長い耳の帽子

たまにはお洒落したくて街に繰り出した私は、大通りから入ったとある小路の一番奥の、今まで入ったことのないお店の前で立ち止まった。個人でやっている小さな帽子屋さん。そこで、珍しい帽子に出会った。

濃いマゼンタ色の、つばの広いハットに、太いうさぎの耳のようなものがくっついている。耳に魅かれ、そっと軽くかぶってみた。すると、さっきこぢんまりとしたお店の中に入ってしいんとした空気だったのに、何かの重なる音が体中を巡り聞こえている。

びっくりして、ハットを外してみた。すると、店内はお店の人と二人だけの静かな空間に戻る。再び帽子をかぶってみた。やっぱり言葉にならない音がどこからともなく響いていた。

「決めた」。かぶったまま、お店の人にお礼を言って、扉を出て家に帰った。

お月様が夜に隠れる日までこの帽子をかぶって暮らしてみて、わかったことがある。ここからは予想。この帽子には特徴があって、まず人の耳よりもいろんな声をよく聞き取る。遠くも近くもごっちゃまぜで、かぶった人に隈なく伝えている。街中に出て行くと伝えなくていいことまで伝えてくる。

一番気に入ったのは、早朝の森の中に入れば、無数の音が鳴っているにもかかわらずとてもリラックスできること。まるで、深い音の森林浴をしているような。鳥でも虫でも、木々でも朝日でも小川でも、どれでもなく全ての音だった。

ある日のよく晴れた午後、たまごとフルーツの2種のサンドイッチ、ポットのミルクティーをバスケットに入れ右手に提げて、行きなれた森の開けた所で、長い耳の帽子とピクニックに出かけた。

くつろげる布をふわりと広げ、風で飛んで行く前にお皿と茶器を並べ、サンドイッチを置いてティータイムを始める。眠そうな色のミルクティーが、ピンクの花柄のティーカップにこぽこぽと注がれる。

すると、急に強い風が吹いて、かぶっていた長い耳の帽子が煽られた。あわてて腕を伸ばしても間に合わず飛んで行く。立ち上がり追おうとすると、帽子はあろうことかぴょんぴょんと地面を高く跳びつつ追い風に流れるように、あれよあれよという間に森の奥へ消えて行った。なぜかそのまま立ち尽くし、しっかり見届けていた。

風は穏やかに戻り、ミルクティーの湯気はのんきにゆらめいている。呆然としながらもお腹は鳴るので、ぺたんと座ってたまごサンドを一口。フルーツサンドも頬張る。甘い、瑞々しい、酸っぱい、ふわふわ。ミルクティーをごくりと飲む。茶葉の香りとまろやかな味が広がる。

そのままお日様が少し傾くまで読書をして、軽くなったバスケットを左手に持ちながら、ひとり家路についた。

ふと、玄関の前の小さなかげに気づいた。長いふさふさの耳が床に横たえており、まるではしゃぎ疲れて寝入った子供の様に見えた、長い耳の帽子だった。

手にした荷物をそっと置き、両手でつばを持ち上げる。耳の土埃を軽く払ってやると、ぐにゃりと身を預けてきた。思わず私は、私も誰も知らない歌を口ずさみながら玄関を開けた。


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