猫が好き
タイトル通り猫について書いてみる。私は猫が好きだ。
好きとかそういうレベルを通り越して依存かもしれない。
種族「猫」ならどんな猫でも可愛いし、猫の世話をしていない私に存在価値などない。と割と本気で思っている。
幼児の時、祖母と散歩していたらなぜかついてきてそのまま家に居ついた茶トラが猫との出会いだった。
まだ昭和の田舎、元ノラのヤツは外飼い猫として母宅と祖父宅を自由に行き来し、どうやらよそでもご飯をもらったりネズミや雀を捕まえていた。
天気が良くて暇な時は大体家の門柱に鎮座してスフィンクスポーズで見張りをしていて、機嫌が良ければ撫でさせてくれた。
とても自立心と警戒心が強く賢くて、お腹を出して寝るようなことは絶対になかった。
小学生の私は2人暮らしの親と合わず、学校でもあまりうまくいっていなかったので、猫の頭やあごを撫でながらあんまり小学生らしくない愚痴を延々と猫に聞かせることになった。
猫は撫でられるのに飽きてどこかに行くまでは黙って付き合ってくれた。
中学に進学する前にその猫は猫エイズで亡くなった。しばらく泣き暮らした。
その後、近所の人が飼っていた猫が妊娠し、子猫をもらった。
とてもかわいい子だったけど、近所の悪ガキに髭を切られて交通事故に遭ってしまった。
そのことを考えると今でも心が苦しくなる。
悪ガキがどこかでひどい目に遭っているといい。
病院に連れて行ったけど後ろ脚に障害が残り、普通に過ごすのは難しくなったので祖母が面倒を見ると言って引き取った。
その時の環境でできる限りのことはしてくれていたと思うけれど、あまり長生きさせてあげられなくて申し訳なく思う。
生活から猫の気配がなくなってから私は精神的な調子を一気に崩した。
どうにか実家から離れて一人暮らしをするようになって、職場の上司に「知り合いが保護した猫が妊娠発覚して子猫の貰い手を探している、居なければ保健所…」と言われ、一も二もなく引き取った(当時のアパートのオーナーが家賃さえきちんと払ってくれれば住人の属性その他はどうでもいいという方針で助かった)
ミルクから育てた猫はそれはそれは私に懐いてくれた。愛着障害になるくらいに。
私のメンタルの調子は常にいいとは言えなかったし今でも良くはないけど、自暴自棄になりそうになると「私がいなくなったら誰が猫の面倒を見るのか。飼い主の責任を放棄する気か」という考えが頭をもたげて踏みとどまった。
母に散々文句を言われてもやめなかった煙草も、外で吸って帰ってきただけで猫が眉間に深い皺を寄せて私に近寄らなくなるのを見てすっぱりやめた。
健やかな生活とまではいかなくても、猫の世話をする人間が大きく体調を崩すことがないように留意するようになった。
常にゼロ距離ストーカーで本当に猫なのか、と疑ってしまうような猫だったけど、死ぬときは気高く猫としての生を全うしていった。
平均寿命にはちょっと足りなかったけど、子猫の時から猫風邪の咳発作に苦しんでいたのによくがんばったと思う。
かかりつけの医師と相談して、自宅のお気に入りの場所で最後まで過ごさせてあげられてよかった。
死期がなんとなくわかっているのに土壇場で病院に駆け込んで、つめたい診察台の上やケージの中で死なせるなんて絶対に嫌だった。
それからすぐ猫友に声をかけまくり、猫が亡くなって1か月半で新しい猫を迎え入れた。
猫がいない生活、無理。考えられない。体調もメンタルもズタボロになる。すべてのモチベーションが死ぬ。無理。
私の生活になくてはならない人間は存在しないけど、どんな猫でもいいから部屋には絶対に猫がいてほしい。
猫がどんな見た目でも、病気があっても、懐かなくてもいいし触らせてくれなくてもいい。とにかく部屋のどこかに居てくれるだけでいい。
そしてせっかく猫が飼える環境に居るのに猫を迎えないなんてもったいない。
一人暮らしで車もないから、災害時など何かあった時に抱えて逃げられるように一匹だけ。
保護してみたものの先住猫と相性が悪くて同居させられず、とっくに成猫になっているので貰い手が見つからない子がいる。あらゆる猫に喧嘩を売るので単頭飼いしてくれる人を探している。別宅で面倒を見ていて、このまま世話できなくもないけど夫の体調不良もあって自宅との二重生活にちょっと疲れてきた。よければ貰ってくれないか。という猫友の話に飛びついた。
保護団体は一人暮らしの譲渡希望者にはおそろしくハードルが高いけど、猫好きネットワーク内での「今まで猫を飼っていた」「一人暮らしだが猫を最後まで看取った」人への譲渡基準ははっきり言って甘々ゆっるゆる。ありがたい。
今は健康でちょっとビビリな2歳オスのキジトラと生活している。
私の世界は猫を中心に回っている。