【一人読書会】道徳の系譜学 第12回 第二論文開始
ニーチェ著・中山元訳「道徳の系譜学」(光文社古典新訳文庫)の読書記録。
以下本編開始。
第二論文 「罪」「疾しい良心」およびこれに関連したその他の問題
一 約束する動物
早速だが、引用から始めよう。
ここで逆説的と言っているのは、当時有力だったイギリス風の道徳仮説に対しての批判が含まれているからだ。
イギリス風の道徳仮説は次のようなものだ。
利他的な行動をしたときに、その恩恵を受けた側の人間がそれを賛美して「良い」と言った。しかしそのようなことが繰り返しあったため、その起源を「忘却」してしまった。そして利他的な行動が即「良い」ものとなった。
「忘却」こそが道徳的「良さ」の起源である、とイギリス風の道徳仮説は主張するわけである。
しかしニーチェはこのような「忘れっぱさ」の受動性を否定する。受動的に何度も繰り返すことで起源を忘れるなんてことはない。
ニーチェは「忘れっぽさ」を能動的で、積極的な抑止力であるとしている。これは何のことはない、全てを意識の俎上に上げると脳のキャパシティが超過してしまうから、ある種の精神活動は意識に上らずとも行われているということだ。ニーチェはこのような能動的な「忘れっぽさ」は人間の愚かさを形容するものではなく、人間の幸福のための必要条件だとしている。次を引用しよう。
このような健全に生きるための「忘れっぽさ」に対抗するように育て上げられた能力こそ、「記憶」である。
「記憶」は約束を守るべき領域に対して力を発揮する。この「忘れない」力は受動的なものではなく、能動的なものだ。「私は望む」・「私はなすだろう」という意思がそこに現れている。
先ほどの引用で、「忘却なくして現在はあり得ない」とあった。これは逆に、「記憶」によって現在は消失してしまうとも言えるのではないか?
まず「記憶」は端的に過去だ。そしてそれを記憶しようとする意志は、約束することでこれから得られる利益を予期するものであり、これは未来だ。約束する人間は現在を生きておらず、過去と未来を生きている。
ニーチェはさらに約束を守ることに何と多くの前提が必要なのかを列挙していく。
必然性・偶然性の区別、因果的思考、未来を今のように捉えること、目的と手段の把握…。
この節の最後も引用しよう。
約束は相手だけを縛るのではない。相手と自分を対等に捉えて約束を結ぶとき、自分を約束を守れる存在となる必要がある。となると自分も約束に縛られる存在となり、それにより未来の自分に重荷を背負わせることになる。
今回はここまで。
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