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嬉しい再会

15歳からの友人たち4人と会った。
高校で同じ部活に所属して大きなイベントも日々の練習も共に乗り越え、大学ではそれぞれの学科で学びながらも7年間同じキャンパスに通った仲間だ。

私は人付き合いが上手ではない。一足早めの結婚と出産でライフスタイルが大きく変わってからは余計に億劫になってしまい、旧友たちとは積極的に連絡を取れていなかった。今回の集まりだって、友人が発起人となって実現したのだ。私よりも小さな子どもがいるのに、企画が上手なもので、すっかり任せきりにしてしまった。
場所は高校・大学のキャンパスのある地。再開発が進みすぎて、当時よく待ち合わせをしていた場所は跡形もなくなってしまって、初めての店で現地集合することになった。

1人とは、干支が一周する以上に会っていなかった。
近況は記されず、「今年こそは会いたいね」と1行だけ律儀に手書きで添えられた年賀状を毎年くれていた。会っていないのだから共通の話題もないし、ワンパターン化するのも仕方ない。私はSNSに近況を上げるようになってから、今回会った友人たちのようにオフラインでしかつながっていない人たちとしか年賀状を交換していなかったが、40代になったのを機に親戚も含めて完全に年賀状じまいしてしまった。年々減りゆくハガキの中に彼女の筆跡を見ては「どうしてるんだろ」と思いを馳せていた。

再会して第一声、私は「変わらないね」と声をかけた。
ところがどっこい、一通り全員と会話してみて、一番変わっていたのは彼女だったと判明したのだ。
だから、食事の後に長居できるカフェに入ったところで、「今日みんなで再会して、一番嬉しかったのはあなたがこんなに元気に生き生きしているのがわかったこと」と伝えざるを得なかった。

会わなければ、私の中の彼女は頑張り屋さんなんだけどずっと忙しくて具合が悪くなりやすい人のままだった。
自身のスタイルを大切にポジションを確立していて、彼女のことを頼りにする人たちもたくさんいて、心身もバランスが取れていて、素敵な大人だと思った。

むしろ、「変わらないね」と言われるべきは、私のほうだった。
昔から静かな変人で通っている私は、干渉してこないおおらかな雰囲気の高校・大学でのびのびとやってきた。社会人になってから異動する度に「置かれた場所で咲くね」と形容してくれた同期もいたけれども、活動の自由を求めてきただけだ。

それぞれ変わろうが変わらなかろうが、楽しい時間だったので、よし。

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