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ジュディから学んだこと


今日は、久しぶりに時間を気にせず贅沢な休日。二度寝するほど転がって、友人とランチして、夕方には帰ってきて空を眺めながら音楽聴いて、買ったまま置き去りにした雑誌を読んで、ご飯作って・・・こんな時間の使い方どれくらいぶりだろか。

自分と向き合う時間が増えるほど、あのときのあの人の言葉がバカみたいに気になって、、自分の行動が情けなくなったり、未来が不安になったり、人とのつながりに疑心暗鬼になるばかりで、忙しさに日々どれだけ救われているのだろうかと笑いたくなった。忙しい時は時間が欲しいと思うのに、ないものねだり。

そんなとき、だいたい映画を見たくなる。

近くの映画館で検索したら、レネー・ゼルウィガー主演の映画発見!

19年前、「ブリジットジョーンズの日記」で夢中に、「CHICAGO」で価値観を変えてくれたレネー・ゼルウィガー。特段綺麗という方ではないと思うけど、豊かな表情が魅力的で女性はやっぱり愛嬌だなと、そして歌い踊る姿は女性の強さも魅せて力をくれた女優さん。

愛ってなんなんだろうね

愛を信じることができたなら、ジュディの人生は変わっていたのかな。

つい自分と当てはめてみてしまう。

愛を信じることができるなら、もっと人生は変わるのだろうか。

そんなことを思いながら映画を見てきた。ラスト7分。不甲斐ない自分と、映画の主人公の想いとどちらかわからなくなったけど涙があふれた。


ジュディの人生

ネタばれしてもいけないと思うので、うまく書ければと思うのだけれど・・ジュディの幼少のころの経験が何年たっても影響していると思われるような内容でした。その中で必死に戦う姿が描かれていた。

私もきっと普通の人が経験することのないであろう経験をしているほうだと思う。それにより、幼少のころの経験が思い出されて怯えることも、不安に思うことも、恐れることもある。それをごまかすために強がったり、受け入れられなかったり、迷ったり・・否定はしない。

ただ、何でもかんでも育った環境がね・・と他人に言われることには違和感がある。

なぜ心が、価値観が異なること対してそんなに理由を欲しがるのだ?「だからね」とただ自分が納得したいだけな気がしてならない。

育った環境がどうであっても、それはそれ、これはこれな気がしている。どんな人も人と関わりを持たなくてはいけないし、自分の人生を自分で歩んでいかなくてはならない。どの道を進むかを決めるのは自分だ。決めた道が舗装されていない道であったとしてもその道を今は一生懸命歩くことが大切なんだと思う。育った環境のせいにしてほしくないし、したくない。

今を作っているのは今の自分だから。

だからこそ、どう歩んでいくかを常に自問自答している。これはマジ自分との戦い。環境のせいにしてしまうことが一番楽だと思うから。この経験をバネにして舗装されていない道をどう整えていくか。

きっと少なからずその戦いをしている人はいるのではないかと思う。

話がそれたけど、ジュディは戦っていた。歩み方が不器用だったりしたけれど一生懸命向き合おうとしていた。そんなことを伝えてくれた映画でした。

最後に・・・

レネー・ゼルウィガーも50才。役作りかもしれないけど皺も増えおばあちゃんになった気がした。それでも笑顔は最高だった。歳を重ねても笑顔が素敵な人でありたい。





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