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A night in CINE-MA VIII 【前編】例外音楽/建築論

岡田栄造(京都工芸繊維大学教授、「岡田邸」施主)+野口順哉(音楽家、空間現代)+佐々木敦(批評家)+中山英之(建築家)

TOTOギャラリー・間「中山英之展 , and then」
ギャラリートーク「a night in CINE-MA」8

表紙写真=© TOTO GALLERY・MA

偶然は続く

中山英之 改めまして、皆さま今日はお集まりいただきありがとうございます。全8回、毎週金曜日の夜、この場所にいろんな方をお招きして、映画を観たり、お話しをしてきました。まだまだ続きがあると思っていたのが、今日で最終回なのを一番寂しがっているのは私だと思います。普段は人から依頼されて場所を作る仕事をしているので、自分が小さな映画館の主になって、今お話ししたい方をお招きする経験は、とても新鮮でした。そして最終夜は、お一人でも十二分な論客が3名も揃いました。シナリオは誰にもわかりませんが、きっと忘れがたいお話が聞けると思います。
折角なので初めに、改めて会場で上映している「岡田邸」を鑑賞して、そのあとにお喋りを始められたらなと思います。しばしお楽しみください。

如何でしたでしょうか。私は何度観ても馴れません(笑)。
さて、会場の皆さまに今日のゲストをご紹介しますね。今ご覧になった映画の監督でもある岡田栄造さんには、実はこの展覧会のオープニングでも主賓スピーチをお願いしました。自邸の仕事に限らず、大切なタイミングでいつも僕を新しい場所に連れ出してくれる、精神的なメディチ家、心のパトロンとでも言うべき存在で、二十数年来の友人でもあります。今回シネマ仕立ての展覧会にしようと思い立ったのも、真っ先に監督として岡田さんの顔が浮かんだからでした。
そして(野口順哉さんが属する)空間現代は僕が一方的に気になるバンドだったんです。ある日なんとなく見ていたネットの情報で、その空間現代が京都に拠点を作るとことを知りました。どこだろうと調べたら、なんと「岡田邸」と目と鼻の先だった。「外」っていう呼び名の、ライブハウスを兼ねた場所です。
偶然にも、「外」のオープニングの日、僕は岡田さんの家に泊めてもらっていました。「近所にすごく気になる場所ができたのだけど、すでに予約がいっぱいで」みたいなことを話したことで、岡田さんも空間現代を知ることになりました。

岡田栄造 うちの近所の古い建物に若いお兄ちゃんたちが楽しそうに出入りしているのは知っていたんです。何ができるのかなと思っていたんですが、何も情報がなかった。それで中山さんから教えてもらった。みなさんご存知かと思うんですけど中山さんはなんでもセンスのある人なので、中山さんが好きな空間現代はさぞ素晴らしいミュージシャンに違いないということで興味をもつに至りました。

中山 時は流れて、その空間現代に映画音楽をお願いすることにした、と聞いてびっくりしました。

岡田 展覧会で上映する15分の短編映画を作ってくれと中山さんから依頼されたんですよ。最終的にできたのは9分の映像作品ですが、15分って、映像を撮ろうと思うとすごく長いんですよ。建築の建物を撮ろうとしたら普通なら3-4分で十分、うちは70平米もない小さい家だから内容が15分ももたないぞと(笑)。それで、これはストーリーもしくは音楽を付ける必要があると思った。それで、そういえばと思い出したんです。近くに空間現代さんがいるじゃないかと。当時、面識はなかったんですが、共通の知り合いがいることがわかり、お願いしたら快く引き受けてくださったという感じですね。

中山 偶然というのは重なるもので、それとはまったく別件で、私は去年『1/1000000000』(LIXIL出版、2018)という本を出したのですが、その出版イベントを大阪で企画してくださった編集者(この対談記録をまとめてくださった編集者、出原日向子さんです)が、対談の相手としてなんと野口さんを指名してくださった。びっくりしました。それで、対談前にネットで読める野口さんのインタビュー記事を探しました。その中に、野口さんが大きな影響を受けた人物として出てきたのが佐々木敦さんです。それで、この『ex-music〈L〉ポスト・ロックの系譜』『ex-music〈R〉テクノロジーと音楽』(ともにアルテスパブリッシング、2014)を早速手に入れました。前置きが長くてすみません。でもまだ終わりません。実は佐々木さんの本を買ったのはこれが最初ではなくて、『例外小説論』(朝日新聞出版、2016)という本で佐々木さんのことは既に知っていました。どうしてこの本を買ったのかというと、なんと僕のことが書いてあったからなんです。僕は『1/1000000000」の前に、『スケッチング』(新宿書房、2010)という本を書いたのですが、それを佐々木さんがどうやら偶然手にとって読まれていて、本のあとがきで触れてくださっていたのです。その佐々木さんの名前が野口さんのインタビューに出てきたんですね。
だから今夜、岡田さんと佐々木さんは初対面です。僕も佐々木さんときちんとお話しするのは初めてで、野口さんとは二度目になります。岡田さんと野口さんは今回の制作のために、いっとき創作活動を共にされた。そういった関係性です。
まずは、最初に野口さんが佐々木さんに受けた影響とは一体どんなものだったのか。今の自分の演奏家としての活動、もしかしたら今回の映画を作っているプロセスの中に響くことがあったりするのか。そのあたりからお話を伺えればと思います。

