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安いと欲しいが混同したり、欲しいが抑えられない話

こんばんは。

まだまだ暑く、暑さにやられ逃げ帰る盆を過ごしました。
どこから帰ってきたかですって?
お買い物からです。

買い物はもはや、冬の準備を始めています。
冬物が市場に出回り始めたので、唾つけて回っています。

まず、あったか家電。
「とりあえずUSB電源で、何にでも電熱通してあったかくしときゃええんじゃろ」的な節操ない感じが好きで、使ってみたくなります。

そんで今年もまたひとつ、ウール製品をコレクションしました。早めにね。
やっぱりコールドブレーカー。付けタートルみたいなネックウォーマー買いました。2022AWのものだったので、半額以下でした。


安いと欲しくなる

「半額以下でした」と、ドヤッと書いていることにお気づきでしょうか……。

羊さんには喜んでふさわしい対価を差し出したいと思っているのに、安いと、嘘偽りなく心の底から嬉しい。

盆休みの間、こんな感じでやたらと安くなっているもの、安いものを探して買い回って、えらいことになっております。

そんなわけで今日は、バカスカ安いモノを買ってしまう自分を掘っていった内省の記録となります。問題解決ではなく、問題は何か探ろうとする過程の記録です。
長くなっちまった。

高いものは買いません。
背伸びすれば、または、すぐ手に入るようなものが欲しくなるんです。

想定よりも安いと、興奮して、頭がカーッと熱くなり、「今すぐに手に入れなきゃ損だ!」の思考で染まります。

困ったことに、欲しくなるのは「もともと欲しいもの」とは限らないのです。
「意識にも上ってなかったもの」、「初見で無いなと判断したもの」、「定価なら絶対買わないもの」でも、病的に手に入れたくなるんです。 
手に入れた後のステキな生活の妄想が止まらなくなります。

こうなったら、どう宥めても、内なる自分は納得してくれません。
決済ボタンを押そうとイキリ狂う右手を、アシタカが如く左手で物理で押さえなければなりません。

さらに困ることには、この買い物衝動には、ブームがあります。
ある月は美容グッズを、他の月は漫画を、別の月は技術書を、といった塩梅で内なる流行が切り替わり、毎月律儀に同額程度お金が出てゆきます。
おかげさまで、預金残高はいつでも横ばい、厳密には微減で緩やかな下降線を描いています。低水準のお金のホメオスタシスかよ。

購買アトラクション

どうやら、理性で欲が御しきれていないようなのです。

「これ…お得なのでは?」と頭が判断した瞬間、「買っちゃえばぁ〜?」と白石由竹の顔した私が、脇腹のあたりからぬるりと出てきて見上げてきます。
そしてまんまとシライシ(私)の言うがままにカードを切ります。
買った後は、不安と興奮がないまぜの、なんとも言えないアドレナリン放出状態のピークを迎えます。

「安いの見つけた!」から、
「他の人に買われてしまわないやろか、買わないと損してまう!」というドキドキ感、
「買ってやった……買ってやったぞアハァ!」と、夢野久作世界の後先考えず金出して破滅するクズ男の独白のようなものをして、最高に「ハイ!」ってやつだ状態に。

この一連の興奮ホルモンが好きでしょうがないんだと思います。我ながら滑稽です。
これが、欲を理性で抑えられない阿呆のワークフロー。世界一不要なフロー。

なお商品が家に来て、もしくは持ち帰って終わりではない。思い描いていたステキな生活が始まるかというと、時と場合による。
ステキな場合もあるから厄介なんです。再び「購買アトラクション→使用しての感動と快適」の体験を求めてしまうのです。

我慢ができないし逆境に耐えられない

欲を抑えられない問題は根深い。
実は最近思い出したんです、「我慢が効かない」性質を長らく抱えてたってことに。
過去の記憶が、芋蔓式に出てきました。

幼い頃から、「お前はわがままで我慢ができない子だね」と、両親祖父母きょうだいどころか、保育所や学校の先生、学友にも言われてきた記憶です。

それに対し、「私はわがままでも我慢ができない子でもない。どう考えても状況の方が理不尽だから、我慢しないで要望を押し通す。逆になんで分かってくれないんだろう。」と感じていたことも、思い出しました。

過去形なのは、これが自分の困った課題だと全く思ってなくて、堪え性のないやつだと言われたことすら忘れていたからです。

そこまで思い出して、
「そうか、我は、逆境とか、不利とか不快とか不便と思う状況に耐えられないんだな?
損するかもしれない状況を恐れてるんだな?

だから欲しいと思ったら後先考えず買って支払いに苦しむんだな?」
となりました。
(さらに言うと、なぜ損するのは怖いのか?とか、もっと掘れる気はする。)

我慢力の低さには定評がありますし、嫌なことからは極力逃げて生きています。

世の中は、我慢し耐える人の方が多いので、「我慢をやめて解放してみましょう。嫌なことはやめましょう。きっと良くなりますよ、幸せになれますよ」、という自己啓発で溢れています。
私が同じようにしても、全く意味なかったんだ!だって我慢してないもの!

たぶん、「我慢しないなんて、そんな、世間様に迷惑かけることなんて怖くてできない!」とか、「自分が耐えて引き受けないと!」と思う慎まやかで謙虚で忍耐強い方々が、自分を縛る殻を破り思い切ってやってみるプロセスに意味があるのであって、

元々自己中心的で自由で、我慢もしないけど、でもなぜか不幸せを感じる我のような人は、別の殻を破らなくてはならないのかもしれません。
「損を味わってみる」とか。

ただし強欲自体は悪いことじゃあないと思うんです。
「あの人ごうつくで嫌らしいワ」とジャッジする人も中にはいるかもしれないけど、それはその人の問題。

なぜ安いものなのか

どうせ欲しくなるなら、廉価の代替のものではなくて、しっかりしたものが本気で欲しくなってもイイのでは?と少し思います。
本音で欲しいものがあるのに叶わないから、安いちまちましたものを買っちゃうんです、ほとんどの場合は。

ずっと理想や憧れに追いついていないので、近いものを欲しがって、当然それそのものではないので満たされなくて、また新発売のなんか近しいものを買うという無限ループ。
理想の環境に自分を置けてない己への無力感を、多分その度味わってるのかもしれません。

原因となる、ショッピングサイトを見ない、目的なく街をぶらつかない、はできたとしても、インスタを見ない、はできそうもない。
世界中の猫を見るためにアカウント作ってますからね。

しかし、一般論である「我慢する、忍耐する、そもそも機会を遠ざける」って、ほんとうの答えなのかな??と、なんだか腹落ちしてないんです。
これからどう良くするか?
ぜんぜんわからない。


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