漬物漫談

東京にて

きっかけ

ある日、東京のスーパーから野菜が消えた。一面の野菜売り場には何も残っていなかった。2、3軒回ってみたが、どこにも野菜が見当たらなかった。

正確な日付は覚えていないが、新型コロナウイルスの感染者が増え、ロックダウンという言葉が重みを持ち始めた頃だった。

仕事はその少し前からリモートワークが推奨になっていた。予防のために外食は避け自炊を心がける生活を続けていたので、野菜が手に入らないのは参った。

危機感を覚えて、次の日の朝早くにスーパーへ行くと開店前から人が並んでいた。中に入ってみるとまだ並んでいる野菜は僅かだった。

欲しい野菜を探していると、最終的に八百屋に辿り着いた。ちょうど段ボールから野菜を出して店先に並べているところだった。

次にいつ野菜が手に入るかわからないということもあり、キャベツ、かぼちゃ、白菜、ナス、きゅうりあたりを買って帰った。その八百屋の野菜は特徴的な形のものも多かったが、値段は比較的安く済んだ。

家に戻り、さてどうしようと考えて、漬けるのが良いかもしれないと思い当たった。漬物は食料を保存する良い伝統文化だという漠然とした考えがあり、これしかないという気持ちに不思議となった。

初めての漬物

漬物について何も知らないものだから、適当に漬物の本を買ってきて読み始めた。

その本には原理は書いていなかったが、必要な道具と手順について説明してあった。ホウロウ容器、びん、ポリ袋、重石、あたりの道具が家になさそうだったので、調達した。

漬物は塩で漬けるという認識しかなかったが、その本には幅広い漬け方が載っていた。味噌漬け、醤油漬け、唐辛子漬け、柑橘漬け、酢漬け、酒粕漬け、アチャール風。

八百屋ではカットしていない野菜を買ってきており、量は十分にあったので、できそうな漬け方は軒並み試してみた。あいにく酒粕は手に入らなかったが、それ以外の味噌や醤油、唐辛子などはあったのでそれで漬けてみた。

ただ、普通の漬物は保存期間が1週間程度しか保存できないと本で知り、結局余った野菜はカットして冷凍した。冷凍だと1ヶ月ほど持つらしい。それぐらいあれば、野菜の供給が戻っているだろうと思った。

今考えれば塩分量を増やせば長期間の保存ができたのかもしれないが、冷蔵庫のある今わざわざ本の筆者はそれを勧めなかったのだろう。

和食の始まり

程なくして食料の供給は戻ったが、家には大量の漬物が残っていたのでしばらくは買い物に行かなくて済んだ。漬物が尽きるまでは味噌汁、米あたりを添えて、一膳とする生活を続けた。

この和食の原形が形作られたのはどうも鎌倉時代あたりのことであるらしい。

質素な生活自体は仏教が伝来した頃(奈良時代あたり)からあるらしいが、武家が心身の鍛錬のために禅の影響を受けて精進に励んだ鎌倉時代が最もこの形に近いとのことだった。

この頃でいうところの米は玄米を指し、一般に精米技術が成熟するのは江戸時代からである。鎌倉時代は玄米に稗や粟などを混ぜて食べた。

禅や断食などの修行を行う傍ら、質素な食生活を続けていたこともあり、一般に想像される健康的な生活というのは鎌倉時代に近いのかもしれない。

一応書いておくと、鶉、雉、兎、猪、魚類など肉食することも時にはあったとのことである。

折角なのでこの頃から、玄米と雑穀を買ってきて食べるようにした。最初は消化できずに苦しんだが、しばらくすると慣れた。

漬物との付き合い方

最初の漬物が終わったあとはしばらく漬物はしていなかった。野菜が手に入るようになり、外食自体もできるようになってきたので、機会がなくなってきた。
漬物の味は嫌いではないが、初めての漬物は半日ずっと野菜を切ったり漬けたりしていたので、大変な印象が残っていたのかもしれない。

