2023年7月に観た映画
7月に映画館で観た新作映画。
映画の具体的な内容について記載する部分もあるので、ネタバレ注意。
岸辺露伴 ルーヴルへ行く
原作はだいぶ前に読んでいて、かなりうろ覚え。
どこまでが原作に忠実で、どこまでが映画オリジナルの要素なのかも忘れていたが、やはり本物のルーヴル美術館を映画館の大画面で見ることができたのは嬉しい。
日本映画、劇場版になって張り切って海外ロケしたら残念な感じになる問題が時々ある気がするのだが、今回は映像がちゃんとリッチで観光映画としても楽しい。
美波のような、パリも活動拠点にしておりフランス語が堪能な人をキャスティングしているところも観客が違和感なく観ることができて良い。
『岸部露伴は動かない』の原作ではちょっとしか出てこない泉京香の存在が、このダークな物語の清涼剤のよう。
奈々瀬の不安定さと奇妙さと色気を体現している木村文乃に、オークションの札を揚げるだけで不穏な池田良に、若き露伴を演じているなにわ男子の長尾謙杜に、俳優陣がみんな良かった。
交差する過去と現在。
美術作品と映画の違うところとして、作家がその手で描いて触れた本物そのものを、観客は時をこえて目の前で見ることができるというところがある。
記憶や思い出を巡る物語と絵画は、とても相性が良いのかもしれない。
自らの運命に対峙するというテーマは、『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズでも一貫して描かれ続けているものだ。
ちゃんと字幕もジョジョ感出してたのがポイント高い。
ザ・フラッシュ
今年、いやここ数年で最も事前情報なし、予習なし、知識なしでシンプルに楽しめるアメコミ映画?
クリストファー・ノーランが『ダークナイト』などで築いたリアリズム路線と、ジェームズ・ガンが『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズなどで築いたギャグ路線が高いレベルでで交わった新たなヒーロー映画。
なんなら序盤のバットマンのアクションだけで元を取れるくらい。
全編通して笑えるのに、終盤に訪れる観客のエモーションを高める切ない展開が胸を熱くさせる。
例えば「スーパーマンを演じることが決まってたけど直前でボツになった俳優は?」「過去にバットマンを演じたことを若干黒歴史にしてる俳優は?」といったアメコミ小ネタを知っていると、より楽しめるようになっている。
ただ、こういった小ネタでカメオ出演する俳優がみな顔を知っている超有名俳優でもあるので、「なんか知らんがこの人出てきた!」とシンプルに驚く&楽しむことができる。
「タイムトラベルして過去を変えるってよく言うけど、絶対何かを変えたら何かがおかしくなるし、キリがなくならない?」とか、「とてつもなく速く動くことができる人に、普通の人である自分が一瞬で身体を動かされたら、こちらの身体は変なことにならない?」といった素朴な疑問について描いてくれるところも面白い。
一人二役を見事に演じ分けた主演のエズラ・ミラーに喝采を送るが、近年何かと問題を起こしているのと、このフラッシュが今後DCの中でどうなっていくのかまだ分からないのが切ないところ。
エズラは必要であれば適切なケアをしっかり受けて復活して欲しいし、またこのフラッシュに会いたいと思う。
犬好き歓喜の可愛い&くだらないエンドクレジットまで必見。
ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE
映画館に行く度に予告で繰り返し観たトム・クルーズのバイクジャンプ。
どういう理由でイーサンはあんなふうに飛ぶ羽目になるんだ!?と思いながらいざ本編を観てみると、まさかの理由で笑える。
あの飛ぶシーンだけ完全にドキュメンタリーになっているという…。
スパイ映画の醍醐味でもある騙し合いの面白さ、トムが全身全霊で挑む超絶アクションの迫力で、2時間43分の長尺もあっという間。
昨今の映画長くなりがち現象(大作は特に)は、倍速視聴やtiktok、ショート動画流行へのせめてもの反抗のようなものがあるのだろうか。
最大の敵がAIであるという設定も現代的で面白い。
キートンの大列車追跡、駅馬車、ランデヴー、007シリーズなど古典からこれまでのアクション要素が散りばめられた作品。
