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"Who Killed Cock Robin?" 『スペンサー ダイアナの決意』

2022年10月14日より全国公開されている『スペンサー ダイアナの決意』。

※以下、作品の結末まで記載。

監督:パブロ・ラライン
2021年
117分
1991年のクリスマス。ダイアナ妃とチャールズ皇太子の夫婦関係は冷え切り、世間では不倫や離婚の噂が飛び交っていた。しかしエリザベス女王の私邸サンドリンガム・ハウスに集まった王族たちは、ダイアナ以外の誰もが平穏を装い、何事もなかったかのように過ごしている。息子たちと過ごす時間を除いて、ダイアナが自分らしくいられる時間はどこにもなく、ディナー時も礼拝時も常に誰かに見られ、彼女の精神は限界に達していた。追い詰められたダイアナは故郷サンドリンガムで、その後の人生を変える重大な決断をする。
映画.com(https://eiga.com/movie/94369/)


プリンセス・オブ・ウェールズことダイアナ(以下、登場人物の敬称略)については、イギリス王室の人で、綺麗で聡明でイギリスだけでなく世界中から今でも愛されていて、事故で早くに亡くなってしまった人というくらいのことしか知らない。
申し訳ないのだが、具体的な彼女の功績よりも先に「パパラッチに常に追いかけられていた人」というイメージの方が勝ってしまう。

そんなダイアナの伝記映画となる今作。
現在、日本では彼女のドキュメンタリー映画も同時に公開されている。

今作は伝記映画といっても、非常に特殊な作りになっている。
1991年のクリスマス休暇の3日間だけを描いた物語なのだ。
彼女が生まれてから亡くなるまでのストーリーを追うわけではない。
伝記映画定番の、エンドロール前に画面が暗転して白い文字で「●●は○○年に亡くなった。」という文章が出て本人の写真や映像が映されるようなこともしない。

こんな感じのやつ(『ボヘミアン・ラプソディ』より)
ここで満を持して"Don't Stop Me Now"が流れて
明るく終わるところがより泣かせる

最初に"A fable based on a real tragedy."(実際の悲劇を基にした寓話)という一文が入るように、想像で描かれている部分も多い。
王室内部のこと、ダイアナがひとりでいる時に何をしたか、何を話したかは正確には分からないからである。

たった3日間。
しかしその3日間のクリスマス休暇が、ダイアナにとっては永遠のように感じられる苦痛の日々であった。

いくら過去の話とはいえ(とはいえ別に50年も100年も昔の話じゃない)、英国王室の様々な「伝統」「しきたり」を見ていくうちに、観客もそりゃ付き合いきれんわという感情になってくる。今作はダイアナが主人公で、観客はダイアナに感情移入しているので尚更。
この作品に出てくるしきたりがどの程度現存なのかは不明だが、もしかしたらエリザベス2世が先日崩御したこともあり、これから何か変わっていくのかもしれない。
勿論、全ての伝統やしきたりに対して破壊してしまおう、新しくしようとは思わないが、それは本当に必要なことなのか、人として最低限の権利を尊重しているのか、ということは常に考えていくべきなのだろう。

クリスマス「休暇」と言っても常に監視され、息が詰まりそうな雰囲気の食事会、人から決められた服(衣装)しか着ることができない。しかも夫のチャールズ3世はカミラ・シャンドと不倫中。ダイアナの精神はかなり不安定な状態に入っており、2人の息子の存在だけが救いとなっている。

『スペンサー』は、そんな追い詰められているダイアナを描くことで時折ホラーやスリラー映画のような一面も見せる作品である。
上に載せたポスターの時点で、今作がただの「綺麗で素敵なダイアナさんの伝記映画」でないことは窺える。ある種の覚悟を持ったようなポスター、アートワークである。

音楽を手掛けているのはレディオヘッドのジョニー・グリーンウッド。
最近もポール・トーマス・アンダーソンの作品『ファントム・スレッド』『リコリス・ピザ』やジェーン・カンピオンの『パワー・オブ・ザ・ドッグ』の音楽を担当している。
今作では、ダイアナの心象を表すような弦楽器の不協和音が随所で響いている。
特に食事会のシーンは、音楽と映像が合わさりまるでホラー映画のようである。

