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大人になると(より)勉強が楽しい

先日、「東大Week@Marunouchi」というイベントに参加した。
これは主にビジネスマンを対象に「知の刺激を受け」ることを目的として、東京大学から様々な専門分野の教員を招き、講義を受けるイベントで、ここ2年ほど開催されているようだ。

3日間にわたり行われていたが、僕はその中でも「アカデミアとビジネスは“文理融合”で共創できるのか」というタイトルのイベントに参加した。
自分自身の普段の業務とは直接、関係しない領域であり、ちょっとした興味本位で参加したものだったが、普段知らない領域だからこそ十分な「知の刺激」を受け、学びあり、かつ楽しい時間を過ごすことができた。

最近受験した「ビジネス実務法務検定」もそうだが、「新たな知識を得る」ということは、社会人になった今でも楽しいものだ。いや、むしろ自分で「選択した」という行動が加わるからこそ、より「楽しい」と思えるのかもしれない。

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東大Week@Marunouchi」の公式ホームページには、メッセージとして下記の言葉が記載されている。

今年の夏は
知の刺激を浴びよう
今、アクティブに働く人にこそ学びが必要だ。
最先端の知があらゆる垣根を越え、
キャンパスを飛び出し、私たちを刺激しにやってくる。
好奇心と志を持って集おう、
共に学ぼう、未来をつくろう。

東大Week@Marunouchi 公式ホームページ

このメッセージの中で、僕は「刺激」という言葉に惹かれていた。
僕自身、新たなことを学ぶことは好きだが、その背景には「知らないことを知る」というわくわく感がある。

例えば、今回参加したイベントでは、東京大学生産技術研究所の松永行子教授(毛細血管の研究者(ざっくり))および東京大学史料編纂所の本郷和人教授(中世(日本)の研究者(ざっくり)をゲストに迎えたものだったが、どちらも自分自身の専攻分野でないし、前提知識を持っているわけではない。しかし、松永先生の「デザイン」×「研究」の取り組みや、本郷先生の「文系としての『探究』の面白さ」のお話を伺う中で、「何か面白そう」「ちょっと調べてみたい」という感情がふつふつと湧いてくる。いわば、「知の扉」が開いていく感覚だ。

こうした(特に業務以外の)「知の扉」を開く刺激は、社会人の今、意識せずには得難いものだと思う。社会人になると、「学ぶ」という機会が生まれるかどうかは自分の行動次第だ。日々の会社での業務については(否応なく)学ぶ必要があるが、それ以外となると、別に「学ばなくても」生きてはいける。「学べ」と誰かに強制されているわけでもないのだから。

ただ、直近合格した「ビジネス実務法務検定」もそうだったが、主体的に「学ぶ」という行為を選択した場合、その行為を「楽しい」と感じている。それは学ぶことが当たり前で、学ぶことが(一部選択科目があるものの)ほぼ一律に決められていた高校時代までよりは前向きに感じられているし(「覚えなくては!」というプレッシャーもない)、自ら学びを選択した大学時代と同様に、いや、学びから離れたからかそれ以上の実感かもしれない。

そんなことを考えていた今日、ちょうど機会があって訪れた「BARグラスとコトバ」には、今の自分を表すピンポイントなコトバがあった。

「大人になると勉強が楽しい」

ひょっとすると僕と同じようなことを考えた人がいるのかもしれない。もしかしたら共感もあるのかも?提供頂いたジンライムを飲みながら、思考を深めていた。

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