例外とはなにか

野口順哉 僕がやっているバンド、空間現代はギターボーカル、ベース、ドラムのスリーピースで、僕はギターとボーカルを担当しています。バンドを結成したのは、佐々木さんと出会う2年前くらいのことで、その時は今日のテーマである「例外音楽」とは異なる方向性の、なんというかもっと「普通の」音楽をやろうとしていた。普通の音楽以外に目を向けられていなかったんですよね。そんな時、当時大学生だった僕は佐々木さんが大学で教えていたJ-POP音楽論という講義を受講しました。その講義ではJ-POPといいながらも、佐々木さんの主宰するレーベル(HEADZ)の音楽をかけるところから始まった。「J-POPじゃないの?」と驚いたけど、すごくよかった。どこにいっても聞けなかったような音楽が教室に流れていたんです。そこで佐々木さんのことを知って、さっき中山さんがおっしゃっていた『ex-music』を読みました。一番印象に残っているのは「音楽からの逃走」と「音楽への闘争」です。僕は今まで音楽をやろうとしていたんだけど、音楽から逃げるって思ったことはなかったんですね。音楽から逃げるあるいは音楽と闘うっていうのは、かっこよく気持ちよく音楽をやろうぜって言って組んだバンドでは当然ながら考えたことがなかった。でも佐々木さんが取り上げている音楽を聴いていくなかで、それは世間的に見れば「例外」とされるようなヘンテコな音楽かもしれないけれど、その時の僕は衝撃を受けました。だから、佐々木さんからの影響とか薫陶という話ですと、大袈裟ではなく、「空間現代」というバンド名以外は大体影響を受けたと言ってもいいくらいです(笑)。今僕らが運営しているライブハウスの名前でもある「外」という言葉が、佐々木さんから受けた影響を端的に言い表しているかもしれない。「外れる」こととか、「それ以外」のこと、そういう「外」に向けて自分の耳が開かれていく、目が開かれていく楽しさや、刺激的な体験の最初の入口を作ってくださったのが佐々木敦さんだと言い切れます。

佐々木敦 なんだか恥ずかしいですね(笑)。今少し説明してもらったんですけど、某大学で900人くらい受講生がいるとてつもなく広い教室で、爆音で安室奈美恵を流すみたいなJ-POPの講義を一時期やっていまして、その時の直接の教え子が空間現代です。彼らの音楽を聴いたのは飲み会かなにかで音源を渡してもらったのがきっかけです。今とはまったく、といかないまでも随分違ったボーカルがある歌モノの音楽で、それはそれですごく面白かった。結構気に入ってライブとかも見に行ったりして、それで僕のレーベルからCDを出さないかと声をかけて、何枚かCDを出すことになりました。そのなかですごい勢いで音楽性が変化していくんですね。今薫陶などと言ってもらいましたが、むしろ彼ら自身が独特な進化をしていった。それが一番近くから見ている者として頼もしい、そういう感じがありました。それからあれよあれよという間に時が流れ、彼らは数年前に京都に拠点を移し、その名前が「外」だということで今に至るというわけですね。
『ex-music』のex-にはいろんな意味が込められていて「Exit(出口)」とか「Exceptional(例外的な)」といったものです。私はいろんなジャンルについて書いていますが、いつもそのジャンルの例外的なものを扱っています。例えば音楽だったら「音楽ではないもの」ではなく、「音楽じゃないみたいだけどやはりこれは音楽だ」というようなものです。つまり、ジャンルがもともともっていた定義や境界線を結果的に広げてしまうようなものを僕は例外と呼んでいます。
それに即して、映画、小説、演劇について書いてきて、『例外小説論』という本は、一番最後に「初めての小説論」という文章があとがきとして入っています。小説論なので、小説を書くとはどういうことなのか、小説を書き始めて、そして書き終えるとは何かということを自分なりに考えようとした時に、むしろ小説のことを考えるよりも小説以外のジャンルから考えることができないかと思っていた時に、たまたま『スケッチング』という本に出会いました。僕は建築については素人同然で、限定的に興味があるものはそれまでもありましたが、全然知らないんです。当時は中山英之という建築家を知らなかったのですが、中山さんのその後にもつながっていく建築についての基本的な考え方が書かれていた。それを読んで、これは建築だけの話ではなく外につながっていく話だと感じ、それが機動力となってテキストを書きました。
それからつい最近になって、野口さんから「中山さんって知ってます? こんど展覧会で音楽をやることになったんですが」と言われて、この関係性が明らかになったというわけです。僕は中山さんのことは建築家、『スケッチング』の作者として知っていた、野口さんとは10年来の知り合い、岡田さんと野口さんは、数分で行き来できるところにいる、こんな偶然ってあるのかなと思いますよね(笑)。でも今日「岡田邸」の映画や他の映画も観ることができて、むしろ偶然ではないのかもしれないと思いはじめました。

