャリアを行えるように働きかける事に力を注ぐべきか考えてください。彼等の活動はファンの支持によって支えられているのであればジャニーズ事務所が経営を続けられなくなってもあなた達が適切な支持を行えば彼等のキャリアは新たな形で、寧ろ今までの人権無視した経営から離れた良い環境で行えるようになるはずです。

例え裏で彼等タレント達が虐待環境に居るとしても彼等タレントを虐待環境から救うための行動よりも一時的に応援しているタレントの活動が見られなくなる危険性を優先させ、短期的な結果しか考えなかったが為にタレント達の劣悪な環境は改善されぬまま、10代からそのような環境に身を置いている彼等タレント達はその環境がどれほど異常か、自分たちの人権が尊重されていない環境であるかも気づくこともできないまま不当な扱いを当然であると受け入れさせ続け、見て見ぬふりをしてきた間、被害者を増やし続け、既に被害を受けてきた多くの被害者達のケアも今も尚適切に行われていないという結果をもたらしてきたといえます。

しかしこのような判断をファンがしてしまったのは前述してきたように日本全体がこのことについて真剣に向き合うことをしてこなかったことが多いに関わっているとも思います。

ファンだけを責めるような意見をSNSで見かけますがこの問題は決してファンだけの行動が問題だったとはいえません。
確かに無責任な姿勢だったことは確かですが日本国民全体も無責任な姿勢であった筈です。ファン以外の国民がこのことについて問題視し働きかけていたのにも関わらずファンが事務所に利益を落とし続けたことによって性的虐待問題を許容してきたというのなら確かにファンだけを責めるのもわかりますがファン以外の国民も他人事で日本の子供達が性的虐待を受けているということに対し声を上げなかったのですからファンを加害者とするならば国民全体も加害者である筈です。

確かにファンとして利益を落としている立場として世間よりも自分が応援しているタレントの事務所の問題に真剣に向き合う必要があったとは言えると思います。
しかしファンであるからこそ目を背けたともいえますし、そうした向き合わなくてはいけない問題から目を背ける姿勢は日本社会全体がしてきたことでファンだけがおかしな姿勢だったとはいえません。
ファンの姿勢が無責任であったこと、その行動一つ一つがジャニーズ事務所の性的虐待問題を野放しにし被害者を増やし続け、被害者達に適切なケアを受けさせてこなかったことの一因にあるのは間違いありません。
しかしそれは国民の姿勢にも該当することです。ファンを一方的に責める暇があるのであれば我々が変わるべきこと、出来ることをやるべきです。
ファンの今までの行動に問題があったことは紛れもない事実だと思います。
ファンの今までの姿勢の問題を改これから変える必要があります。
しかしファン以外の国民にも責任があります。変えられる行動、やれる事があります。
ファンだけ責めて終わりの人がいます。自分ができることをやった上でファンの誤った認知や問題である行動を正しい方向に促すようにしなければ前進しません。
勿論、顔出しをして被害を告白した被害者に対し誹謗中傷したり、セカンドレイプを行ったり、性的虐待について論点をすり替えたり性的虐待問題について事務所側に加担するような行動をとっているファンの行動については指摘し正しい方向へ促す必要がありますがその行動を叩いても逆効果になる可能性が高いですから冷静に指摘し正しい方向に促していきましょう。
過去は変えられません。今からできることをしましょう。
ファンの方もどうか今から行動を見つめ直してください。
ファンでない人が出来ることはファンの人ができることより当然限られている。
ファンの人の行動が変わればこの件は大きく前進する。
ファン一人一人が持つ力を考えて自分の行動が何を意味するか見つめ直して欲しい。

私はジャニーズのファンではないのでファン目線にたった意見は中々書けないのですがジャニーズのファンの方がこんな記事を書いています。ファンの方はぜひ読んでください。戸惑っているファンの方へ・・ジャニー喜多川氏のドキュメントに関して - さくさく☆2

BBCが報道したことによって日本のメディアがいくら沈黙を続けようと海外ではすでに深刻な問題として広まっています。SNSの普及によって過去と同じようにこのことが風化されることはあり得ません。彼等のことを本当に想うのであればこのことについて向き合う必要があります。少なくとも加害者の名を名乗った「ジャニーズ事務所」として海外でアーティスト活動を行うことはまず無理です。長期的な結果を見て1人1人がジャニーズ事務所に利益を与える事をやめることの必要性、事務所に責任を問うことの必要性を考えてください。

ジャニーズ事務所の問題は性的虐待だけなのか?