ある時、同僚と料理の話になり、その折に漬物の話になった。
その人から野菜を買ってきて、余れば即席漬けにしたり、浅漬けにして食べているということを聞いた。

自分は漬けるために野菜を買うということを考えていて、その人は余ったから漬けるという発想だった。
どんな料理をしていてもそれが漬物に繋がることがある。この発想の逆転が何とも心に残った。

考えているより漬物は身近なところにあるのだなと思い直し、また漬ける生活が始まった。

富山にて

帰郷

地元は富山である。リモート推奨が続いていた晩夏の頃に富山に帰った。住まいは山の麓で、梨の名産地である。ちょうど帰った時には直売所で梨がまとめ売りされていた。

町を歩くと誰もが自分の畑を持っていて、山芋やら大根やらを育てていた。特に山芋の葉の広々した風景は忘れがたい。

困ったのは外食する場所が限られていることだった。チェーン店は多いが、軽食は少なく、値段もそれなりに張った。

1週間ほど町内を歩いてみた帰結として、東京の頃より自炊が求められていることを痛感した。

富山のスーパーマーケット

住まいの近くにはスーパーマーケットがあった。ここ以外の店は山を越えたところにしかないので、たまたまというよりは近い場所を選んで住んだ。

富山のスーパーマーケットは北陸に根付くチェーン店が多いが、内装こそ東京とそうは変わらない。

スーパーの中を練り歩くのは漬物に興味を持つ前からの趣味だったので、何時間かかけて回ってみた。
調味料は地元の名水を使っていたり、塩が地元の沿岸付近のものだったりで興味深かったりした。全体的に地元の匂いをよく感じるものが並んでいた。

店の一角に地元で取れた野菜というコーナーがあった。
そこに並べられていたのは梨だったり、大根の葉だったり、大豆だったりであった。

東京のスーパーには1年半ほど通ったが、大根の葉だけが4本ほどでまとめ売りされているのは初めて見た。
興奮して家に持ち帰り、ごま油で漬けたり、塩で漬けて菜飯にして食べたりした。

後で理由を考えてみたが、大根の葉はすぐに悪くなるので流通の関係で地元のものしか置けないのかなと今は思っている。

地産地消、季節、中医学

富山のスーパーで地元を感じたのは勿論だが、同時に季節というものをこれ以上なく実感できた。
梨、山芋、大根などそこら中に生えているものがそのままスーパーに並んでいるのだからなおさらである。

季節の物を食べるという考え方は忘れやすいものであると思う。最近は季節でなくとも、素材が並んでいることも多く、注意深く棚を眺めなければ移ろってしまう。

季節の食材を食べるのはなぜ良いのか。なぜ地産地消が良いのか。そういうことを考えていると中医学に辿り着いた。

中医学では季節ごとに性質があり、病は季節に応じて変わるとされている。

食物も季節に応じて性質があり、例えば秋は乾きやすいため、潤った梨は病を抑える働きがあるといった具合である。
同様に夏は熱を冷ます働きがあるきゅうりやスイカなどが体に良い。

言い換えると季節・その土地の性質によって食物もそれに応じたものになるのだから、それを摂るのが良いということらしい。

この理論が正しいのかを証明する術はないが、ここでは自然に囲まれて生きているのだから、それに従ってみたいというふうに思った。

富山と漬物

調べてみると、富山は漬物の馴染みが深い土地であるらしかった。北陸は雪国であり、冬は野菜を収穫するのが難しい。そのため、野菜を長期間保存するための漬物がよく発達したらしい。

昔は大根や赤かぶ、うりなどを粕や塩、糠などに漬けて数ヶ月ほど持たせたという話を聞いた。入れ物は四斗樽である。
車で聞いていたラジオでも会社を休んで、数百本の大根を収穫し、1日かけて漬物にするという話が流れてきたので、この文化は今でも残っているようである。

冬は当然として、春でもふきのとう、タラの芽などを塩漬けして、冬まで持たせることもあるという。そういえば友人が山菜採りに出かけたという話はいつか耳にしたことがある。

