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身長2メートルの世界。

私の身長は2メートルちょうど。
日本人男性でこの背丈は、なかなか珍しいと思う。

世の中的には、高身長男性というとそれだけで格好がいいと持て囃されるかもしれない。しかし私が思うに『格好がいい』と褒められる範囲は同じせいぜい190センチまで。それを越えると格好いいよりも『おそろしくデカい』という別の評価が前にでてくる。畏怖の領域。別世界。
私はそこの住人なのである。

身長2メートルは、着る服がない。

さて、身長が200センチともなるとこの日本という国では物理的に非常に生きづらくなる。何が起きるかというと、着る服がなくなる。この日本国内で流通するアパレル製品の99%はおよそ185センチ以下の着用者を想定して売られている(と思う)。なので、私が着れる服はほとんど存在しないのである。
例えば国民服ユニクロ、ここには私が着れる服は置いてはいない。厳密にいうと肌着や下着など多少丈が短くても隠せるために着れるものはあるが、長袖シャツや長ズボン、トレーナーやコートといった身長に比例して丈の合わせが必要なカテゴリは壊滅的である。すべて丈がツンツルテンになる。ユニクロに限らず、「XXL」といった大きいサイズ展開をしているアパレルプランドもあるが、あれらは大抵横にデカい人を想定した作りになっており、手足が長く縦にデカい人にはしばしば意味をなさない。ゆえに私はユニクロを着ることができないのである。幸い、元々仕立て文化があるスーツなんかは、私の体でもぴったりのものを作ることができる。ところが大抵どこの仕立て屋で作っても「お客さまは身長がお高いので通常よりも多くの生地を使います。なので料金は少し上がります」と頭を下げられる。まったくお金がかかってしかたない。

服もそうだが靴も大変だ。私の足のサイズは32センチ。ところが、例えばABCマートといった一般的な靴屋にはせいぜい28〜29センチまでしか置いていない。「おお!このNIKEはかっこいいじゃないか」とその場で好みのシューズを見つけても、購入はおろか試着すらできない。なので私は靴屋にはそもそも入ろうとすらしない。
靴の話でいえば、スキー場やボーリング場など靴のレンタルが必要な場所へ行くときも要注意である。真っ先にレンタルに対応サイズがある場所かどうかを優先する必要があり、そこの雪が滑りやすくていいとか家からアクセスがいいとか、そういったことはその後考えなければならない。

エネルギーを使う。

「衣」ときたので次は「食」の話を。これは簡単な話で、体がデカいということは純粋に必要カロリーが多いため人より多く食事が必要ということである。もちろん個人差はあるので一概には言えないが少なくとも私は多い。一度に食べる量は一般的な成人男性と変わらないが、すぐにお腹が減るのである。だから常に何かを食べている。「さっきメシを食ったばかりだろう」とよく人に言われる。燃費が悪いアメ車と同じ状態だ。ちなみに「子供の頃牛乳をよく飲みましたか?」と高身長願望を持つ方に訊かれることがよくあり、これに対する回答としてはYesなのだが、牛乳を大量摂取することで身長が伸びるわけではないらしい。私の身長は完全に遺伝である。何を隠そう父ももまた194センチの大男なのだ。

