きっと明日は少し明るい

ここ数年、何だかとても生きづらい。
人に「嫌われている・悪く思われている」と感じ付き纏う不安と悲しみと自己非難、ものや考え方に対し気付かぬ間にしていた決めつけや執着。30歳を過ぎた頃から、自分には常にそんなものが渦巻いていた。

好きなものは理由なくとも好き、来るもの拒まず去るもの追わず。20代の自分が得意だったはずのそれらが出来なくなっていた。これまでの繋がりや蓄積を失くしたら人生が無駄だったと言われている気がして、我慢や違和感に蓋をし、良く見せようと去勢を張っていた。心の中では中身が空っぽな自分を卑下しながら。

最近やっと気付き始めたのは、変わってもいいということ。人間関係も嗜好も考え方も、これまで得た全てを維持する必要はない。そのためにする我慢もいらない。嫌な気持ちに蓋をする必要はないし、不快な所に近づかない選択をしてもいい。他人の嫌な部分に接したとしても、無理に応じなくていい。上手くいかなくなった人間関係を悲しむのは情けないことではないし、また機会があるのなら受け入れればいい。
きっとこれが「(自分も他人も)許す」ということ。合っていますか?

ひとつ気付けただけで光が見えた。焦らずに日々の感情に向き合い、早く鬱屈したトンネルを抜けたい。

【備考】もちろん引っかかる節が完全なくなったわけではない。例えば対人関係で今も悩ましいのは、嫌悪感を抱いているにもかかわらず表面上は全く普通に接してくださるパターン。SNS諸々で明確に気付くこともあるので、心中お察しできず申し訳なくもあるものの、出来ればどうしたいのか伝えて欲しい。
もっと許容できる器や優しさがあればいいのだが、生憎まだ十分な容量を持ち合わせていない。

#日々の徒然 #日々の気付き #許すこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?