ダイアナを演じるのはクリステン・スチュワート。
彼女はアメリカ・カリフォルニア州出身であるがブリティッシュアクセントで話し、ダイアナになりきっている。
今作は彼女以外をほぼイギリス出身の俳優で固めている。あえてダイアナ役にアメリカ出身の俳優を使ったのは、彼女を「外から来た浮いている人」として描くことに効果的だからではないか。

同じ手法をとった作品として、こちらもイギリス女王アンと彼女の側近となる2人の女性を描いたヨルゴス・ランティモスの『女王陛下のお気に入り』(2018)を思い出す。あの作品ではオリヴィア・コールマンもレイチェル・ワイズもイギリス出身だが、後から宮廷にやってきて物語を掻き乱すエマ・ストーンだけがアメリカ出身の俳優である。

息子たちの他に、ダイアナが心を許す唯一の存在は衣装係のマギー。
他にも、料理人、元軍人の管理人など、彼女が少なくとも人間らしい対話をすることができるのは王室の人間ではなく、館で働く人なのだ。

管理人を演じるのは名優ティモシー・スポール。
観終わってみれば、この物語は彼の存在がとても大きかったということが分かる。

『ハリー・ポッター』シリーズにて
スキャバーズ…だと思ってたのに…
の人でお馴染み

今作では時折「過去・現在・未来」についての言及がある。
ここ(王室)には未来がない。
過去と現在のみで、その2つは同じであるというダイアナの言葉が重い。
そしてまさに彼女の過去と現在が交差し、自らの首を絞め息苦しくする首飾りから、自分を解き放つまでの終盤のシークエンスは映像も音楽も胸に迫るものがある。

カジュアルな服装で息子2人と館を飛び出し、車に乗るダイアナ。
そこでおそらくラジオでかかっていると思われる曲が流れる。
マイク・アンド・ザ・メカニックスの1986年のヒットナンバー、"All I Need Is A Miracle"である。

この曲をダイアナが颯爽と車を運転しながら息子たちと歌うシーンは、こちらも爽快な気持ちになる。
この映画の中で初めて彼女が見せる、幸せそうな表情だ。
しかし、観客はダイアナが最終的に辿る運命を知っているので、一番幸せそうにしているまさに今彼女がしているのが「車を運転している」ということなのが何とも言い難い後味を残す。

ちなみにこの"All I Need Is A Miracle"は去っていく女を名残惜しく思いながら見送る男の歌である。
行きたいのなら行けよ。
君が遠くに行っても自分は全く気にしないと思っていた。
でも君は傷つけてはいけないただひとりの人間だということに、僕は気付いたんだ。
もし君に追いつくことができたのなら、この先の人生は君を愛し続ける。
僕は奇跡を待ち望んでいるんだ。
というような歌詞である。
ダイアナにとっての男性といえば当然夫のチャールズ3世だが、史実的にも今作の内容的にも、これを彼からダイアナに向けたメッセージと捉えるのは難しいだろう。
そう考えると、この曲は誰からダイアナに向けてのメッセージと捉えられるか。
ここで、今作はもうひとりのとある人物の視線から描いた物語だったのだということが密かに分かるようにもなっているのが、どこか粋である。

今年2022年が没後25年となるダイアナ。
個人的な話をすると、彼女が亡くなった1997年8月31日は私の弟のお食い初めの日だったそうで、会場の店に向かう途中、車のラジオでダイアナがフランスのパリで交通事故に遭い重体だというニュースを耳にし、無事にお食い初めを終えて帰りの車に乗ったら亡くなったというニュースが流れてきたそうだ。
勿論自分は小さかったので記憶にないが、今でも家族はその話を時々する。

多くの人々から愛され続けるダイアナ。
彼女については、その最期まで謎に包まれている。
この映画『スペンサー』で描かれていることも、想像の部分が多いだろう。
しかし、恐らく彼女が苦しみを抱えていたことは事実である。
同じ人間とはいえ、背負う歴史や伝統などまるで違う世界に生きている人々の話なので、一般人が安易に理解をしたり物言いをすることも難しい。
それでも、ほんの少しでも何かが変わっていれば、彼女に寄り添うものがあれば、と考えてしまう。
物語のラスト、館を飛び出し、ロンドンの風に当たりながら息子とケンタッキーを楽しむ彼女の姿が忘れられない。

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