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3度暖まる #いつノク

ご縁があり、観劇する運びとなりました。
41x46(フォーティーワン バイ フォーティーシックス)さんの「いつか、ある夜。ノクターン。」

HOPEでやるなら行くという、ポケットスクエア近隣住民にしかできないフッ軽ムーブ。
ふらっと観に行くために、今いる場所に住んでいるわけですから。

今作(?)は短編3作品。コメディチックなものもあらば、ほんの少し人間ドラマを感じるものまで。いずれもシットコム的な面白さを兼ね揃えています。

各回凡そ30分程度ですが、登場人物も時間相応でしっかりと各々の人柄も読み取れました。ミステリーのようなどんでん返しを狙ったものではなく、あくまでもヒューマンドラマの中でクスリと笑いつつじんわりと暖かい気持ちになれる作品が揃っていたと思います。

1作目フレンチとマニュアル

お見合いパーティーからの、レストランでの最初デート。マッチングアプリで上手くいかない人のようなギクシャクして、ヤキモキした部分かわ重なって少し笑いどころに困ったというのが正直なところ。。。でしたが、ワインが入った弥真羽の暴走までの序章であるところで一気に手のひら返ししました。こういう緩急の付け方ね!

アクセルの振り切れた弥真羽の暴走に驚く昴と、観ている自分の気持ちはシンクロし、心の中のツッコミがシンクロしたり、昴の返答が全て否定されるような形になったりして笑いが起こったりという掛け合いはお見事でした。昴に程々に同情(?)や感情移入が入ったところで、娘さんや奥様とのエピソードが入るのは、観ている側にストレスなく注いでいくようでした。

ここに収まるまでには、やはり2人のやり取りが面白く、でもどこか共感できるようなものだから成り立つのだと思います。テンプレートを噛まないように練習し、実際に言えたらテーブルの下でガッツポーズする弥真羽の可愛らしさがあるから、ワインで暴走するのも「お酒のせいだ」と共感できましたし、ツッコミつつも受け止める優しさに昴が好きになる人も多かったでしょう。

強いて言えば昴はもうちょい若いかなーと思いました…そこは自分の受け取り方と差異がありました。(物語の受け取り方が変わるほどではない)

あと、これは狙ってなのか分からないですが
最初の2人はレストランでテーブルを隔てていて、距離がありましたが最後のシーンは飛行機の中で2人並んでいました。2人の心の距離の近さを表しているのかなーと。
(某予備校の先生は、デートはテーブルで向かい合うと距離が出来るから、並んで近くに座ってテーブルの下で手を繋げと言っていました。)

2作目 Fly Me To The Moon


とあるバーでの一幕。シュッとした女性店主の小夜子のところに、少しドレスコーデをした茉莉菜が来店。この茉莉菜との会話の弾み方がまさにコメディ。押してもなんかうまく跳ね返らない茉莉菜との会話に、最初は余裕を見せていた小夜子が段々と理性がなくなっていく様子が描かれましたが。
この回は2人の行動がその人を表していると個人的には受け取ることができました。

まず、茉莉菜は「The・お花畑系女の子」という感じで、いわゆる講釈については右から左に受け流し、暖簾に腕押しだったり、挙句ため息ついてたはずなのにメンカフェの男性と会いに言ってしまう。(多分マッチングアプリはT○nder
派)
これはあくまでもセリフや話の流れによるものですが、自分がすごく茉莉菜の人間性を表していると感じたのが、小夜子がいい話をしてる時に平気で何度もスマホをいじるところ。あー、こりゃあ同じ失敗繰り返しそうだな、、、なんて思ってしまったり。
そんな茉莉菜から、小夜子の方に目を移します。1人にした方がいい時と、話してあげるまでの距離とバランス感覚や、茉莉菜の様子を見てカクテルをチョイスする所に「この人すごいな」という気持ちを芽生えさせました。この人物像は、薄っぺらい表面だけでなく、普段からどういうお客と接していて、どう経験値を積んだかを理解しないと演じれないなと思いました。最後に若干キレ気味にバッシング(片付け)をしている所で、人間味が溢れてきました。

