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日本の英語教育は間違っているのか

こんにちは。
以前「オンラインサロンから考える宗教とは何か」という記事を書いた際News Picks(ニュースメディア)の「The UPDATE」という討論番組を参考にさせていただきました。


その番組のテーマの1つに「日本の英語教育は間違っているのか」という非常に興味深いトピックがありましたので紹介したいと思います。

ゲストは以下の通りになります。(敬称略)
岡田祥吾(プログリット代表)
米本学仁(ハリウッド俳優)
岡田兵吾(マイクロソフトシンガポール)
水野稚(プリムスアカデミー)

日本の英語教育は「受験に合格するための勉強」や「実用とかけ離れた英語」と揶揄されれることが多いですし、私自身もその意見を否定できません。

しかし今回の「The UPDATE」では様々に評価される日本の英語教育に対しての意見や改善点について議論されていましたので、紹介していきたいと思います。

「日本は世界で最初に英語を自ら受容した国」

水野さんが中学英語がオールイングリッシュになるということに対して反対意見を述べている際に言っていた言葉です。

戦前の日本では英語は敵性言語として禁止され、様々な言葉に置き換えられていましたが、戦後の教育で外国語(英語)教育が必修化されました。

では他の国ではどうであったかというと、英語はイギリスの植民地化とともにやってきた言語です。
イギリス以外に英語を母語とするアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどはもともイギリスの植民地から始まった国です。

本来そこには土着の民族がおり、彼ら自身の言語が話されていましたがイギリス人がやってきて植民地化、その後に独立したことによって今では英語を話す国になっています。

それ以外の国でも英語が話される国がありますが、やはりイギリスに植民地にされていた背景があります。

他方で日本はアメリカに敗戦はしたものの約6年のGHQによる占領期間を経て独立を回復し、英語を強要(公用語を英語に)されるということはありませんでした。

その意味で日本の英語教育は押し付けられたものではなく自ら学校教育に組み込むことで受容した国ということができます。

また本題の英語教育のオールイングリッシュ化については水野さんは反対されており、(英会話がままならない状態で)難しい文法事項を英語で説明されて英語で理解することができるとは思わないということでした。

これに関しては同感で、授業についてこれる子と拒絶反応を起こす子に分かれてしまうことが懸念されます。

しかし部分的に取り入れて表現を学んでいくということに関しては賛成であり、私も簡単な質問であったり、これならわかりそうかなと思う説明は英語で行うようにしています。

スピーキングをALTに丸投げするのではなく、日本人教員との連携が必要になってくるのではないでしょうか。

Make a difference. (違いをだせ)

岡田兵吾さんがTwitterの意見に対して持論を展開している際に言及したことです。

Twitterの意見は「どうして日本の教育は、論理的な文章を書いたり要約したりする勉強を母国語でほぼせず、英語教育の中でばかり扱うのだろうか」というものでした。

これに対して岡田さんは「そもそも日本人は英語を話せるが話すことに慣れておらず、またそれが間違っていたらどうしようという恐怖心から発言できないため話せないだけ」とした上で、アメリカでは「Make a difference. (違いをだせ)」と教育されるが、日本では意見が均質化されるように教育されがちであるということを挙げられていました。

なので英語力云々ではなく、他人の興味を引く聞きたいと思うような話を母国語で論理的に正しく組み立てられる能力が必要であると仰っていました。

似たような言及を落合さんも著書の中でされています。

(前略)そういう世界で大事なのは英語力ではありません。例えばコンピュータが翻訳しやすい論理的な言葉遣いが母語でちゃんとできること、つまりそのような母語の論理的言語能力、考えを明確に伝える能力が高いことの方が、遥かに重要です。
落合陽一(2016).「これからの世界を作る仲間たちへ」(小学館)

多少文法や発音が間違っていても内容のある話ができていれば、それを聞きたい人たちにとっては大した問題ではありません。

故にそこに独自性や専門性、岡田さんがいうところのdifference(違い)を持っていれば問題ないということです。

まあそれがより良い英語でできるように教育するのが我々英語教員の仕事なんですがね。笑

ですので発音練習の際に発音上の注意はしますが、多少発音が間違っていても発音しようとする姿勢の方を大切にしています。

発音を気にするのは日本人だけだとも言われています。
大して話せないくせに発音ばかり気にして他人を小馬鹿にするような人より、拙い発音や文法でも何かを伝えようと挑戦する人の方が成長します。

成長実感が感じられるか

岡田省吾さんが「英語を上達させるためには何が必要か?」といトピックに対して提言していたことです。
岡田さんは以下の3つが大切であるとしています。

1. 正しい目標が立てられているか
2. 勉強の仕方に納得しているか
3. 成長実感が感じられるか

これは英語に限らず全ての教科、仕事、スポーツに関しても言えることですね。

我々は英語を勉強するために勉強しているのではなく、外国人と英語で話したり映画や音楽を楽しんだりと英語を「用いて」何かをするために英語を学んでいます。

私の場合は言語を通して日本と違った文化や社会を知ってもらい多様性を学んでもらいたくて英語を教えています。

しかし難しいのはその目標のために継続して努力できるかどうかになります。
成長している実感がなければなかなか努力を継続することはできません。

学校でいえば定期テストが一応それに相応するのでしょうが、やはり1~1.5ヶ月に一回のテストでは実感が湧かず、そもそもテストに執着のない生徒には効果がありません。

どうにか肌感覚で英語ができるようになってきたという成長実感を日々のサイクルの中に盛り込みたいのですが、なかなか上手くいっていないのが現状です……

先日他クラスの英語を担当されている先生と授業づくりで話した際に「この人の話を聞いていればこれができるようになる」と思わせるものを1つ作ることが信頼関係につながると仰っられており非常に納得しました。

これまでの自分を振り返ると網羅的に様々なことを教えようとしすぎていたのではないか、生徒の許容量をちゃんと見れていたか、ということを改めて考えさせられました。

彼らができることの少し上に挑戦させてやることを意識してあげなければいけませんね。

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