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目覚まし時計

    若い頃から眠りの国の王子であった私は、アルバイト先の同僚からよく目覚まし時計をプレゼントされた。今振り返って、マジで頼むから遅刻だけはやめてくれ、というSOSだったと推測するのは容易だが、当時は、誕プレサンキュー、渋っ、木目調のデザインイカすやん、ハイセンスだね。なんて、時計に内蔵されているアラーム機能を使用する事無く部屋に飾って放置、相も変わらず時間にルーズな日々を送っていた。私は良い人間ばかりに出会って来た、because  あまり怒られる事は無かったからである。みんなありがとう、優しくしてくれて。

    私が目覚まし時計を使い始めたのは、社会人になってからの事である。遅刻は駄目だ、時間とお金にルーズな人は信用出来ない、信用、信用、信用第一、という暮らしに胸を躍らせて初めて就職した会社は始業時間には厳しく、就業時間にルーズな経営方針であった。なんっっじゃこの会社、毎夜毎夜、残業エレクトリカルパレードかまして来やがって、ファッキン出勤、やってられるか、と、時計をぶん投げて有給申請を取り、一日中泥のように眠って罪悪感と共に目覚め、投げた時計を元の位置にセットして、また真面目に働くというエンドレスラビリンスに迷い込み、一体私は何の為に働いているのだろうかと自問自答、誰の為、お金の為、生活の為、あぁ、受注、発注、納期、納期、品質改善、山積みの書類、社長がお金を持って逃げました。

    最も重要な決定とは、何をするかではなく、何をしないかを決めることだ。と、スティーブのジョブっちゃんは言った。私はこの言葉の解釈を間違い、二度と就職なんてしないという選択をして暫くの間、毎日を自由気ままに暮らしていた。たまに依頼されて何処かしらに絵を描いたり、イベントでカフェブースを出店したり、何処ぞでライブしたり、よくわからない事で小銭を稼いでいたのだがそんな生活も長く続かず、今はまた勤め人に戻った有様なのである。とほほ。

    どうやら私は人生に対して目を覚まして考える必要はあるのかも知れないな。

    なんつって。寝よ。


↓  心の洗濯でもしようかね。


ではまた。おやっすぅ。

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