黄色いフィアットでのカーアクションや、ずっとイーサンを追いかけてくる銭形のとっつあんのようなキャラクターの存在は、どうしたってルパン三世を思い出してしまう。
新キャラのグレースも、峰不二子として見ると面白い。
ルパンとはつかず離れずな関係で、自分にとって得になる時だけ協力(利用)する。基本は自分の利益を考える。
不二子ちゃんが何度ルパンを裏切ったところで、観客はそこまで怒らないでしょう。
PART ONEといいつつ、しっかり物語をひと段落させたのも良かった。
当初はもっとクリフハンガーエンドにしていたところを、トムが止めたんだとか。
どこまでも観客ファーストなトム…といいつつ、どこまでも自分がやりたいことを自分の映画内に盛り盛りで盛り込む姿勢には、もう「私たち観客を楽しませてくれてありがとう!身体には気を付けて!」の気持ちだけ。
父親と同じくらいの年齢の人が、ただひたすらにエンターテインメントのために、全力で走っている。それだけでなんだかこみ上げるものがある。
上映前「この作品は絶対に映画館のスクリーンで観て欲しいんだ!」と、トム・クルーズと監督クリストファー・マッカリーが熱いメッセージをくれるちょっとした映像が流れたのが少し面白かった。映画館にいる観客はちゃんと観に来てるんだから、そういう映像はTVCMで流してあげて欲しい。
君たちはどう生きるか
大人になってから、宮崎駿の新作をリアルタイムで映画館で観ることができる喜び。
しかも明かされていたのは作品タイトルと1枚のポスターだけ。
ここまで何も情報を入れずに映画を観に行くことは、次いつあるか分からないレアな体験かもしれない。
ジブリ作品はファンタジー要素多めより、どちらかというとリアリズム寄りの方が好きなので、雰囲気とか作画も含め冒頭の数分(タイトルが出るまで?)が自分の中でピークだったかも。
ただ冒頭の感じでずっといくと、あまりにも前作『風立ちぬ』と同じじゃん!となるような気はする。
ただ宮崎駿が描くファンタジーは単にファンタジーでなく、まぎれもなく彼が生きてきたリアルが反映されているのだろう。
王蟲とは戦闘機の天蓋だったのか。
唯一公開されていたアオサギの絵。
個人的にはまたキムタクに声優としてジブリ作品に出て欲しかったので、あのかっこよさげなアオサギがキムタクの声帯を持っていたりなんかしたらこれはまたえらいことになりますぞと思っていたので、あのキャラクター造形は意表を突かれた。
キムタクは主人公・眞人の父親役で出演。
ジブリであの感じの父親像をやるんだということ、こういうキャラに自分がキャスティングされることの意味を考えて演技しているような上手さがあった。
実写キムタクはヒーロー的な役が多いけれど、ジブリ作品ではどこか不安定で弱さもある、言ってしまえば幼稚な部分もある男性を演じているのが面白い。
過去の楽曲ほど、そのシーンや作品そのものを食ってしまうような誰もが口ずさめる強烈なラインはないものの、作品に馴染みながら確かにそのシーンを力強いものにしており音が流れた瞬間に思わずはっとしてしまうような曲を作っている、という点で坂本龍一の『怪物』と久石譲の『君たちはどう生きるか』の劇伴は似ている気がした。
観客も一緒になって眞人と共に迷宮をさまよい続けるような物語。
でもなんだかんだラストには胸がじんとなる。
たとえ揉みくちゃで鳥の糞まみれになっても、この世界で生き続ける。
「この世は生きるに値する」
かつての引退会見での宮崎駿の言葉が蘇る。
たとえこの世界が美しいだけでなくても、汚れていたとしても、何もない「無」よりはましじゃないか。
私たちは漂白された世界を生きているわけじゃない。
それこそが人間の在り方なんだ。
これは宮崎駿の戦友・高畑勲が遺作『かぐや姫の物語』で最期に描いたテーマでもある。
『風立ちぬ』はひとりの作家の遺作としてはあまりにも完璧すぎるので、この作品があることでより人間らしくなった…と書くとなんか偉そうだが、何度も観て噛みしめたい、まだ自分が理解できていないだけの途方もない深さがある作品だと思う。
宮崎駿にはずっと元気でいて欲しい。
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