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「ゴッホ展」 at 兵庫県立美術館(終了)

先月の休みの日にゴッホ展に行ってきました。
昨年の11月ごろに東京へ行った際に、上野の森美術館の前を通りながら、この日は別の目的があったため行きたい気持ちをグッと堪えて、兵庫での開催を首を長くして待っておりました。

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ゴッホといえば「ヒマワリ」が有名だとは思いますが、本展の目玉は上の写真の中央にある「糸杉」になります。

実は恥ずかしながらこの「糸杉」のことは最近まで知らず、ある日「東大王」(TBS系列)というクイズ番組の問題になっていたことで知ることとなりました。
とはいえ実際に展覧会に行く前に知れたことはラッキーでしたが笑

展覧会に行くまでは、ポスターや広告に使われているような「いかにもゴッホ」な絵が中心に展示されているのかと勝手に思っていましたが、彼が絵を書き始めた頃の模写や習作、当時ゴッホが影響された画家たちの絵が飾られていることに感激しました。

「ハーグ派に導かれて」

ゴッホ展は大きく2つのパートに分かれているのですが、その前半にあたるのが「ハーグ派に導かれて」というゴッホの画家としての駆け出しから印象派と出会うまでの時代の絵が展示されています。

ハーグ派を簡単にいうと労働者(農民)の生活や労働の営みを写実的に描き出したオランダの画派のことを指します。
ハーグ派はフランスのバルビゾン派の影響を受けており、バルビゾン派で最も有名なのは『落穂拾い』の作者であるミレーではないでしょうか。

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ミレー『落穂拾い』(1857), オルセー美術館.

ゴッホ展もこのミレーの絵を手本に書かれた農民の絵から始まります。
この頃の絵は絵具は使われておらず、黒インクや黒チョークで書かれており、絵具は使われておりません。

衝撃的だったのが手本や教本がある絵はいいのですが、模写ではないゴッホがオリジナルで農民を描いた『籠を持つ種まく人』などにほとんど動きがなかったことです。

初期の絵は見たことがなかったので「ゴッホにもこんな絵を描いていた時期があったんだ」と知れたのでいい絵を見ることができました。

ハーグ派の画家たち

ゴッホの初期の絵が並んだ後はゴッホに影響を与えたハーグ派の画家たちの絵が並びます。
黒のみで書かれたゴッホの初期絵から一転し、ここからは水彩や油彩で描かれた風景画が中心となります。(以下が作例)

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ヤン・ヘンドリック・ウェイセンブルフ『黄褐色の帆の船』(1875年頃), ハーグ美術館.

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アントン・マウフェ『4頭の曳き馬』(制作年不明), ハーグ美術館.

彼らの影響を受けつつ、ある絵を完成させるために彼は人物を中心とした習作を重ねていくことになります。

ここからのゴッホの絵には油絵具が使われるようになり、絵に色彩が生まれます。
そして多くの人物を描いた末に彼が自身の傑作として描いたのが『ジャガイモを食べる人々』です。

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ゴッホ『ジャガイモを食べる人々』(1885), ゴッホ美術館

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ゴッホ『ジャガイモを食べる人々』(1885), ハーグ美術館

上が油彩で描かれた原画で、下がその版画になります。
ゴッホはこの絵の構図や色調に非常に満足し、その版画を家族や友人に送ったのですが、画家仲間の1人から厳しい批判を送られることとなります。

これ以降しばらくゴッホはモデルを雇う金がなく、静物画を描くようになり始めます。個人的にはこの頃の絵はそこまで凄みはなく、色調も暗く写実性にも欠けるためあまり好みではありませんでした。

「印象派に学ぶ」

ゴッホ展後半は「印象派に学ぶ」です。
印象派について簡単に説明すると、色彩を用いて独特の光の表現をするフランスの画派のことで、代表的な画家としてはモネ、ルノワール、セザンヌ、シスレーなどが挙げられます。

モネの『睡蓮』やルノワールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』などは教科書などでも見たことがあるのではないでしょうか? 

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モネ『睡蓮』(1906),シカゴ美術館.

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ルノワール『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』(1876), オルセー美術館.

印象派に感銘を受けたゴッホは、早速フランスのパリで印象派を学び、そしてアルルに移り住み、ひたすら作品を作り続けました。

この頃から彼の絵は色鮮やかな色彩で描かれています。景色をそのまま写しとるのではなく自然の美しさを光の色彩で表現しています。

また、彼の絵を当時から評価していたのがタンギー爺さんです。フランスで画材屋を営んでいた彼はゴッホの絵を気に入り、自身の店に飾っていたそうです。その気持ちに応えるようにゴッホは「タンギー爺さん」という絵を複数点残しています。

しかし後に彼は絵に全てを捧げた引き換えとして、精神に疾患を患ってしまいます。アルルから移り住んだサン=レミの病院で描かれたのが、冒頭にも紹介した「糸杉」です。この頃の彼の絵のタッチは誰かの真似や二番煎じではなく「ゴッホの絵」として完成しています。

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ゴッホ「糸杉」(1889), メトロポリタン美術館.

そしてこの絵を描いた翌年、1890年にゴッホは拳銃を自身に向けて発砲し、しばらくしてその人生の幕を閉じます。

彼は独学で絵を描き始め、ハーグ派、印象派の今でも名の知れる画家たちから影響を受けつつ、自身の作風を完成させていきます。

そんなゴッホの絵と向き合った人生を絵画を通して垣間見ることができるのが今回のゴッホ展でした。

そしてそんな展示に一花添えてくれたのが音声ガイドでした。
このゴッホ展の音声ガイドのナビゲーターを務めていたのが女優の杉咲花さんと声優の小野賢章さんです。

杉咲さんが絵の解説や鑑賞のポイントを説明してくれながら、小野さんはゴッホの弟であるテオ役を演じ、ゴッホとテオの手紙を基に彼がどのように絵に向き合い苦悩したかを語りかけるように話してくれます。

ただ鑑賞するだけでは気付かないようなポイントや絵の背景知識についてを聞きながら絵と向き合うことで、また違った絵の深みを味わうことができます。

もしこれから行かれる方がいらっしゃれば、是非音声ガイドと共に鑑賞されることをお勧めします。

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