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服を買った際、洋服オタクはどんな会話を繰り広げているのか

以前よりしばしば記事にしているアルチザンブランドや極めて汎用性の高いアイテムなどは、仕様や生地感、着心地だったりコーデの提案などその服それ自体の説明すれば、則ちそれがその服の良さの説明となる。そして、目の前のモノそのものを説明するのは意外と容易い。

ではこういう服は?

確かに目の前の服を見て特徴的なデザインについて綴ることはできる、しかしそれは何となく薄っぺらい気がする。なぜならこの服を買った理由はそういうものではないからである。むしろ洋服好きが購入したばかりの高揚感をぶつけ合っている対話の方が、こう言った服の場合は言いたいことの本質を伝えやすいのではと感じた。

以降のやり取りは親愛なるコマキ氏(@komaki1025
とのDMのやり取りをなるべくそのまま上げ、文脈的に分かりづらい部分は注釈にて私の解説を加えた。洋服オタクの熱量強めの会話で「なんか良くわからんけどこの服をこいつらは良い服だと認識している」ということが分かってもらえると嬉しい。


K:買った!?

N:買った!

K:やったー!!どうだった?

N:試着死ぬほど楽しかった!どの服もめちゃくちゃよかった。

K:わかる。バレンシアガまじで20歳の頃の服バカな気持ちになるよね。生地の重量感〜〜〜〜!!!!このダメージ最高〜〜〜〜!!!!!みたいな。青春とりもどしてる。

N:モード特有の高揚感がそこにあった。ずっぷり世界観に浸かるあ〜これ!あ〜!!って感じ。

K:ジップフーディいいなあ。

N:ジップフーディはプルオーバーよりラグいナード感出てて今っぽかった。

K:ダサいよね。それがいい。

N:間違いなくダサいのがいい(※1)。こんな服他にないもん。

※1 一般的に「ダサい」と言う語は「垢抜けてない、野暮ったい」を意とする蔑称だが、服好きの間では「計算された野暮ったさによって一つのスタイルとして確立された」という意味の褒め言葉として使われることが多い。しかしその「ダサさ」はまず市井では認知されないため「ただの野暮ったい服」と見なされる。しかし、その事実すらもこの手の服を選び着る人間にとっては好都合なのである。
今回のフーディもまさにそれ。

K:前開けっぱなしにしてフードかぶってイキリMAXでイオンモール(※2)闊歩したい。

N:わかる。近所のスーパーや家族連れだらけのショッピングセンターが一番似合うバレンシアガ 。いっそ部屋着もいける。

※2 洋服にはそれぞれ「着ていてハマるシチュエーション」というものが存在する。一般的にモードブランドの洋服はデザイン主張の強さから、日常生活ではどうしても浮いてしまう服は多い。バレンシアガもしばしばその極端なデザインが槍玉に上がりやすいが、オーバーサイズや汚しダメージ加工の存在によって、生活感が強い空間の方がむしろ違和感なく溶け込む洋服が意外と多い。逆にデートに着て行くべきなのかは考えた方が良い服だ。

K:エルダーを部屋着にする(※3)感覚ね。

N:そうそう、趣向は違うけどある意味ワンマイルウェアよね。

※3 The Elder Statesman(ジ・エルダー・ステイツマン)のこと。カシミアに大胆な染色を施したド派手なニットウェアと強烈な高価格が有名。2人ともここのカシミアニットを所有しており、筆者はここのロングカーディガンを部屋着で愛用している。

K:個人的かつ主観バリバリで言うと、バレンシアガのフーディの重厚感を肩に感じながら自分に"纏っているオーラ"があると錯覚させられる雰囲気はあの頃の"憧れのスモーキングジャケット(※4)"と近しいもののように思う。アレがあれば何とかなる、他はおよばなくてもどうにかなる。
なんもなんも足りてなくて見せつけられて嫉妬で狂いそうだけど、これがあれば何とかなるかもしれない!そういう"縋り"とか"祈り"とか、そういうのを勝手に感じてしまう。でうすさま!おらたちぱらいそさ、いきてえだ!