あらゆるものにぶつかる。

続いては「住」であるが、身長が2メートルもあると、これはもう家の中から街中までありとあらゆる場所で頭を、肘を、かかとをぶつけまくる羽目になる。ひどい時は怪我をする。想像してみて欲しい。今あなたを取り巻く世界のありとあらゆる物が今よりひと回り(例えば20%くらい)サイズダウンしたら、あなたはこれまで通り居心地良く過ごせるだろうか?私はそんな悲観的な世界に生きている。
例えば電車。乗車の時点でかならず車両のドアに頭を打つので必ずかがんで乗り込まなければならない。これが朝のラッシュなどではより大変だ。乗り込もうと首を前に下げるよりも早く後ろからぎゅうぎゅうと押し込まれるので、体は車内に入っても頭はまだ外でつっかえている。下手をすると首がちぎれる。つり革はそもそも顔よりも下にあるため掴んでも意味をなさない。そのためその上のつり革の根本が連なるポール部分を掴むのが私には適切だ。立った状態では車窓からのぞく景色は全く見えず、私の顔の位置からはただただ隣を走る線路や道を見下ろすことになる。満員電車となれば、私は周囲20名ほどのつむじと対面する格好となるわけだ。
そんな電車を降りてラッシュのホームを歩くと、とにかく後ろを歩く人にかかとを踏まれる。脚が長いと他人より歩幅が大きくなり大股となるわけだが、そのせいかラッシュを急ぐ人たちと絶望的に歩くリズムが合わないようで、ぽこぽこぽこぽことかかとを踏まれるわけである。リモートワークになってこのかかとを踏まれるストレスから解放されたのが、最近の私にとって大きな進歩だ。

声をかけられる。

身長が2メートルあると街中で声をかけられることもしばしばある。「お兄さん大きいね。何センチあるの?」といった具合だ。あとは何故かよく道を尋ねられる。背が高いからといって遠くまで見えているわけではないのに。すれ違いざまに「あの人デカい」と叫ばれるのは日常茶飯事で、私はこれにいちいち反応しないことにしている。面白かったのは、若い男の子グループから1人がこちらに近づいてきて私の横でピースをし、向こうに残った連中が写真を撮っていたとき。ようは背比べツーショットである。アイドルになった気分だったが、その時は気づかないフリをしておいた。

飛行機に乗れない。

移動で困るのが飛行機だ。前後の座席間隔が狭いエコノミークラスには、物理的に乗れないのである。なので私は必ずビジネスクラスを予約しなければならない。以前会社の出張で飛行機を使ったとき、経費を処理する経理担当から「なんでビジネスクラス使ってるんですか!」と怒られたことがあったが、私は「物理的にエコノミーには乗れないからです!」と反発。以降、私だけ特別にビジネスクラスの使用が許されたのだった。
どうしてもビジネスクラスが取れず、仕方なくエコノミーに乗ったことがある。驚いたことに、私が座席に収まりきらない脚を宙に浮かせて体育座りのようにしていると、CAさんが非常口横の前に座席がない席に移動させてくれた。「おみ足がお長いようでして…もしよろしければ」と絶妙に辿々しい日本語で案内してくれたのを覚えている。有り難かった。

それでも堂々と街を歩く。

私は都内在住なので、街を歩くと当然多くの人とすれ違う。私くらい「誰かに見られている」人はいないかもしれない。すれ違う人たちが皆、物珍しそうに私を見上げているのがいつもよくわかる。面白いのは、皆そろって一度私のつま先に目線を持ってきて、そこから舐めるように見上げていく。「おお」とか「でかっ」とか独り言をつぶやく人もいる。出会い頭で急に至近距離に近づいたりなんかすると「ぎゃっ」と飛び跳ねたりする人もいる。もう慣れっこだが、街を歩くとそうやってみんなに注目されるのだ。

昔はそれがとにかく嫌だった。背が高いのがやはりコンプレックスだった。
ところが大人になるにつれ、街ですれ違う小さな子供たちが、私を見上げてぽかんと立ち止まっている姿を見るたびになんとも言えない幸福を覚えるようになった。私を出会うことで、得体の知れない、まだ見たことのない、自分の知らない大きな存在がそこにあることを彼らは知覚する。その経験はもしかすると、彼ら子供たちにとっては「生まれてはじめて」の経験なのだ。そして、世の中にはこんな人もいるのか、と彼らは感動してくれているかもしれない。ぼくもわたしも将来こんなに大きくなれるかな、なんて思ってくれているかもしれない。
いわば、子供たちに少なからず夢を与えているのだ。と、考えるようになってから、私のコンプレックスはいつの間にか消えていた。
そして、これからもたくさんの人に見上げられる。私が歩くことで、みんなが上を向いて歩いてくれると嬉しい。

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