名越正生のドハマり人生 -ゴミ溜め職場での奮闘から長期成長株投資に思い至るまで-

2018年を追加しました。

■1970年 富山県にハマる

 朝日町のド田舎で心身ともに豊かな小学生生活を送り、多分この時に今の自信過剰が育った。中学1年の時、同級生のアソコがボサボサだったことにショックを受け、悩むことを覚える。

■1991年 ゴミの掃き溜め部署にハマる

 富山高専を卒業し、特に夢もなく県内有数の中堅機械メーカーへ就職。ゴミの掃きだめのような職場に配属されるも、何故か居心地は良く奮起する。(就職した会社は素晴らしい会社です。当時の一部部署のお話です)数年で全員ごぼう抜きし、掃きだめの中では一番のエース設計者となりチヤホヤされたが、あるとき総務部の係長に「何いい気になってるの?お前は決算書読めないだろ?」と図星を食らう。奮起して財務諸表の勉強を始める。最初は損益計算書と貸借対照表がくっきり切り分けられず苦労。
 詳しくは書けないが、当初は「これ以上最低な職場はどこにも無い」と謎の自信を持っていた。

■1997年 PPTプレゼンにハマる

 不況のさなかに技術営業に抜擢され、社内で初めてPPTのプレゼン資料を作って営業回りをし、注文を取りまって潰れる予定だった事業部を救う。適当なでっち上げでもPPTに描けばお客様は信じ、そのでっち上げが実現できるのだと、またも謎の自信を深める。

■2002年 大前研一氏にハマる

 論理思考とか道州制議論などが格好良いと思い、「平成維新フォーラム」という電子町内会に入会するが、何を間違ったか「僕は道場やぶりです」と宣言し回りから失笑される。その後は、次々と現れるインテリ雑魚を切り倒し続けディベートの経験値を積む。この時、ネット上の喧嘩殺法にやたら強くなり、3-4人同時にかかってきても怯まなくなった。

 やりたい放題していたら、最後にはラスボスの大前氏に「お前、俺に勝ったつもりでいい気になるなよ、お前は所詮井の中の蛙、書生なんだよ!悔しかったら起業して成果を挙げてみろ!」という奇妙な罵声を頂いたところで卒業とさせてもらった。(ネット上の罵声は3回ぐらい貰った)ちなみに大前さんはあちこちで罵声を浴びせているとの事だった。(今思えば期待されていた証拠だったのだろうか?笑)

■2003年 結婚にハマる

 苦手を克服し?重慶の女性と結婚。純粋な日本男児としての生き方を捨てる。このころからサラリーマン人生がほとほと嫌になり、毎日トイレで1時間ぐらい昼寝するも、あれは誰にもバレていなかったはずだと、謎の自信を今まで持ち続けている。

■2005年 父他界・セミリタイヤにハマる

 父がほぼ突然他界し脱サラ。相続した株式会社ナゴシがラク過ぎて週休5日のセミリタイヤ生活開始。目覚まし時計が不要な生活は天国だった。そのお気楽さに驚愕し、激しく辛いサラリーマン人生は何だったのか?と人生の走馬灯が走る。財務諸表が読めたことが家業に生きる。但し極つぶし人生の開始でもあった。適当に日本株で相場を始めるがぱっとせず。

■2006年 地域づくりにハマる

 区の体育協会理事長を預かったり、有害鳥獣協議会で全国初の試みをしたり、産業用無人ヘリで農薬まいたりと、様々な地域づくりに精を出す。とやま起業未来塾で2期生として学び、地域づくりリーダー養成コースを卒業。地域に尽くすことを天に誓う。

■2007年 呉雅俊さんにハマる

 ところがそこで出会ったベンチャーキャピタルの呉雅俊氏(TUNAMIネットワークパートナーズ 代表取締役)に出会い、「お前は富山のビルゲイツになれ!」「とりあえず10億を目指せ!」と奇妙な発破をかけられて、そのまんまマインドセットしてしまった。謎の自信に満ち溢れ、のちに起業を決意し富山県を去るきっかけになった。

■2007年 金融危機にハマる

 「ビ・ライフ投資法人」の信用買いしたところで金融危機に襲われ、監査意見が出ず倒産同然となる。これは資金全部吹っ飛びかけ自殺もありえるか?となった後、運よくダイワハウスに買収され九死に一生を得た。しかもついでに負の暖簾を獲得し、株価はゆるやかな爆上げ基調に入った。そのまま持っていればウハウハになれるはずだった。

■2008年 上海で起業にハマる

 上海でFE-MOVACを起業するため、潔く株を損切りして事業につぎ込み、晴れて預金ゼロ付近へ。誰もが「あいつは中国人に騙されているだろう」と陰でささやくが合弁会社は一応成功まではこぎつける。この時、未上場企業への投資と海外での経営の観点から包括的な投資知識を深めた。

 上海では多くの人が不動産投資に勤しむ姿に絶叫。何かが間違えていると思ったが、実は間違えているのは日本だと気付く。
 作ったのは、以前お世話になった中堅メーカーのライバル企業だったため、県内では極度の顰蹙を買う状況になった。

■2015年 不動産にハマる

 事業が軌道に乗った勢いで家を建てて、日本暮らし復活。但し再び預金ゼロ付近へ。日本で賢く持ち家不動産を運用するにはどうすればよいか?を研究し、多少だが不動産視点での投資知識を深め、より多角的に投資を見つめられるようになった。

