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台湾母ちゃんの教え
お昼寝をしてなかなか寝付けなかった夜、考え事をしていたときにふと頭に浮かんだのが台湾母ちゃんでした。今日は私の特別な人、台湾母ちゃんのお話です。
ー台湾母ちゃんとの出会い
台湾母ちゃんは、私の第二のお母さんのような存在。お母さんでもママでもなく、「母ちゃん」と呼びたくなるようなパワフルで太陽のような人なので、本人には秘密で「台湾母ちゃん」と名付けてます。
台湾母ちゃんとの出会いは、小学生4年生のとき。父親の仕事の関係で台湾駐在が決まりました。初の海外ということもあり、両親も心配事が尽きません。
そんな私たち家族を全力サポートしてくれたのが、父の職場の同僚である台湾母ちゃんでした。
台湾母ちゃんの武勇伝は挙げたらきりがなく、いつも家族の中で話題になるのですが、一番印象に残っているのは私が小学5年生のときに入院した際のエピソード。
ー台湾母ちゃんとの思い出
ある日、健康だけが取り柄だった私は、急に40度近い高熱を出して病院に運ばれました。意識が朦朧として、熱も一向に下がらず、そのまま検査のために入院となりました。
検査結果はまさかの「原因不明」。私は苦しくて寝たきりの状態だし、父母も終始あたふた。お医者さんが危険な状態と言うので、日本から祖母を呼び寄せるほどでした。
そんな中、救世主のように登場したのが、台湾母ちゃんでした。
「Noé大丈夫???」
いつも通りの明るい大きな声とともに病室に入ってきました。差し入れのマクドナルドのフライドポテト片手に。
病院食すら喉を通らなかったのに、ポテトって!と驚愕しましたが、台湾母ちゃんは「好きな物食べないとよくならない!!」と遠慮なし。今では良い思い出ですが、当時は両親もあからさまに苦笑いしていたなぁ......
ポテトこそ食べられませんでしたが、お医者さんとの会話の通訳をするために毎日仕事後に病院に足を運んでくれました。命の恩人とはまさにこのことだと思います。私は2週間かけてすっかり元通りになりました。
ー台湾母ちゃんと再会
約10年後、私は大学生の時に台湾に1年間留学しました。
台湾母ちゃんとは小学生以来会ってなかったので、私のことを覚えているか不安でした。でも、あのときの感謝を伝えたいという思いが強く、台湾に着くなり真っ先に会いに行きました。
台湾母ちゃんは全く変わらず、あのときのまま。「Noé元気そうだね。でも痩せちゃって〜台湾で沢山食べなさい!」と体型が気になるお年頃の私に、たらふくのご飯を作ってくれました。
留学中は2週間に1回くらいのペースで、外食したりお家にお邪魔したりしていました。おかげさまで、留学時代の私の顔はまん丸でした。
小学生の時は知らなかったのですが、台湾母ちゃんはシングルマザーで、私と歳の近い3人の子供がいることが分かりました。
3人それぞれが反抗期真っ盛り。かなりやんちゃしていたようですが、なぜか3人とも私とのご飯のときだけは必ず顔を出してくれました。そして私を姉のように、妹のように可愛がってくれました。
私はごちそうになってばかりで申し訳ない気持ちでいましたが、台湾母ちゃんは、「Noéがいるとみんな素直になってくれるから助かるの〜」と話してくれました。少し恩返しできてるのかなと嬉しくなりました。
ー台湾母ちゃんの教え
留学中のとある日、いつも通りご飯を食べているとふと台湾母ちゃんに「Noéは将来なにするの?」と聞かれました。
私は就職を遅らせて台湾に行っていたため、帰国と同時に就活が待っていたわけですが、人に言えるような夢などありませんでした。
一番聞かれたら困る質問でした。言葉に詰まる私を見て、台湾母ちゃんは言いました。
「靠人會死 靠家會倒 靠自己最好」
直訳すると、
「人に頼ってもいつか死ぬ
家に頼ってもいつか倒れる
自分に頼るのが一番良い」
です。聞いた瞬間、真っ先に「嫌だ〜〜こわい!」と思いました。
いつも誰かに頼ってばかり。人生なんとかなると楽観的に考えていた私には、あまりに重い言葉でした。続けて彼女は
「Noé、まだ若いし何をやっても良いと思う。だけどしっかり自分で生きていく力をつけなさいね。今は恵まれているけど、社会はそんなに甘くないし悪い人もたくさんいる。傷つくこともたくさんある。だから強くなりなさい!」
と言いました。
女1人で子供3人を育ててきた彼女から発せられた言葉は、とても説得力がありました。
私は何かある度にこの言葉を思い出します。やっぱり台湾母ちゃんには一生勝てないなぁと。
あれから6年近く経ちますが、時々元気にしているかなと思い出します。新型肺炎が収束したら、久々に台湾に遊びにいって、社会人になった私の姿を見せたいな。
おわり