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I am dorkのチェックシャツ

このシャツについて、所有者による文章は見当たらない。だから私が書く。

見た目はただのチェックシャツ。しかし何かがおかしい。

ワイドシルエットのシャツは目下流行中で、グラフペーパーやギャルソンシャツフォーエバーのワイドクラシックなど、様々なテイストで様々なブランドが幅広い値段帯でリリースしている中でも、このブランドは異彩を放つ。

まず値段が高い
コットン生地で45,000〜60,000くらい。
先に示したグラフペーパーは20,000〜30,000台、ギャルソンシャツフォーエバーでも50,000は超えてこない中、海外メゾンブランドのコレクションピースを除けば間違いなく最高価格帯である。

そして、シャツは全て一型かつワンサイズのみ。つまり「オーバーサイズだけどだらしなくならない」ために必須とされるサイズによる微調整が無い。着用者は、与えられたバランスをそのまま受け入れた上で、どう取り回すか考える必要がある。

そして、チェック柄がレパートリーの大半を占める。柄だけで見ると所謂「オタクチェック」と大差ない。

中学生が休日に着るみたいなチェック柄

総じて、ピーキーで難度が高い服だ。

にも関わらず、特定の柄などは1週間も経たずに完売するなど結構売れ行きは良いようだ。ただし、喜んで買っていくのはよく訓練されたモードまたはアルチザンの洗礼を浴びた荒武者なので、真に受けてはいけない。

繰り返すが、「困ったらこれを着ておけば良い」的な汎用性は皆無で、非常に事故り易い類のシャツであるため、万人におすすめできるものでは決してない。このシャツを買う金でギャルソンシャツフォーエバーを購入した方が、大多数の人間にとって幸福である。

ところが、ハマる人間はとことんハマる極端な魅力は確かにあり、当の私は去年だけ3着を立て続けに購入してしまった。要するにハマったのである。

私は「本性を偽装した服」に弱い。
これは、かつて私が盛んにレコメンドしていたヴェイランスなどはその典型例であるのだが、ヴェイランスの洋服は、高い機能性や狂気じみた作り込みが見た目のシンプル、ミニマルさによって意図的にカモフラージュされており、それが製品としての魅力となっている。ヴェイランスを好む人間はミニマルなスタイルを好む以上に、そのミニマルさによって本質が見えにくくなっていることそのものを好んでいるのである。

このシャツの本質は極めて高い生地のクオリティにある。しかし、ストリートなビッグシルエットと野暮ったいチェックの存在感によって、見る者にそれを簡単には悟らせない。このシャツは、外面のインパクトの強さによって、マニアックかつアルチザンな背景を巧妙に偽装しているのである。

既製品では滅多に見ないような高級なシャツ生地(しかも総柄)を無難なシルエットに仕立てると、却ってセンスの無い金持ちの道楽感が先に立つ。逆説的だが、最も特筆すべき要素を最も知覚しにくいレベルに退かせることによって、その要素の持ち味を最大限発揮させることに成功している。
つまり、I am dorkというブランドのシャツは、90年代スケーターファッションを最高級チェックシャツ素材で再現しているのではない。逆だ。超高級チェック生地をファッションに落とし込むために、90年代スケーターファッションのフレームを利用したシャツなのである。

ソリッドな都市生活に溶け込むか、猥雑でカオスな群衆に溶け込むかの違いで、本質的にこのシャツとヴェイランスの立ち位置は極めて近いのではないか感じる。故に、このシャツもヴェイランス同様に、ある種の洋服好きが持つ歪んだ自意識への福音となり得るのだと思う。









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