日記(2024-05-06)

久しぶりに日記を書く。この日記は2度目。
他のサイトに書き込もうとして誤って消したものを再度出力しようとしている。


無料トライアルを利用してSpotifyPremiumを試す。自分の中の流行は日々目まぐるしく入れ替わる。今は菅原圭さま。普段音楽をかけていないから不思議な感じ、友人達の影響。
遊びに出かけてばかりいた、カラオケに行きがちだった特別な日々が終わる。みんな日常へ帰っていった。

部屋に蚊が飛んでいてうるさい。

あぁ難しい。一度は私の中から出た言葉たち。さっきの言葉たちが私の正しい子供たちだった。これだから恐ろしい。紙に書き出しておきたい。いつか燃やしてしまうとしても。

いつまでもものを考えていられる子どもでいたい。歯車になってしまったら軋む社会が怖くてきっと、広くて自由な世界には行けない。
本を読んで、音楽を聴いて、散歩をして空を眺めていたい。ずっとそうしていたい。子どものままの友人たちと一緒に。人生を先に進めたくない。
いっそまた子どもに戻りたい。どこかの誰かの胎の中へ。何も知らなかった頃へ、自然に生きられる場所へ。そんなものは知らないが。

私が進みたくないと思っているように、一人でもいいから友人の誰かもそう思っていると良いと思う。合わせて前へ踏み出して、踏み出さざるを得なかったんだと悲しんでくれる友人があればいいと思う。
置いていかないでほしい。離れても同じように、生活以外のことに心を割く友人にいてほしい。

特別感傷的になっているわけではない。ずっと全てが怖い。変わりゆくすべて。

いつ開いても同じ世界を映すのは芸術ばかり、芸術に過去を付着させないように気を配る。
大切に抱えているけれど、過去は好きじゃない、辛かろうが楽しかろうが。現在と比べて一喜一憂する変な癖がある。楽しい記憶ばかりあるから、もしこの先あの友人達と別れればきっと私はこの音楽達を嫌いになる。過去がこびりついた音楽も好きなままでいたい。今を結晶化させたくない。思うことが多すぎる。

生活を思うと死んでしまいたくなる。私は私や友人や芸術や自然のことが好きで大切だけど、社会はどうしても苦手らしい。
社会に立場を獲得すること、労働に人生を割きその対価で暮らしていくこと、生きるために心身を消耗することが恐ろしい。
私が人生でしたいのはものを思うことと脅かされずに暮らすことだけ、でも社会で労働従事者として生きれば、ものを思う心を削られ、暮らしを政治や自分の努力に脅かされないよう追われながら生きねばならないような気がしてくる。そして恐らくほとんど正しい。
これが耐え難いほど恐ろしく悔しい。この未来から逃げ出したい。逃げ出せるうちに。子どもであるうちに。

なにも考えたくない。人生が進むこと。友人達の持つ人間関係とその種類が変化していくこと。
せめて私は停留所でありたい。いつでも彼らを受け入れて、彼らの大切な人達ごと受け入れて、過去と停滞を提供する人間になりたい。
生活を見せたくない。あなたたちの心でありたい。あなたたちの空想でありたい。生活や営みに付随しない世界の存在を忘れないように示していたい。そうあれるなら、私に生活が存在することにさえも耐え得るかもしれない。

関東郊外に小さな庭付きの小さな家を持ち、時々誰かが泊まりに来るようにしたい。泊まりに来る誰かとの縁を大切にしたい。今が大切だ。心を殺さないようにしていよう。

新しい子供が生まれた。それで良かったと思うしかない。そういう人生なのかもしれない。
次は、理想の家について書く。

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