見出し画像

ご馳走になることは期待されていること

高校時代の部活帰りは、友人と近くの揚げ物屋さんでコロッケやチキンカツを買うのが常だった。
ときに先輩方とごはんに行くこともあったが、特に「先輩がおごる」わけでもなく、割り勘で済ませていた。

大学1年生のとき。サークルで初対面の先輩に初めてご馳走になった。
当時はご馳走になることに慣れていなくて、自分のためにお金を使っていただくことが申し訳なくて、つい遠慮しがちだった。
その後も、先輩方や社会人の方々と食事をした後、「いいから、いいから」と食事をご馳走になることが増えた。

ご馳走になること、誰かに自分のためにお金を使っていただくこと。
申し訳なさと恥ずかしさで、そんな場を居心地悪く感じることも多かった。
ごちそうになった人と会いたくて、相談したくて、でももう一度誘うのも「奢り目的ではないか」と思われるのが嫌で、結局誘いづらいと感じる時期もあった。

しかし、大学生活も折り返しとなり、最近「先輩」としてご馳走する機会も増えたからか、むしろご馳走する・ご馳走になることを前向きに捉えることができるようになりつつある。今回はそんな「おごり」についてのお話。

1,「ご馳走」する側の思い

これまでの経験で、「ご馳走」のタイプには3種類ほどあるのではないか、と感覚的に思っている。

①背景に何か目的がある
②伝統や習慣、立場上・恩送り
③純粋に自分を信頼・期待してくれて

①は簡単だ。「ただほど高いものはない」というが、まさに「相手を自分の組織に入れるための第一歩」としての「投資」なのだと思う。

「ご馳走するから、その代わりうちの企業の話聞きませんか?」
「無料で焼き肉行くから、うちのサークルの話聞いてってよ」

よく宅配サービスなどで「初回無料!」などと謳うチラシが入っているが、本質的にはその点とも関連があるように思う。「奢ってあげるから○○してほしい」案件だ。

一方、②もよくあることだ。かくいう僕もこの②をよく行っている。

「自分が1年生の時も先輩に奢ってもらったから」
「年上なんだから奢らせてよ」
「自分が就活生の時も社会人の方にご馳走になったから」

これらは受け身であれば「伝統」「習慣」、社会的な関係を考えるなら「立場上」、そして③に近づき、その人個人のために主体的になれるのなら「恩送り」ということになるだろう。
ただ、「年上だから」「男性だから」という理由でご馳走することには少なからず抵抗を憶える人もいるので(見下されているとの認識やジェンダーの観点から)、その人が望んでいるかどうかは気にする必要がある。

ちなみに恩送りの概念は、沖縄のブックカフェ「あいてーる」さんを営んでおられた方や、その概念に共感しカフェに取り入れているCamel0857さんとたまたま鳥取で出会い知りました。どこのだれかわからないけど、手紙を書いてくれた人。ごちそうしてくれた人。その関係がつながっていくなんて、素晴らしいなと感じます。今も大事にしている考え方。

そして3つ目。これは純粋に自分を信頼し、応援してくれる例だ。例えば「Yume Wo Katare」というお店の一部では、夢を語ることでラーメンが無料になる(店舗によって条件あり)。夢を語る人への「応援」だ。
ほかにも、旅先で親しくなったおいちゃんやおばちゃんがおごってくれることもある。僕も最近大判焼きをご馳走になった話をしたが、これも若い自分への「信頼」「期待」なのだろう。

ただ、ご馳走するという心理はこれらの分類単独の場合もあるだろうが、複数の要素が重なっている場合も多い。特に②と③は連携することが多く、「恩送りの一環で、君に期待するからご馳走するよ」ということもありうる。また、先日社会人の先輩が「就活生だし金銭的に大変だろうし、ご馳走するよ」とご馳走してくださったのも、少なからず③の期待や応援の要素が入っていたのではないか。

2,ご馳走される側の思い

一方、ご馳走される側としては、以下の3つに大別されるように思う。

①不信感・警戒
②申し訳なさ、照れ
③感謝、あったかい気持ち

①と②③は主として「信頼関係」によって分かれる。③は②よりもその信頼関係が強い。

話したこともない人からいきなりご馳走になるほど怖いことはない。後で何をされるのかもわからない。中に何が入っているのかもわからない。恐怖でしかない。

が、あまりそういう場を経験したことがない(そもそも参加しない)。

ほとんどの場合は多少なりとも②③だろう。

冒頭にも書いたように、その人にご馳走になることは確かにはじめは「申し訳なかった」。何もこんな自分に貴重なお金を使わなくても。年下だからって同じ大学生なんだし。また次もご馳走になるとしたらもう会わないほうがいいのではないか。

けど、今になって改めてわかる。それはあくまでも「伝統」の時だけ。
ご馳走になることは信頼されていること。期待されている証。
だって自分自身も「伝統」「習慣」以外だと信頼している人にしかご馳走しないから。
期待している人にしか奢らないから。

多くの方の中で「自分」に時間だけでなくお金も出していただいている。そして絶対にその人は「借りを作った」なんて本気で言わないし(冗談で言ってくる方もいるが)。だからこそ、

信頼に、期待に応えたい。

必ずしも出世することが「応える」方法ではないし、その方の企業に入ることがそうとも限らない。

大切なのは、自分の人生を自分らしく生きること。
そして、その経験を少しでもその人に、あるいはまた別の人に「恩送り」で貢献していくこと。

自分自身が成長し、その結果社会に貢献すること。

こうして人が数珠のようにつながって、あったかい世界観が醸し出されるのだろうな。

そう考えると、ご馳走になることを「ありがとうございます!」と笑顔で受け入れられるようになった。



あ、ただ2回目以降、同じ方にご馳走になるのはさすがに申し訳ないです。
多少なりとも貢献させてください。

よろしければサポートお願いします! いただいたサポートは日々のちょっとした幸せのために使わせていただきます!