山間部では野菜の漬物が多いが、港のある氷見に行くと漬けたりするというのも聞いた。新鮮市場に行くと確かに魚の加工品はあちらこちらに並んでいた気がする。

漬物と聞くと野菜が思い浮かぶが、豪雪地帯では果物、魚、肉、を漬けて保存するところもあるらしい。雪国で食糧を保存するというのは大変な課題であった。

保存の知恵

保存の方法は何も漬物だけではないらしい。

代表的な方法は干すことである。昔の人たちは漬物と同じように野菜、果物、魚、肉と何でも干した。この歴史も平安時代から続いており、漬物に近い歴史を持っている。

乾物は食品を太陽に晒して置くというだけのものであるが、不思議なことに味、香りは勿論、ビタミンなどの栄養分すら変えてしまう。例えば、干し大根はビタミン、ミネラル、カルシウム、食物繊維が増えるそうだ。
乾物を作る人はよくそれを太陽の恵と形容している。

一度野菜を干してから漬物にして保存するということもある。こうすることで食感が変わって楽しめるそうだ。

凍りというやり方もある。冬の寒さを利用して、野菜を凍らせるのと干すのを繰り返し、食材を加工するのである。凍み大根や凍みこんにゃくなどが有名である。
他にも雪を固めて保存用の蔵を作る、そういった方法も伝わっているが、残念ながら見たことは無い。

こうして見ると、保存という課題の中でも人々は楽しむ余裕を持ち合わせていたのかもしれないと思う。

実家にて

しばらく漬物を楽しんだ後、実家に帰った。最近何を食べているのか心配されて、漬物を食べていると言うと、驚かれた。

実家の祖母は喜んで色々話してまわったのか、その後叔母さんが「田んぼの近くから抜いてきた」と大根と白菜を新聞紙に包んで持ってきてくれたりした。

思い返すと家族の食事に漬物が出た記憶はないが、祖母の冷蔵庫からよくなますの匂いがしたり、日付が入った瓶に梅が漬けてあったのを何度か見たような気がする。

東京のスーパーから野菜が消えた日から漬物と関わり、日本の食生活史、中国の医学、富山の郷土史を調べたりしたのはこの記憶があったからなのだろうか。

祖母は鹿児島の出身で身ひとつで富山に嫁いできたという。気づかないうちに鹿児島の食が自分の一部になっているかもしれない。次に調べるとしたらそのあたりだろうか。きっと鹿児島には鹿児島の知恵があるのだろう。

思い返せばあの日スーパーから食料品が消えたことは、自分にとっては一つの転機だったように思う。

漬物は食文化の豊かさと、自分の世代まで紡がれてきた歴史をこれ以上なく教えてくれた。
この歴史を少しでも後ろに繋げれば、そういう思いもあり、この文章を綴ってみた。

後記

hey アドベントカレンダー 2020の17日目を担当する @nkoba です。
この記事では、2020年に漬物について学んだことをまとめました。

何を書こうか迷っていたのですが、アドベントカレンダー の運営委員のメンバーに確認したところ、テーマは業務と関係がある必要はないとのことだったので、せっかくの機会なので、漬物の記事を書こうと思いました。

会社の方針としてJust For Fun、こだわりを突き詰めるというものがあり、その1つの形として漬物について書く意義があるかもしれないと考えました。

この記事を無事書くことができたのは運営委員の方々はもちろん、日々の雑談で漬物について話してくれた同僚の方々のおかげです。本当にありがたい気持ちで一杯です。

heyではSlackのchannelであったり、リモートでのランチであったりで、日々のこだわりや生活について話す機会があり、その中で少しずつ食についての認識を深めることができました。

記事を通して、こうした社内の雰囲気が少しでも伝われば嬉しいです。

明日18日目のアドベントカレンダー の担当は@myahagiです。楽しみにしてください!

参考文献

山田奈美『少量でもおいしい 体にやさしい 季節のお漬けもの』
渡辺実『日本食生活史』
武鈴子『マンガでわかる はじめての和食薬膳』
日本の食生活全集 富山編集委員会 『聞き書 富山の食事』
農文協、農山漁村文化協会『農家が教える加工・保存・貯蔵の知恵―野菜・山菜・果物を長く楽しむ』
星名桂治『乾物と保存食材事典: 栄養と旨みが凝縮した488種』

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