「貨幣」概念に問題あり?という話(中)-MMT的定義
同時に「マルクス経済学批判(資本論)の検討 - MMTを媒介に」の第六回も兼ねましょう。
予告した18世紀の力学における「力」概念と、現在のわたしたちの「マネー」概念の類似を語るその前に、今回はわたしたち自身の概念上の混乱を確認しておこうと思います。
”fiat money” は「不換紙幣」?
概念の混乱がはっきり表れているものとして、英語で言う ”fiat money” を採り上げます。
この概念、MMTをはじめとしたマネーをめぐる議論でしばしばお目にかかるのですが、日本語にするのがむつかしい。
訳語としては多くの場合、おそらくは20世紀初頭からの伝統に従って「不換紙幣」と翻訳されるのですが、21世紀も四分の一が終わろうとしている現在においてはこの訳語が適切ではないというケースにしばしば出くわします。
まず money がこの場合だけ「貨幣」でなく「紙幣」になるのが不思議です。
さらに fiat も「不換」という意味の言葉ではなく、もともと「上からの定めによる」というようなニュアンスです。
いったいなぜ「不換紙幣」というヘンテコな訳語が定着したのでしょうか?
このテーマは、MMTをはじめとしたマネーをめぐる世界的な議論の中で、日本をガラパゴスにしている要因の一つだとも思います。
ヘンテコ訳「不換紙幣」の成立史
まず「貨幣」という言葉を考えます。
普段のわたしたちは「おかね」「ぜに」のことを改まって「貨幣」とは言いません。一方「紙幣」という言葉はときどき使います。
お金の全体を「貨幣」呼び始めたのは、幕末から明治維新にかけての貿易および統治の議論においてからだったと考えられます。
幕末から明治の議論において、英語のマネー概念に当てはめる必要のために為政者やインテリたちがそれを「貨幣」と呼び始めます。
開国と「貨幣」
幕末開国の時に、米国との交渉の中で金銀の交換比率が定まっていきましたが、その交渉の中では当然 money という概念が使われ、それに対応する言葉は「貨幣」だったでしょう。
1858年の日米修好通商条約の条文(ここで読めます)では、この言葉が明記されていますが、日本の「貨幣」は金貨や銀貨でした。このとき政府を代表する「紙幣」はまだないので英語の 「money」 = 「貨幣(金貨や銀貨)」だったわけです。
明治の新貨幣導入
「円」という新通貨の導入は1871年(明治四年)の新貨條例によってです。ここで本位貨幣としての金貨および銀貨と、あわせて補助貨幣の銅貨が定まりそれらが鋳造、発行されます。
翌1872年には最初の「新紙幣」である明治通宝(ドイツ製)の発行が始まりますが、つまり新硬貨の発行から新紙幣が発行されるまでの期間はわずか一年。
ポンド(英)やドル(米)は、商業銀行がある程度発達したあとに中央銀行が設立され、紙幣が「銀行券(bank note)」として発行されるようになったという歴史を経ているのに対し、日本の場合は国立銀行が設立されたあとに商業銀行が発達するという逆の形だったことになります。
円の最初の紙幣が銀行券ではなく政府紙幣だった事実も象徴的ですね。
円は最初から fiat money だった
こうした経緯の結果、明治以降の人々にとって硬貨も紙幣も「お金」「ゼニ」として「円」という単位が普及していったはず。
それはつまり、日本人にとって円は初めから権威によって法令で定められたのであり、上記の通り fiat とは「上からの定めによる」という意味なので、日本人にとって円は初めから fiat money だったということになります。
しかし、このことがのちに「不換紙幣」というヘンテコ訳語を誕生させた原因です。
ここで絡むのが、明治時代になされた「貨幣」と「紙幣」というカテゴリー分類なんですよね。「銀行券(bank note)」という意識がそもそもなかった。
そして今や、お札=紙幣=日銀券=銀行券なので、その分類からすると「お札は貨幣ではない」ということになってしまう。
fiat money の概念受容史
英語圏の fiat money という概念はなぜ生まれたのでしたっけ?
