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心室中隔欠損ベビーの通院記録2:初めての小児科診察後の母の心理状態

みーくんの病気がわかってからも、大きな幸せは感じていました。
ただ、初めての小児科が終わって、想像よりも割と重たい状況であることがわかった後、私の心理状態は本当にグラグラでした。

夫は、私が「何が原因だったのかな」といったように、病気の原因に触れるような発言をすると、「誰も悪くないよ、あやのもみーくんも、なんにも悪くないから」って言ってくれます。
私には、それが嫌でした。
それって私が自分を責めていて、私が私を悪いと思っている前提での言葉じゃないの?そっか、私は私を責めるのがふさわしいのかな。後悔して、私は自分を責めて、自分を傷つけるのが普通なのかな。

みーくんの姿を見て「明日も元気でいることを疑わない平和な顔してるじゃない」「必死に生きてる」「大丈夫だよ」と言ってくれるのも、それすら、命の危険がある病気であることを、改めて私に理解させていく言葉のようで、とてもつらくて。

夫はそこまでショックを受けて落ち込んでいないように見えるのも、産んだわけじゃないからまだ実感がないんじゃないかなと思ったり。
それを言ったらきっと夫は怒るだろうから言わないけど。

こんなこと考えたくもないのに。
なんでうちなんだろう、なんでみーくんなのと思ってしまう。
他の家だって多かれ少なかれ育児の悩みはあるはずだけど、生きるかどうかなんて悩まずにいられる家が羨ましい。ずるい。

こうして、全然答えなんか求めていない「なんで」に支配される。
夫は私の性格を、「外面がいい」とか「見栄っ張り」とか言ったりします。
それについてはあんまり否定しません。実際私は結構見栄っ張りですから。でも、今はその見栄が私をなんとか人として保たせてる。その見栄すら失ったら、きっとヒステリーを起こして、ドロドロの醜い感情ばかりを叩きつけるだけになる気がする。

妊娠初期は、ホテルのようなお祝膳が出る綺麗な個人産院がいいなあとか言ってこだわっていたけど、最終的にはこの総合病院で産んでよかったなと心から思ってる。
先生も助産師さんたちも優しいし、何よりここで産んだからこそ、迅速かつシームレスに小児科受診ができて、病気の状況を正確に知れたことはとてもよかったと、冷静な自分が言う。

その反面、ほんの少しだけ、こんなこと知りたくなかったとすら思ってしまう自分もいる。
すぐには全てを受け入れられず、事実から逃げたいと思っている自分に対して嫌気がさした。

こんな気持ちを口に出すことになんの意味もないので、誰にも相談したり、思いを吐き出したりはしませんでした。産後は情緒不安定になることを理解していたので、私の今の精神状態がおかしいだけとわかっている。それを理解してるんだけど、涙だけはどんどん溢れ出てきてしまう。ほんと、困ったな。

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