あったかもしれない日記#3

こんなことがあったかもしれない。

夜半、ふと目が覚めてしまった。
何か物悲しい、気に入っていたキーホルダーが帰り道のどこかで外れて落ちて無くなってしまったような喪失感が胸のあたりでわだかまっている。

おそらくこれは今しがた見ていた夢の内容とかかわりがあるのかも、と思って、キッチンで水を飲みながら思い出す。

ああ、そうだ、こんな夢だった。だんだんと頭の中で見ていた輪郭が肉付けされていく。こういう夢の思い出し方を私はよくする。
夢の中で私は小学生だった。
その頃の私は今のように異性と関わること会話することが絶無ということはなくて、もう少しコミュニケーションを取っていた気がする。からかったり、給食の牛乳を飲んでる相手に唐突に一発ギャグをしてみたり、そういったコミュニケーションを……やめた方がいいと思ったから今の生活様式に落ち着いたのか……そうか……

とにかく、夢の中の私は小学生で、クラスのみんなと下校している。
それでもって、今日はバレンタインデーだというなんとなくの認識をしている。
当時、私の小学校では学校内に菓子類の持込は禁止されていたので、放課後になるとクラスの子たちが連れ立って、チョコを持って渡す相手の家を訪問する光景が見られた。
私の場合は同じマンションに住んでいる同級生が来るかこないか、あってまあ同じ班割りで給食を食べている子たちが、「遠くからわざわざ持ってきたんだからお返しよろしくね」と釘を刺しつつ包みを渡してくるのが常だった。

そんな記憶が、夢の中ではまるで当時に帰ったかのようにくっきりと思い出せている。夢の中の自宅に帰った私は、現実と少し矛盾する間取りのキッチンへと向かい、ポカリスエットをコップについで、午後のロードショーの録画を見ようとする。
一応、暗黙の前提として、今日このバレンタインデーでは外遊びせず、なんとなく自宅で待っといた方がいい雰囲気がしていたのだ。わざわざ尋ねてきた相手に無駄足させるのを避けるためだろう。
夢の中特有の、コマンドーとユージュアル・サスペクツとダヴィンチ・コードをミックスしたような最高の映画を観ていると、チャイムがなった。

「はいはい」とドアを開けると、Jちゃんが立っていた。
同じクラスの子だけれど、遊んだことはおろか、あまり話した記憶がない。ただJちゃんという名前を知っている程度の関係だ。
「こんにちは」
私の挨拶に対して、Jちゃんは俯いたまま、千代紙を使ってラッピングされた箱を差し出してきた。
「あ、ありがとう」
そのまま俯いた姿勢を崩さず、エレベーターに向かって小走りで向かっていった。

***

「っていう夢をこの前見てさあ。確かに本当にJちゃんからチョコレート貰った記憶があるんだけれど、ちゃんとホワイトデーにお返しできた記憶がないんだよね。今更だけれど、今度同窓会とかで遭ったら気まずいよねぇ」
地元のチェーンの居酒屋で3杯目のホッピーセットを頼みながらM美が頼んでくれためざしをつつく。
「は、何言ってんの。何で女なのにチョコ貰うのが前提の夢見てるし」
「そうそう。でも夢の中だとそういう『設定』でもなんか受け入れちゃうところあるじゃん」
「それはある。前にウチはどこでも好きなところにドムドムバーガーを設置する権利と能力を与えられて、ドムドムの置き場にめちゃくちゃ悩む夢見たことが。あ。――でもさ」
「でも?」
「Jちゃん、5年生の2学期に自殺しちゃったじゃん。3学期一緒じゃなかったのに、いつチョコ貰ったの?」
「え」
私は懸命に記憶を辿る。

あの千代紙でラッピングされた箱の中には何が入っていただろうか。
当時、小学校で私は彼女にどう接しただろうか。
なぜ彼女は同性の私にわざわざチョコレートを渡しにきたのだろうか。いや。そもそも、Jちゃんがバレンタインデーにウチに来た、という記憶をなぜ私は持っているのだろうか。

押し黙る私たちをよそにして、居酒屋の中には今年のヒットチャートが騒々しく流れていた。

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