好きと嫌いは紙一重、という話

19年生きてきて、殺してやりたいと思った人間が
1人だけいる。
中学三年生の頃から関わりがある同級生の男子。

高校から同じ部活に入り、
訳あって高二の時にバンドを組んだ。
私はギターボーカル、彼はドラム。

死ぬほど仲の悪いバンドだった。
「ごめんね」「ありがとう」「おはよう」「またね」
一緒にいれば何度でも口にするであろうこれらの言葉たちの中でも群を抜いて、私たちのバンドで発せられた言葉は「死ね」である。

命は尊いものなのだから、
生きたくて必死な人もいるのだから、
誰かを失って悲しい人がいるのだから、
「死ね」なんて醜い言葉を簡単に口にしない方が良い。
そうゆうことは承知の上で….

遅刻したら「死ね」
ミスしたら「死ね」
むかついたら「死ね」
思い通りにならないと「死ね」

暴言でしかないこの二文字は
私たちにとってほぼ挨拶のようなものだったのかもしれない…(んなわけあるか)

挨拶のように簡単に放っていた言葉だったが
本当に死んで欲しい瞬間が何度かあった。
本当に呪ってやりたいと思った。
「呪う やり方」 と検索したりした。

今思えば、それらは全て
彼が極端な性格、自分の意を曲げない性格、
だったからだと思う。

普通の人であれば、折れて周りに合わせるようなことも
彼は折れたりしない。
自分is全て、 自分is世界 な男だった。

そんな訳の分からないやつ、友達であれるはずがない。

そうなるかといえば、それは違う。
彼は、心優しい人だった。
バンド関係を解消した今、心から思う。

バンド仲間というのは元から、喧嘩の絶えない関係だ。
どこのバンドだって一度は解散の危機がある。
友達のように仲良くはいられない。
自分の意思を述べること、そしてみんなでひとつにまとめること、そのためにはいつもバランスよく誰かが我慢をすること、そうゆうことが大事なバンドという輪の中で私たちは一緒にいたから上手くいかなかっただけだった。

高校を卒業してから一年以上経つ今でも、
私と彼は良き友である。
時に人生相談をする。

極端で嘘をつけない性格の彼は
時々、はらわた煮えくり返る様なことを言う。
でも、むかつきはするけどそれで嫌いになったりはしない。むしろ、正直にものを言ってくれることに感謝する。ここまで正直で、長いこと私の話を聞いてくれている存在は他に居ない。

先日、人との関わり方について
悩んでいることを相談した。
あったこともない私の知り合いを
貶すようなことを山ほど言うし、
関わるのをやめた方がいいとまで言う。
そんなことを言われて、反論する私に、

「お前は自分のことを考えてない」

と言った。
それを聞いて、少しハッとした。

私は、諸事情あり2021年、苦しかった。
大学1年の春学期は15単位落としたし、
秋学期は休学した。
自分に余裕がなかったから。パワーがなかったから。
だけど今年の春からはもう一度頑張ると決めた。
だから春から私は今より余裕がなくなる。

彼のきつい言葉は、
そんな私の状況を考慮してのことだった。

「余裕のないお前が余裕の無い人と深く関わったらお前は死ぬ」

とんでもなく極端なことを言ってると思うし、
決めつけがすごいと思う。
でも、これが彼なりの心配であり、優しさだとわかった。身に染みて感じた。
今回、彼に対して感謝の念がぶわっと湧いたのは、
何を言われたかではなくて、どれだか心配されているのかということだった。

「俺は、思ったことは言う。 お前に死んで欲しくないし、幸せになって欲しいから。」

この言葉を聞いて、少し泣いた。
こうゆう存在が、どれだけ支えになるか。
そういえばいつもそうだった。私を叱るのは、このままの私じゃ成長できないから。口が悪いのは、本気で伝えたいから。
決して上手ではない、あいつの友達思いなところに
何度救われただろうか。


だからといって、極端な彼の言葉を全て受けいれ、
じゃあ関わるのはやめよう、
彼がそう言ったから、こうしよう、ああしよう。
そうゆう考えには至らないが、
彼のアドバイスは時に本当に力になる。
時に、支えになる。
愛がある。

これからも彼の言葉は参考にする程度にするが、

自分のことをここまで思ってくれる人
強く叱ってくれる人
変化に気づいてくれる人
話を最後まで聞いてくれる人

他に居ない。

一度、殺したいと思った人は、
案外、とても大事な人だった。

今でも嫌いなところはあるし、
むかつくことは正直沢山ある。
だけど、私は彼そのものを嫌いになったりはしない。
きっとこれからもずっと。

ずっと、良き関係でいれるのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?