中山 偶然って経験が分母になっているので、実は年をとると勝手に増えていくことに最近気づいてしまいました(笑)。しかも自分の行動の結果でもあるから、普段からシグナルを発し続けていると、今回みたいな偶然って、わりと必然だったりするんですよね。だから好きなものは好きって、なるべく大きな声で言った方がいい。今日を含め、このシリーズはそもそもそういうふうにして実現しています。
たとえば、第一回に出てくださった藤原徹平さんが、お話の中で大変な影響を受けた人物として梅本洋一さんを挙げられています。その梅本さん発行の『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』といえば、佐々木さんも何本もの論考を寄せられていますが、そもそも初めて文章を書かれたのも『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』なのだとか。

佐々木 そうですね。僕は梅本さんの教え子だったわけではないんですが梅本さんの映画評を読んでいて、僕が『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』でかなり映画評を書くようになった数年間梅本さんとは一種の師弟関係にありました。その後亡くなってしまわれましたが、自分にとって数少ない師のような存在です。

中山 僕も、そして岡田さんも大学という場所に身を置いてもいるので、梅本さんと藤原さん、そして佐々木さんと野口さんの関係を伺っていると、正直嫉妬してしまいますよね。と同時に、この場所もまたその時吹いた風の余波だと思うと、自分たちの仕事の素晴らしさを自分自身で噛みしめるような気分がします。なので今日は会場の皆さんと一緒に、映画と音楽両面から、「岡田邸」を題材にした佐々木さんの講義室に座りたい気持ちです。

雑然とした生活を写す

佐々木 今日僕はけっこう早い時間にここに来ましてすべての映像作品を拝見しました。そもそも中山さんのことは書籍や作品を知っていて、建築のことはあまり詳しくないけれど、それでも中山英之という人が今の建築界の中で、あるいは建築家と言われる人たちの中でも、かなり例外的なタイプの人なんだろうなというのは容易に想像がつきました。それでも今回このCINE間をやるとなった時に「それってどういうことなんだ」と思うわけですよね。それで、期待をもってこの場に来たんですが、それぞれの監督がなかば競い合うかのように趣向を強く凝らして一つひとつ違う映画が上映されていた。家を撮る、そしてその家の中で生活している様を一本の映画にするという決まりのなかでもこんなにいろんなやり方があるんだなということがまず印象的でした。その中でも「岡田邸」の作品で印象的だったのが、家の中に生活感が溢れていてごちゃごちゃとしていること。空間現代の音楽に関しては最新アルバムである『Palm』(2019)で感じた変化のさらにその先といった感じで唸らされながら観ていたわけですが、それと同時に家の中の生活感が非常に印象に残りました。

岡田 あれは全部小道具なんです、といっても誰も信じてくれないですよね(笑)。

佐々木 撮影は結構短い期間だったんですか?

岡田 いいえ、話をもらってすぐ撮り始めて、編集期間も入れると1年ぐらいかかっています。

佐々木 じゃあそれを8分に編集するのってすごい大変じゃないですか。15分なんて余裕ではなかったんですか。

岡田 いや、同じようなカットだと飽きてしまうので。だから、起きていることや場所の多様さをできるだけ見せるために、撮ったなかでも似たカットを省いて、不自然に洒落て見えるカットも削って(笑)、選びに選んで、やっとのことできました。

佐々木 最終的にクレジットは監督に岡田さんと空間現代両者の名前が挙げられていますよね。それは編集作業などを一緒にされたからでしょうか?

