ブルシットジョブを減らすための方法が参照元の本の主張と矛盾してないか?

誰も見ない書類をひたすら作成するだけの仕事、無意味な仕事を増やすだけの上司、偉い人の虚栄心を満たすためだけの秘書、嘘を嘘で塗り固めた広告、価値がないとわかっている商品を広める広報……私たちはなぜ「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)」に苦しみ続けるのか? なぜブルシット・ジョブは増え続けるのか? なぜブルシット・ジョブは高給で、社会的価値の高い仕事ほど報酬が低いのか? 世界的ベストセラー、デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』の訳者による本格講義!

上記のサイトより

クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)というキャッチ・フレーズだけが有名になってしまった参照元の本

ちょっと前にヒットした本に『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』というのがあり、本のタイトルがあまりに目を引くものであったにも関わらず、読んでない人が多かったのではないか。かく云う私も読んだけど内容を忘れてしまったので、本書でおさらいしようかと思ったのだけど、この本は参照元を忠実に解説したものかと思いきや、そこから著者の持論が広がっていくという構造になっている。

著者の歪んだ思想が垣間見える

上記の帯文で例に上がっている仕事なんかが全てどうでもいいのかと言われると、うーんと明確に言えないところもある人もいると思うのだけど、著者にとっては秘書とか広告業界に勤める人間とか、もっと云うと、金融業界全般とかほぼ全てをクソどうでもいい仕事扱いをしてくる。他方、価値のある仕事は何かというと、低賃金で働くエッセンシャルワーカーとかをいい、それらは社会的な価値と賃金が反比例するというよく分からないものも持ち出してくる。この手の話にありがちな大学教授は後者に属しているというのだけど、これは価値観の違いなのだろう。
さらに、ネオリベラリズム批判やら大学改革批判もしているのだけど、これはもはや著者の持論が炸裂するだけのものになっている。

参照元の本と矛盾することになってしまった本書の主張

ブルシットジョブが蔓延しないためには働くこと自体に価値をおくことを見直そう、ブルシットジョブをやるくらいならベーシックインカムで十分というのが参照元の主張だったような記憶だが、この本ではその主張にマルクスの労働価値説かなんかを付け加えてしまい、皆が働くこと自体は否定せず、でも、金融業とかサービス業とかは社会的価値がないから無くしましょうみたいな主張になってしまい、え? 結局は行き着く先は皆でエッセンシャルワークでもやるの? それって、歴史的にみたら大惨事を引き起こした毛沢東とかポルポトとの思想と同じじゃないかと薄寒くなってしまった。

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