ズームアウト

朝はぽっぽからはじまった。

画像1

長居せずすぐに飛び立ってしまったが、ベランダの柵に留まっていた。


今日は何をしたいか考えた。

新しい山や森を歩いてみようと思った。

いつも気まぐれに自然を楽しむことにしている。

経路や難易度をネットでおおまかに調べ、お子様でも大丈夫とあったので行ってみることにした。鳩の名の入った山だ。

登り始めからかなり勾配があり、息も切れ切れになりながらも最初だけだろうとふんでいたが、山頂まで急な坂が多く、想像したよりも健脚向けコースだった。断層になった岩がごつごつと露わになっており、落葉した落ち葉でも滑らないようにと、足元に注意を払いながら、いい意味で緊張しつつ一歩一歩登った。

今日は水もカメラも持参していた。道の途中で美しい山々が見えた。息が上がったので休憩がてら足をとめて冠雪した素晴らしい景色を楽しめた。

すばしっこく動く小さな野鳥の囀りには本当にいやされたが、まだ登り始めは生活の音や経済活動のにおいがたちこめていた。

IMG_1980 たぶん白山3 ★

それなりの装備で多くの人が行き交い、道を譲り譲られ、追い越し追い越されながら無理せず自分のペースで登った。

いつからだったか空気が変わっていた。

標高は300メートルほどの山だったが、4、50分かけて山頂に着くと、その景色は違う世界に見えた。

IMG_1992  たぶん乗鞍岳か御嶽山5 (山頂から)★

山々だけ見ていると、時間や時代、惑星まで全くわからなくなりそうだった。

日本は独特の地形と雰囲気が感じられる。それは、美しく心地よく感じるものでない側のなにかも含んでいる。

人間の生活は日々いろんな情報で溢れすぎて、関心事も外から大きく振り回されそうになるけれど、山の視点から見れば、生きている間は儚く、好きだ嫌いだと言っている間にみんな卒業していく。

大きく揺れる時代に責めたくなりがちな年代の差も、本当はきっと比較や嫉妬する余地もないのかもしれない。不動の自然たちから見れば、100年は差にもならないくらい、人は同じような時期に生まれ同じような時期に死んでいくように見えるのかもしれない、ふとそんなことを思った。

目はどうしても外についているから仕方がないこともある。

ただ、人の感情というものはとても細かくて、いそがしい。

IMG_1991 中央アルプス3 (山頂から) ★

景色を楽しむというより、ぎもんがふえたような気がして、どこか上の空で来た道を降りて行った。途中三度くらい踵からずり落ちながら。下りは注意を払っていてもなぜかこうなる。

画像4

完全に下山した。少し買い物をして、もとの部屋に戻った。

なぜだろう。違う角度で見渡したあとの部屋は、もとの部屋に感じない。ほんのしばらくの間だけであるが。そう、数時間も経てば、そして、いつもと同じような行動をすれば、いつもの部屋に戻る。

カメラに収まっている風景があるから、確かなことがある。


それでも今日見た小さな山からの景色は、癒されるというよりかは、言葉にできない時間のなさのようなものを感じた。そして、視野をひいてみたら、こんなに偉大な自然にみまもられて暮らしていた。

一羽のぽっぽさんのおかげで出会えた異世界といっても、過言ではなかった。

体と相談しながら、動けるうちに自然を見て回りたい。

例外なくちゃんと死という卒業がいつかある。

そう改めて感じた日だった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?