■2016年 広瀬隆雄氏にハマる

 アナリストって本当にバカばかりなんだろうか?と疑問に思い、未来予想を当てているアナリストを過去に遡って探してみた。そしたら、広瀬隆雄氏が8月の人民元切り下げをほぼほぼ言い当てていたことが分かり、感動し、すぐ創設初期のMarket Hack Salonに入る。
 しかし、あまりお金がないうえに会社の増資が決まってしまい、投資資金がないのにいる意味は無いと思い4か月で退会する。

■2018年 公園の除草にハマる

 日本の不動産運用はどこか間違っている。諸外国では住む家が最大の不動産運用になりえるのに、日本ではまるで負債のように考えなくてはならない。これは何故かを考えた。原因は日本政府か?否。考えに考えた末に出た結論とアクションは、公園の草をむしる事だった。日本の町内会は町内の景観に無頓着すぎる。つまり我々自身が不動産を駄目にしているのだ。

 米国も中国も、町内の景観への気配りは日本との比ではない。とても綺麗。だから、草の根の一環として、僕は草むしりから始めなくてはならないと思った。このことを本気で町内会で発言したら、「そうだねぇ~、1坪1円ぐらい高くなるかなぁ?」と失笑された。だが、得をするのは全員だ。全員にとって良いことは僕にとっても良いことだとの信念は変わらず、最初は4つの公園の全ての除草を行っていた。しかし体がもたず2つに絞った。既に3年間、毎週1、2回、町内の二つの公園の除草を続けている。僕の住む町内は最高の町内だと、誰にでも胸を張って言える。そして良い町内の不動産価格が上がるのだ。町内には300軒の新築がある。一軒に一万円資産価値が上司だとすれば、僕は300万円を稼いだことになる。これを謎の自信と片付けて欲しくない。

■2019年 藤野英人さんにハマり、泣く

 投資はインデックス投信が良い、アクティブは駄目、という考えが主流になっていることに疑問を持ち、異なる考え方がないか探すと、ひふみ投信の藤野英人さんにぶち当たった。考え方に感動し本を読み漁る。富山県出身なので、いつか近づけるチャンスがあるかも知れないと、この時もまた謎の自信に溢れていた。

 ある日、朝日町に藤野英人さんが朝日町に拠点を作り講演を行う事を知り、やはり奇跡は起こるのだと、千載一遇のチャンスを逃すまいとお近づきになる方法を考え始める。
 講演の時、質問時間に手を挙げて渾身の「ヒダラとコマイでダラ・コンマイ」という、あのときのお堅い雰囲気を粉砕する渾身のダジャレを披露し、これが場を柔らくしウケた。イケるぞと謎の自信は更に深まる。何度か講演するたびに質問をして、顔と名前を覚えてもらうために必死になる。

 そのうち、Facebookでは時々「いいね」をくれるようになった。しかし秒速で来ることが不思議だった。彼はイイねロボットでも雇っているのかな?と疑問に思い始める。有名人は違うなぁと。多分、彼は文章をろくに読んでいないと思った。こうやってファンを増やしているのかな?と邪推した。

 それもあってある時、Facebookで手抜きのコメントをした。すると突然、藤野氏から激しい叱咤を貰う。文章の内容は細かく読まれていた上に、無理難題な宿題を出されたのだ。「なんで俺が?公衆の面前で?最悪に運が悪い。あんなこと書かなければ」

 その時、あろうことか、ふてくされてしまった。そこで「どこが逆鱗に触れたのですか?」などと適当な返答をすると、今度は更に激しい怒りでもって「お前は俺に近づくな!」という趣旨のコメントがきて、3日間寝れなくなった。夜中の2時に、よく考えた末の、永遠の絶交覚悟で自分に正直な回答を書いた。僕の答えは、藤野氏にではなく本当に相対するべきFacebookの第三者の皆さんにお詫びすべきだ、という結論だった。いつものごとく、藤野氏よりほぼ即答で「一緒に朝日町をよくしていこう!」とコメントが来た。意外な内容に、上海のホテルで大人泣きしてしまった。

■2020年 再び広瀬隆雄さんにハマる

 コロナ禍が来ると、「これぞ天からの恵み」とばかりに相場欲が湧き、念のためお金をかき集めてみると何故か結構あったので本格参戦。今度ガッツリ相場やるなら米国株やると決めていた。なにしろ金融危機暴落のリバウンドは米国株が抜群に良かったからだ。それならばという事で2月にMarketHackSalonに応募したら、待ちが長かった。どうせ暴落が来たら辞める人が続出するからすぐ入れるだろうという謎の自信は健在だった。3月に本当に暴落が来て、無事MarketHackSalonに入会。話を聞いていると、自分の投資のやり方は滅茶滅茶だったと認めざるを得なかった。むしろ逆をやれと言われた。グロース株をメインに、テーマ株、シクリカル株、いろいろ型を教えてもらったが、しかしバリュー株投資については(それを教える事については)あまり積極的ではなかったと思う。

■2021年 勝てるバリュー株(長期成長株)の研究にハマる

 セミリタイヤ経験、起業の経験、不動産購入の経験により、株式投資は人生の全期間を一つの投資スタイルで通せる保守的な資産運用こそ王道だとの確信に至る。グロース株投資からは距離を置き始める。また、インデックス投信のリスクの大きさを問題視し、もっとリスクを小さくする方法を模索し、長期成長株投資を思いつく。標準偏差分析により、S&P500よりもリスクが小さくリターンが大きい銘柄をスクリーニングする手法を開発し、S&P500及びS&P400(MID)の延べ900社を全てスクリーニングし、ランキングを作成し、それに基づいた投資スタイルを模索し始める。長期成長株投資は絶対的な王道だ、との自信はマックスとなる。

イマココです。

未来へと続く。

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