嫌い

自己肯定という行為が本当に得意になれません。苦手。鏡の自分はいつもなんだか曇りがかった存在に見えるし、社会集団ではいつも一人どぎまぎしている内弁慶。小中のいじめ、無視。発達グレーの鬱。飲まなきゃいけない薬薬薬。自分の嫌なポイントばかり思い付きます。
だから、他人にいいところを見つけてもらおうかな、なんて考えてもみるのです。どういう訳か、承認欲求と他者からの優しさに対する欲求についてだけは、私は人一倍強い願望を抱いたまま、それを内心で膨れ上がらせるのだけは得意でした。
ただ、他人からの好意や評価は時に移ろいますし、あなたにはこんな長所があると言われて最初は舞い上がっても、結局後々一人になると「別にそれは私である必要はない」とちょっとだけ思ってしまいます。
あなたは優しい、真面目、大人しい、そんな風に言われても、じゃあそうじゃない一面を見せたらあなたは私を嫌いになるのでは、本当にこの人は私をずっと好きでいてくれるのかと疑いたくなってしまう。どうして他人にも自分にも時々懐疑的になってしまうのでしょう。それで勝手に病むのもウケるし。
あなたに特別な価値をあげるよ、そう言われても自分は相応しくない気がしてしまって、それは私には勿体ないから違う人にあげてと思わず言いたくなってしまう。そんな自分がまた嫌いになる。それの繰り返しの人生です。矛盾しているし、なんだか性格が悪く見えますよね。

お礼一つ口にすることすら、躊躇ってしまうこともあります。
ありがとうも、ごめんなさいも、また話したいも、また会いたいも、いただきますも、ごちそうさまも、私の口から出るとなんだかどこか興醒めで、味の無いチューイングガムみたいな、ガラクタみたいな言葉に聞こえてしまいます。

こんなんじゃ他人も上手く尊重出来ないと分かっていても、上手く息を吸って、吐いて、上手く外へ出て、上手く社会で生きられない自分への諦観と悲観はいつまでも拭えません。もっと上手に器用に生きられたら良いのに。

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