おそらくこれが茉莉菜に近しい人では、面白さよりもイライラが勝ってしまいそうなやりとり。多分先生や上司、お節介な友達だと茉莉菜が耳を塞いでしまったり、堪忍袋の緒が切れてしまいそうでしたが、ふらっと入ったバーの店主という話は聞くし、アドバイスはするけど初対面だから程々の距離という絶妙さにより生まれた面白さだと思います、


3作目 夜をほどく

前2作に比べると、コメディ要素は薄めです。むしろ、3姉妹(かな、もえ、るい)の性格や関係性を吟味しながら、ノスタルジックな気持ちになっていくのを楽しむように思いました。
冒頭、母の三回忌の後で号泣している三女のるい。泣き方や姉との接し方はかなり幼く、その後結婚していて妊娠していると知り少しビックリ。。。この幼さだと高校生かな?とも思ってしまいましたが、泣きながらの話し方と、その後の少しシリアスなシーンでの話し方の違いは感じ取れました。最初は鼻声のような言い方でしたが、段々と年相応くらいに落ち着いた印象。

そのるいと比較すると、感情的ながらしっかりめのもえ。るいとの話し方はグーで殴り合うような応酬の仕方でした。反面、一児の母である長女のかなと比べるとやはり少し子供っぽいところもあり、いわゆる真ん中の子という印象。つまりは
かな→落ち着き
もえ→感情的でやや強気
るい→感情ダダ漏れのワガママ末っ子

という構図と印象でしたが、かなが実は腹違いの姉妹だったということを知り、1人だけちょっと雰囲気が違う理由が分かりました。かな自身もまだまだ未完成ということもわかり、3人とも年齢こそ大人ですが「母親を失った子供たち」という印象を強く感じました。だから、最後は花火で童心にかえり、恥ずかしがりながらも3人手を繋いで「帰ろう」という言葉を出したのでしょう。

実は血が繋がっていなかった系の話はよくありますが、「こういう違いがあったんだ」と気付くものは自分は初めてでした。あと、わりとこういういざこざは本人たちが子供の時に起こるものですが、大人になった3人というのも珍しいですね。
大人である理由は、おそらく前述の「でもまだまだ子供」であることを印象づけたかったからだと自分は思いました。


3作品と弾き語り

これは私の理解が違ったからですが、作品中に弾き語りが入るということだったのですね。普段敢えて情報を入れないで観劇することもあり、そこの解釈の違いに少し戸惑ってしまったことは反省。
さて、各々がハートウォーミングに終わり、その余韻に、ハラタモツさんの歌がマッチしていたところはこの作品が常に薄暗い雰囲気でいることにマッチしていました。ジャズとかではなく、どことなく歌詞も昭和のフォークソング(?)な感じがして、少し薄暗いバー(それこそ、第2部のような!)で聴いている雰囲気でした。(中野にそういうお店は知らなくて、自分としては高円寺や雰囲気だったのがほんの少し惜しい!)
最後は全員で歌うところは、1つの作品を終えたエンディング感が生まれました。正直誰一人として役者としては知らなかったのですが、それでも「知らない人が勝手に歌ってる」感はなく、心地よい雰囲気でした。

3作品とも、しっかりお客さんを掴む流れができていたので初見の人も観やすいと思います。配信なら、細かく区切って観れるのでよりよいかなと。


ほんの少しだけ暗転の長さが気になったかなと思いますが、劇場の仕様や安全面で仕方がなかったのですかね。。。あそこがスムーズにいけば、余韻に浸りながら次にいけたと思います。

しかし、三部とも演じられている方々の自力を感じました。正直お客さんも感想もまだまだ増えておかしくないなーとも思いましたので、ぜひ各話を観て頂ければと思います。

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