性被害の被害者達の証言の内容を様々見ましたが直接的な性被害に遭っていなくとも密室や同じ空間の中で性加害が行われているのを黙って耐えなければいけない環境自体が深刻な虐待行為です。性的虐待以外の観点からもこの件を機にジャニーズについて様々調べてみましたが未成年者への教育的配慮の欠如の仕方は様々な点から見受けられジャニーズ事務所のタレントへの育成環境が人権を無視したもので未成年者を扱う事務所としてあり得ない管理体制と思います。性的な被害に遭っていなくともジャニーズ所属のタレントが守られるべき人としての権利を尊重されてきたとは思えないし未成年者への人権が守られている事務所とはとても言えません。

そしてそのような許されざる虐待環境を放置どころか隠蔽し加害行為を拡大させ続ける事に加担していた事務所が性加害以外のところでタレントの人権を守りタレントを尊重して扱ってきたとは到底思えません。

裁判で有罪判決を受けた後も事務所は管理体制を見直すことなく未成年者達をジャニー喜多川一人の引率で宿泊させたり未成年者達が寝泊まりするホテルに入室させたということが事務所全体が加害行為に加担していたことの現れでもあると思いますし、タレントの人権や権利を尊重した経営を行う気が全く感じられません。

そもそも仮に性的虐待がなかったとしても未成年者を社長の自宅に大人が社長のみの状態で宿泊させるという環境に違和感を持たざる得ません。

裁判有罪判決後も事務所がタレント達の権利を守るため管理体制を見直したり教育的配慮を見直すことはなかったことは明らかで、それどころか性的虐待が行われていることを放置し、性的虐待の事実を揉み消し続けてきたわけですからタレント達がそういった被害を受けても訴えられない環境にしていた共犯者であると思います。

つまり性加害者が亡くなった現在も人権侵害にあたるタレントへの行為が無くなったとは言えない環境であると思います。私はジャニーズのファンでないので詳しくありませんが国民的有名グループの解散、退所の時の対応などジャニーズ事務所はジャニー喜多川の性加害疑惑がなかったとしてもタレントへの人権侵害的な行為が見受けられる事が今まで複数ありましたよね。そしてBBCの取材陣への対応、報道後の事務所の対応もまともな企業の対応と言えるでしょうか?

そのような点からも加害者が亡くなっているのに「今更」と流せる問題ではないのは明白で、これを機にジャニーズ事務所に罪を問う必要があります。

またジャニーズ事務所だけでなく芸能界という業界全体の未成年者及びタレントへの人権が守られた経営なのかという点についても再考の時だと思います。これから芸能の世界を夢見る子供達が搾取される、利用される、そのような犯罪行為が何故か業界内では通過儀礼として許されるままなんて事は絶対にあってはなりません。タレントである前に全ての人が一人間であり、人間としての当然の権利が侵害されることを当たり前の扱いとして受け入れなければタレントとして活躍できないなんてことは絶対に許してはいけませんし、そんなはずがありません。彼らが虐待環境を耐えなければ国民的スターになれなかったわけがありません。彼らが多くの人の心を掴み人気があるのは彼ら自身が芸能のために歌やダンスや芸能の技術を日々磨いた努力の結果であって、タレントとして活躍するためにする努力や辛い思いの中に「人権を侵害した虐待行為」に耐えることは全く必要ありませんし彼らが芸能界で活躍するために本来であれば全く必要のない行為です。

それなのに国民すらそんな見過ごすわけにはいかない深刻な未成年者への虐待環境に対し「芸能界とはそういうものだ」「そういうことがあって当たり前だ」と勇気を振り絞った被害を訴えた人たちの声を握りつぶしてしまったがために、未来ある子供達が日本国民の誤った価値観に染められ、不当な扱いであることに気づく機会すら奪ってしまったのです。

きちんと彼らの人としての権利が守られた上でタレントとして活動することは両立できるはずですし絶対に両立させなければいけないことです。
我々国民側は芸能界のあり方に対し一消費者としてタレント達の人権が守られた上で活動できるように求めなければいけませんし、人権侵害を当然としている場合絶対にそれを受け入れてはいけません。