岡田 そうですね。私がサンプルをつくってみて、空間現代と話したあとにまた撮ってみて、編集して、ある段階で空間現代の音を重ねて、また手を加えて、の繰り返しです。

野口 家が近いというのもあって(笑)、打ち合わせしやすかったですね。いくつかミーティングを重ねる度に岡田さんがたたき台の映像を更新してもってきてくれる。で、ああでもないこうでもないと言いながら、僕らは僕ら側で音楽のイメージを共有していって、最後に集中して曲をつくりました。音楽は、しっかり作曲した曲と、即興的に音を録音したものの2種類を交錯させていくようにつくっています。いつも僕らのバンドではベースの古谷野がエディットを担当しているので、彼が音楽をエディットして、それを岡田さんがつくってくれた映像に重ねました。そうすると微妙に足並みがそろわないところが面白かったり、逆につまらなかったりするので、岡田さんと古谷野ですごく細かいところを決めていきました。
初めて岡田さんと打ち合わせした時にうまくいきそうだと思ったのは、先ほど佐々木さんが指摘されたように、あえて雑然とした生活感のある映像を撮りたいとおっしゃっていたところです。それが非常に面白いと思って。一番最初の打ち合わせは実際に「岡田邸」にお邪魔させてもらって話したんですけど、本当にすごい建物なんですよ、中に入ってみると特に。ホテルの廊下をイメージされたというリビングなんかは、家だと思えない感覚で、中なのか外なのかわからない。よくこんなとこに暮らしてるなと思わず思ったし、口にもしてしまったんですけど(笑)、そうしたら岡田さんは、ある意味妙な家に子どもと奧さんに住んでもらっているから彼、彼女らの好きなように生活してもらってるって言ってたんですよ。だから暮らしを想像させづらい構造なんだけど、その中でめちゃくちゃ普通に生活している。それによってリビングでバスケットボールをついてる子どもの──外なのか内なのかわからないような──映像が撮れる。

岡田 じつは竣工したばかりにもうひとつ映像を撮っていて、あの時は完成したばかりだから生活感もなく、中山さんの設計意図をなぞるような撮り方をしたんですね。同じようなものをもう一度撮っても仕方がないと感じていたのが今回のような撮り方になった理由のひとつ。もうひとつが、普通に映像を撮ろうとすると、家と住まい手の人となりやライフスタイルがかっちりあっているのが理想だとされがちで、そこから離れたいという思いです。
住んでる人のセンスと建物が一致している、建物をうまく使っているって、建物が住んでる人に奉仕しているような感じがして大嫌いなんですね。それは建築と関係ないだろうと常々思っている。住まい手のセンスだったりライフスタイルと建築って違う話でしょと。だけど、十数年メディアで見かけるのは「いい暮らしと建築」みたいな話ばかりで。そういうのにはしたくなかったんです。

野口 この話が非常に素晴らしいなと思って、これはいい作品になるなと。

佐々木 ズレや齟齬が細かくあったほうがむしろいい。家とそこに住む人の関係性っていうのが無理にどちらかが片方に合わせるってよりも、そこに細かい齟齬があるほうがむしろいい刺激になるということでしょうか。

岡田 そうですね。自分の住み方に完全に最適化されたところに住むって最悪でしょう? 私たちはなんだか無理やり住んでます、本当に毎日寝る場所を探しながら。なぜならそっちのほうが豊かだと感じているから。建物を自分のために設計してもらうって奇妙な話ですよね、今話したように思っているのに中山さんに家を設計してもらうっていうのは。

佐々木 今回中山さんのつくった建築を映画で観られたことで、この場所に本当に住んでるんだという驚きがありました。生活が撮られているから、中山さんの建築の中で人が暮らしているということが感じられる。でも、ある種逆転していると感じるのは、中山さんが空間内で暮らす人の視点を設計の段階で考えているという点です。ところがそれができあがった時に、いわゆる紋切り型の「住みやすい」住まいとはまったく違うものになっている。これは建築だけではなく、他のことにも応用できると感じました。
もうひとつ「岡田邸」の映画を観ていて感じたのは、カットが切り替わる手前でカメラが少し動いている編集がされていますよね。あきらかにわざとだと思うんですが。普通であれば削ってしまうところがあえて残っていて、それが十分かっこいいんだけれど、これもありがちなかっこよさではないというか。カットだけでなく編集までその感覚が通底しているのだと思いました。

野口 かっこよくなりすぎないっていうのは、一緒につくっていくうえで大切なキーワードでした。音楽と映像を組み合わせると、誰がやっても躍動感も出るし、ダンスのように見える。こうしたあたりまえのよさから何か一歩抜け出なければいけないということが前提としてあるわけですが、その感覚を共有しているかどうかがまず大きい。ベタなカット、おしゃれな音楽、に見えるものは話し合いながらどんどん削っていきました。振り返ってそれが大事だったと感じますね。

【後編に続きます】

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2019年7月26日、TOTOギャラリー・間にて


テキスト作成=木村浩太、金子太一
テキスト

構成=出原日向子

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