この概念は、20世紀初頭に各国の金本位制離脱が現実味を帯びてきたときに、「それまでの money」 と区別するための文脈で広まったものです。ケインズやシュムペーターの時代のこと。
それまでの money は金や銀という商品(commodity)との交換が約束されたものであるのが当然のことだったので、それらを事後的に commodity money (訳語は「商品貨幣」)と呼び、交換が約束されない新しいタイプの money を、そうではなく権威の指定によるマネーという意味で "fiat money”と呼ぶようになったわけです。
さて「貨幣」と「紙幣」を区別していた日本の人々は、ここで "fiat money” の訳語に困ってしまいます。なにしろ初めから円は "fiat money”だったから。
彼らに一番わかりやすい理解の仕方が、「紙幣には金属への兌換が約束された紙幣と、約束されない紙幣があって、後者が "fiat money” である」と解釈することだったのでしょう。
こう考えることで初めて"fiat money”が「不換紙幣」と訳されるようになった事情が合理的に説明できます。
「不換貨幣」という訳語では都合が悪くなってしまう理由は、貨幣は金貨や銀貨であって、紙幣を貨幣から区別していたからです。
MMT入門 "fiat money" を理解する
レイにはMMT入門本がいくかありますが必ず "fiat money" の説明が出て来ます。
日本語に訳された入門でもレイは「fiatという言葉はあいまいだ」という議論を展開していましたが、そもそも "fiat money"を「不換紙幣」というように考えているなら、レイが何を言っているのか理解不能に陥ります。
実際に見ていきましょう。
原著には以下のように書かれています。
文頭の “Fiat” currency の訳し方は難しいです。
というのも、引用符(””)による強調は「われわれ普通に fiat currency と言うけれど、よく考えるとそれはどうだろう」というニュアンスなので、つまりこの文はそもそも「fiat =強制」というニュアンスを知っている人に対する表現であって、著者は「fiat を不換と解釈する読者が存在する」とは夢にも思っていないのです。
ぼくががんばって訳すとこんな感じですかね。
最後の because 以下のくだりの意味ですが、MMTの議論になじんでいる人にはピンとくるところです。
MMTのビューからすると、通貨は税債務を課されるから流通するのであって、政府が「これ使え」と言ったところで税がなければその通貨は普及しないのでした。
だから通貨が受け取られるために「fiat であること」はぜんぜん必要なことではありません。
出版された邦訳の文を見てみましょう。
うーん。
「通貨にはもともと受け取られる必然性がまったくないゆえに、政府があえて」という訳し方はなんとも苦し紛れですよね。
”that is not at all necessary to get a currency accepted” の that は、その前に書かれている「fiat であることによる強制」を指していて、それが「まったく不必要」という意味なのですが、この that を後ろの to 以下を受ける it であるかのように、つまり ”it is not at all necessary to get a currency accepted” であるかのように訳されているように見えます。
だから「通貨が受け取られるということ(to get a currency accepted)」が「まったく不必要(not at all necessary)」となっている。
「もともと」にあたる言葉は原文にないですし。
このようなズレは広く「概念上の混乱」の一つの現れ方だと思うんですよね。
この個所の場合、主語の"fiat money" を「法定不換通貨」と訳すとどうしてもちょっと苦しくなるんです。
まあとにかく今後 fiat は「法定不換」ではなく「上からの強制」ということをわれわれは理解いたしましょう。
ところで「法定通貨(法貨)」という言葉もありますが、その元の英語は legal tender です。
"Legal tender(法的支払手段)" について少々
そう、「法定通貨」と言ったらやはり ”legal tender” なんですね。
この言葉の存在が "fiat money” を「法定通貨」と訳しにくくしてもいます。言葉がダブってしまうから。
”legal tender”を理解するために、下は米国法の条文のキャプチャです。
この文で currency には、Federal reserve notes と notes of Federal reserve banks と notes of national banks の三種類が含まているのが興味深い…
ですがそれは置いておいて、米国の硬貨と通貨は legal tender for all debts、つまり「負債を解消するもの」として通貨が法的に規定されていますよね。
それでは日本の法で ”legal tender” を定めているのはどれなんでしょうね?