最後に

このジャニーズの件を通して徹底的に国民がこの犯罪行為の重さを理解し罪に問う事は、被害者達が世間は自分の味方であると思える社会になり、未来の子供達を守る事にもつながります。「権力を持たない我々が声を上げても権力を持つものが動かなければ意味がない」というのは違います。沈黙はどちらの意見も表明せず中立の立場を取る行為だと思っている人もいるかもしれませんがこの件に対する沈黙は加害者の加害行為への肯定であり被害者へ社会が味方でないというメッセージになります。

反対に、声を上げることは社会が加害行為を決して許さず被害者の味方であることを表明することになります。今まで被害者達が被害を訴えられなかったり泣き寝入りしなくてはならなかったことの一因に社会までもが被害者の味方でなかったことが挙げられます。

「性犯罪を許さない」「セカンドレイプ、二次被害に当たる行為を許さない」「被害者を守る社会にしよう」こうした声が社会を少しづつ変える筈です。

今後の未来の為に今ここで臭い物に蓋、見て見ぬふりをするのをやめ、国全体の人権意識を高め子供を守る為のあらゆる犯罪やその予防の知識を身につける必要があります。

筆者が長々と日本国民が「沈黙」してきた理由について考察してきたのはその背景を分析することで改善点を洗い出し、今後変えていくべきことを明確にするためです。

ジャニーズの件は日本が抱えている問題が集結して現れた日本社会全体の歪みによって長期間放置された問題だと思います。今、これを機に我々が変わらなければいけません。

性的少数者への理解を深めることも、性教育のあり方を見直すことも、性差別がなくなるように働きかけることも、性犯罪や、子供が巻き込まれる犯罪の手口や中身、「グルーミング」をはじめとした子供達を守るために必要な知識を大人達が身につけること、様々なおかしな価値観、認知を改めて見直し、おかしいことにはおかしいと声を上げ、改善を求めていくこと、これら全て今後の日本のためにしなければいけないことです。

自分達が変えられること(態度、行動、価値観、認知)は今すぐに変えていきましょう。

ここまで読んでくださった方はもうジャニーズ事務所の性的虐待問題について見て見ぬ振りはダメなことはわかったと思いますが具体的にして欲しい今後の行動を示しておきます。

①NHKに問い合わせを行う
NHKや番組についてのご意見・お問い合わせ | NHK みなさまの声にお応えします↑こちらからジャニーズの件について取り上げるよう問い合わせをしてください。その際報道の仕方について被害者の匿名性を守ること、性被害の内容の詳細は報道しないなど世界のガイドラインに則って報道するように要望しましょう。


②SNSで声を上げ続ける
このことについて日本メディアが沈黙し続けていることに声をあげ、未成年者への性被害の認知の異常性など、とにかく異常な点に対し抗議の声を上げ続けましょう。セカンドレイプや二次被害に該当することを発信している人に注意や指摘することも必要です。その際に決して叩いたり、誹謗中傷になるような言葉を使わないように気をつけましょう。


③ジャニーズ事務所に利益を落とさない
ファンの方は今一度自分自身の行動について何を意味するか考えましょう。そしてファンでない我々も利益になり得ることをしないように動きましょう。

④日本の法律や社会が未成年者を守るために必要なルールを設けられているか再考し、おかしな点は指摘し改正を求めていく
日本には性被害、性暴力に関しての報道のガイドラインがきちんと定められていないそうです。それっておかしいですよね。また未成年者への性犯罪も「グルーミング」や大人という絶対的立場から子供へ行う行為であり子供が被害を訴えなければ加害者が罪をきちんと償わなくても良い状態にあるのは欠陥がありすぎますよね。未成年者へ性的加害行為を行う犯罪者は再犯率がとても高いことが明らかになっています。そうした観点からも子供を守るためにきちんと法が成り立っているか見直す必要がありますし、成り立っていない部分はやはり声を上げていかなければなりません。

実に長い記事を最後まで読んでくださった方ありがとうございます。
これほど長い記事を書いてもまだ書ききれていないこと、言葉が足りないところ、補足が必要な部分があると思います。どうか皆さんいくらでも補足したり付け足して拡散してください。またTwitterのリプなどくだされば筆者なりの考えをお答えします。疑問や質問があればTwitterにリプしてください。

今後の日本を良いものにするためにまずは私たち国民一人一人の意識と行動を変える必要があります。皆さんでこの件について見て見ぬふりをするのをやめ問題を一つ一つ解決に向かって行動を移していきましょう。