note マガジン「資本論-ヘーゲル-MMTを三位一体で語る」の第7回。
資本論の脚注を眺めると、ニコラス・バーボンという人の引用が目立つことに気づきます。
下のように冒頭の注2,注3、注7、注8で立て続けに四回登場しています。
バーボンのどの著作からの引用であるかは注2に書かれています(岡崎訳を併記。強調は nyun)
マルクスはバーボンの著作の長いタイトルの末尾を端折り、その代わりに「 .etc」 を付ける省略をしていますが、ちゃんと書くとこうなるはずです。
この文書の原文ですが、たとえばここで読むことができます。
(追記)こっちがいいかも↓。背景が書かれている前文も収録されている。
バーボン論考と資本論の記述の類似について
さて、わたくしがここで語りたいのは、このバーボンの論考と資本論の冒頭部分の記述の展開がそっくりだということです。
そのためにバーボンの冒頭部分 nyun 訳で少々。
さあ、ここからです。
どうでしょうか。
ここを読んでいらっしゃる方で資本論の冒頭をご存じない方がいるとは思えませんが、いちおうそちらも nyun 訳で引用しておきましょう。
どうですか?
バーボンの論考は1696年のものであり、資本論の執筆はその160年以上後の1860年代のことです。つまりマルクスは自分のひいおじいちゃん世代の論者に、論理バトルを挑んでいるという形になっているわけです。
ニコラス・バーボン、信用貨幣論、国定貨幣論
さてわたくしは『資本論を nyun とちゃんと読む』にあたり、バーボンのこの文章を一気読みしたのです。またバーボンの他の文章もいくつか。
そうしたらとても興味深いことがわかりました。
バーボンは、今でいう「信用貨幣論」「国定貨幣論」を完全に先取りしているのです。
とりあえず二か所引用しましょう。
ギニー金貨の価値と政治
わたくしがいちばん驚き、面白く読んだのがギニー金貨のエピソードです。
ギニー金貨の歴史的位置づけについて自分で説明するのは面倒なので、齊藤誠先生のスライドから拝借。
ギニー金貨は「20シリングの価値」として1663年に発行が始まり、1717年に「21シリングに固定」されます。
1717年に固定されたということは、それまでの間は?
ここが面白いところで、ギニー金貨には額面の数字がなく、つまり法定の価格が存在せず、その取引価格は市場に任される形になっていたわけです。
このことを踏まえてバーボンの文章を読んでみましょう。
面白いと思いませんか!
ちょうどモズラーが(MMTが)現実を見て、その観察事実に依拠して「金利は市場で決まっているのではなく、統合政府が決めてるじゃん」という指摘をしたのとそっくりだと思うんですよね。
といわけで、貨幣国定学説の元祖が19世紀に生まれたクナップである、とか言うのはまったくおかしい。
ギニー金貨とモズラー提案
さて鋭い方はもうお気づきかもしれませんが「政府の権威がギニー金貨の価格を決めているよね」というバーボンのこの話は、MMTが主張するところの「国債や労働力という商品の価格を政府が決めているよね」という話と同じ論理の形をしていますよね!
ところでギニー金貨が1717年に「21シリングに固定」されたのはなぜでしょう?
どうして最初に定めた20でなく21?
一説にはこれは「心づけ」のような意味があったと言われています。20シリング支払えばいいところをギニー金貨で支払えば1シリング分プレミアムが付けられるというわけですね。つまり「チップ」のような役割を果たす。
これを逆に言うと「チップ相当の労働の対価」が、このプレミアム分としてみんなによって価格付けされるということになる。
モズラーの初期の提案、つまりJGPという名前が付けられるより前の彼の提案に、公的機関の補助的な労働の価格を固定してはどうだろうか?というものがあったのですが、ギニー金貨のこの話はそれを思い出させます。
バーボンに関する先行研究のご紹介
最後に話を戻すと、資本論の論理を味わうためにバーボンの論理を知っておくことはとても重要だとわたくしは考えます。
バーボンがどのような人物で、どのような考え方をしていた人なのか?については、損保会社OBである永井治郎氏の素晴らしい研究が存在します。
また、バーボンの小冊子についてはわたくしより先に note などで紹介なさっている方がいらっしゃいます。
けど荒川さんのこれ、最初のちょっとだけなんですよね(笑)
この続きが実は面白いので、わたくしもこれから翻訳を引き継いでおそらく本邦初の全訳を完成させたいなと思っています。
応援よろしくお願いしまーす。