※4 エディスリマンが手掛けたDior hommeのスモーキングジャケットのこと。エディが確立したタイトなショート丈のテーラードジャケットにスキニージーンズのスタイルは、あらゆるブランドがコピーするなど、まさに一世を風靡して当時の若者のスタイルを決定づけた。翻って現代のキラーアイテムは何かと考えると、バレンシアガのフーディは間違いなくその候補の一つに上がるだろう。

N:ブランドの世界観にコミットして、そのアイコンを装備した時の心地よさってのはモードが一番強いね。ボロボロのフーディーではなくバレンシアガを着ていることは着ている本人が一番わかっている(※5)。間違いなく信仰による高揚。

※5 高級品を求めるモチベーションとして、他者へのアピールは確実に存在する。数年前まで大流行してきたブランドロゴを大きくプリントしたTシャツなどは、まさしく所有ブランドアピールの極北であり、虚栄や見栄の観点から主にファッションに関心が薄い人間から批判、嘲笑されてきた。逆説的だが「誰が見ても高級品だとアピールできる服を欲しがる気持ちは、ファッションに関心が一切ない人間でも容易に共感できる」のである。では、その逆「相当ディープな知識を持つ人間でなければ判別不能な高級品」をわざわざ購入し、褒められることも貶されることもなく路傍の石ころの様に見過ごされることを望むモチベーションとはなにか?最早それは信仰としか言いようがない。
トマス・ピンチョンが喝破した通り、「賄賂を受け取る警官は信用できる。しかし決して賄賂を受け取ろうとしない”法と秩序”の狂信者とぶつかったら、どうなる?」なのだ。

N:こういうモードブランドの服について語ろうとすると、服の見た目とか蘊蓄的なことがむしろfakeな感じがするのは多分そう言うことなんだろう。そこに神を見たのは自分だけなので自分語りをすることこそ誠実。

K:相対的な価値なんて無いからね。

N:そうそう、バレンシアガが薄っぺらいのも本当だし、バレンシアガがすごいのも本当。

K:絶対的主観価値観の自分語りアイテムで10人の女を抱いたとき、初めてお前はモテの意味(※6)を知るだろう。

※6 「モテ」は洋服オタクの鬼門である。他人のために洋服を選んでいないからだ。当然、「絶対的主観価値観自分語りアイテム」を着ていてもモテない。

N:実際モテが一番むずい。こんなに服を買ってきたのにどんな服がモテるのか何もわからない。
でも絶対的主観価値観の自分語りアイテムについてウンウン聴いてくれる女性は絶対に手放してはならないことはわかる。


バレンシアガとはバレない自信がある。

(ジップフーディの着画を上げてから)
K:一皮剥けた。

N:エロいよね。ようやくジップヘソまで下げることができるようになりました。

K:マーベラス!!こりゃもうオフパコDMと一緒

N:このDMやりとりそのものがレビューとして成立することに気づいた。

K:やりとりって体裁整えて文字起こしするだけで記事として成立するかも。

N:ほんとそう。多分モードブランド製品レビューの一番伝わる形だと思う。そうそう、いいねしたけどコマキさんの屋号刺繍入りパーカー(※7)めちゃくちゃカッコよかった!
あれも話聞かせて!!

※7 彼はバレンシアガのフーディーのフロントにデカデカと屋号(新宿茶房)を刺繍している。この事実だけでも彼が「ガチ」な人間であることが伝わると思う。

K:あれいいでしょー勝手にアウトサイダーコラボ。一消費者のカウンターパンチ。
"ブランドを着る"ではなく"ボディとして評価する"という精一杯のやってやったぜ感。

N:オーダースーツのネーム刺繍の現代版よね。完全に自分のモノにする。奇しくもバレンシアガが良くやる手法(※8)でカウンターするのが熱い。

K:分かってくれて嬉しい。

※8 バレンシアガはしばしばパロディを駆使して資本主義を挑発する。例えば誰もが知る企業や政治集団のロゴを自らもモチーフとして利用したり、誰もが顧みることのない土産物屋のやる気の無いプリントモチーフをラグジュアリーな生地に乗せたりする。そんなバレンシアガのフーディを「単なるボディ」に過ぎないモノとしてインデペンデントな屋号を不可逆な方法で刻印するという行いは、まさしく資本主義を皮肉りながら資本主義の権化とかしたメゾンブランドへのアウトサイダーからの一突きと言える。

会話はここで止まっている。

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