見出し画像

翻訳本より原書

原書至上主義

COURRiERの記事を読んだ。

記事には、TikTokに出て来るのと同じ表紙がいいからというのが理由とある。まるで翻訳物がパチもんみたいな言い草なところだけは引っかかる。本を勧める一連の動画をBookTokと言うらしく、こういう言葉遊びは大好きなのだが。

それにしても、原書が翻訳本よりも安く買えるというのはとても贅沢なことだ。単なるミーハーでなく、内容を読んで理解できる英語の堪能さも羨ましい。

日本だったら、日本のビジネス書やフィクションのハードカバーと同じ価格帯での翻訳版が出るのを2年くらい待つかなという感覚。その頃にはもう英語圏では新たな本が話題になっている。

本の価格破壊

何がきっかけだったか忘れたが、小説「黄色い壁紙」を読んでみようと思い立ってAmazonを検索したことがある。絞り込みをしなかったら、文字通りさまざまな濃淡や柄の黄色い壁紙が画面いっぱいに現れ、面食らった。
気を取り直し、「本」で絞り込んで表示されたのがこちらだった。

Kindle版しかないが、安っ!驚愕した。既に、洋書のペーパーバックで同タイトルを買ってしまっていた。そちらは別の作品「ハーランド(「フェミニジア」としても知られる)」との抱き合わせで全部で193ページあるし、と慌てて自分に言い聞かせる。短編の「黄色い壁紙」は、そのうち20ページに過ぎない。

と思ったら、原書でさらに安いのがあった。冒頭の記事の後だと、日本でも原書のほうが安いだと…と戸惑ったわけだ。

駄菓子みたいな値段で洋書が読めるなんて、紙の本で生きてきた年数の方が長い身には驚きでしかない。青山ブックセンターや丸善のような洋書を扱う大きな書店に足を運ぶこともなく、家にいながら。どういうビジネスモデルなの一体。

買った物の存在感

大学生の頃、Amazon Marketplaceで海外の個人出品者からCDを取り寄せたことがある。邦訳されて日本でも毎年大手の劇団が興行している海外ミュージカルの全曲を収録したサントラだった。英語で卒論を書くには邦訳版でなく英語版が必要だった。歌詞カードも、初演版がほしかった。それを持っていたのは店舗でなく個人だった。

ほしいものが届いたのでもちろん満足したのだが、手書きで宛名が書かれた封筒が国際郵便で届いたことに妙に嬉しさを覚えたのを今でも鮮明に思い出せる。

誰かプロを通さず、いち大学生が自らの権限で選んで発注したスリル、こそばゆさ。待つ楽しみ。陸海空を越えて届いたときの喜び。封筒から感じる異国の生活感。

CDでなく本でも同じだろう。選択や購入という意思決定を経て、重さのある実体が海外から届いたとき、私は満足するのだとわかった。

しっくり来た

新しい情報がインターネットを埋めていく中、翻訳版にない要素を求め、手間暇かけてでも取り寄せたいものが現物。

何だ、私もBookTokを見て原書をほしがるヨーロッパの若者と根っこは同じじゃないか、と気づいた。目的が違うのだから、本物とかパチもんとかの議論ではなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?