探すと日本銀行法第4条で「日本国の通貨は円とする」となっていますが、それは「通貨」としての規定であって「負債を解消できるもの」の規定ではなさそうです。
また前回も引用した通貨法(通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律)において、以下のように、通貨とは硬貨と日銀券とされます。
legal tender の規定ぽいものとしては、第七条。
しかし法貨が「負債を解消できるもの」とはどこにも規定されていない。
まあ「通貨が通用する」ことは「その通貨によって債務が解消されるようになっている」ということなので法の定めは必要ないですからね。
ということは、日本語には "Legal tender"、つまり債務解消手段の法的な指定を表すのにぴったりな言葉なり概念は「存在していない」と言っていいと思われます。
money は「貨幣」ではく「マネー」と呼ぼう
とまあ、以上の背景を考えても money を「貨幣」と訳すとどこかで問題が生じます。
「貨幣」は、その文字からしても「紙幣じゃなくて実体があるもの」というニュアンスが消えてくれないからです。
上に書いた fiat money と commodity money の分類にしても、それは英語の thing、日本語の「モノ」としての話ではなく、システム全体の把握の仕方なのだけど、「貨幣」という言葉は「モノという実体」と結びついてしがちなんです。
だから money は「マネー」にしましょう\(^o^)/
また、MMTを「現代貨幣理論」というのもなるべくやめましょう。あれは貨幣の理論ではなく、システムの理論ですからね。
レイの ”Understanding Modern Money” の Definition の記述
さて、今回こんなことをつらつら書こうと思った大きなきっかけは、レイの ”Understanding Modern Money” の第七章をゲリラ翻訳公開でした。
それもまだ途中なのですが、ここでワタクシ、"fiat money"をすっかり「不換紙幣」と訳すことにして一貫させていて。。。(笑
その作業の中で、あらためてこの訳語はよくないなと考え直しているところです。(なお、ここまで公開した箇所に限ってはそれほど問題はありません)
実は、この本のイントロダクションの中に DEFINITIONS (諸定義)という項があって、本の全体で使われる言葉が意味するとこが明示されているのですね。
こちらの本の「定義」は邦訳された「入門」のそれに比べて money 関連の定義が充実しています。
以下、翻訳しておきますね。moneyの訳語は「マネー」で一貫させましょう。
国家マネー(state money)
国家マネーとは、国家が債務(主として税債務)の弁済に受け入れるものとして定義される。国家マネーは法貨(legal tender)である場合もあれば、そうでない場合もある。今日の国家マネーは国家の債務および一部の民間債務で構成される。過去には国家マネーとして「フルボディ硬貨」(商品マネー)が使用されていた。
(訳注:フルボディとは商品価値と額面価値が一致しているの意)
商品マネー(commodity money)
商品マネーとは、ある一定量の貴金属に刻印がなされ、支払い手段および交換の媒体として流通するものとして定義される。その供給はしばしば政府によって独占される。商品マネーは、それに含まれている貴金属の量によって価値が決定される硬貨である。ただしフルボディ硬貨の場合でも、国家の勘定マネー(money of account)の観点から国家がその価値を決定する。例えば、金本位制の下では、国家が金の価値を1オンスあたり32ドルと発表し、「マーケットメーカー」として運営することによってその名目価値を維持する。この時、1ドルのフルボディ硬貨には1オンスの1/32分の金が含まれているはずだ。このようにフルボディ硬貨であっても、その名目価値が国家によって決定される場合は国家マネーになり得る。第3章で議論したように、歴史上のほとんどの貴金属硬貨はフルボディ硬貨ではなかった。貴金属を含み、その額面価値が貴金属の含有量によって定まるもの以上である硬貨は、本当はフィアットマネーなのである(要求に応じて額面どおりに貴金属と交換することを国家が約束する限り)。
フィアットマネー(fiat money)
フィアットマネーとは、国家が財やサービス、資産を購入するため、または政府の債務を解消するために発行された国家の債務として定義され、兌換は約束されない。フィアットマネーはそれ自体負債(debt)にほかならない。最も重要なのは、フィアットマネーが政府への債務、たとえば税債務を解消するために使用できることである。米国におけるフィアットマネーは、通貨または現金(連邦準備券、財務省の硬貨、そして財務省券も残っている)と銀行準備金(銀行の金庫に保管されている通貨、および - より重要なものとして - 銀行の連邦準備銀行への預金)で構成されている。上記のように、金本位制の下でさえ、金を含む硬貨がフルボディ硬貨ではなく、金と引き換えられないならそれはフィアットマネーにほかならない。
フィアットマネーの価値は国家への「信頼(trust)」で決まると言われることがよくある。ある意味ではこれは真実である。以下で議論するように、必要なのは、国家が税債務を課し、それを強制的に徴収することへの「信頼」である。その税債務は国家の支払い事務所で額面どおりに受け入れられる国家マネーの形で支払われる。例えば、額面が1ドルの硬貨は、税金の支払いにおいて国家によって1ドルの価値で受け入れられなければならない。そしてのことは商品マネーにもフィアットマネーにも同じように当てはまる。フィアットマネーの硬貨とフルボディ硬貨の間にはさした違いはない。
※ nyunコメント
現金に「残っている」財務省券(Treasury notes)とは、いわゆるグリーンバック(リンカーンおよびケネディ時代などに発行された法定不換紙幣)が代表的。ほかに銀証券(Silver Certificates)等もある。同じ"Treasury notes" でも現代の利付証券のことではないはず。
通貨(currency)、ハイパワードマネー(ベースマネー)
ところで、「フィアットマネー」と「商品マネー」の区別をやめ、「通貨(currency)」という用語を使用する方が好ましいかもしれない(いずれにしても「商品マネー」はもはや使用されていない)。ただ「通貨」には、ほとんどの人は銀行の準備預金を通貨と考えないという欠点がある。フィアットマネーの定義を銀行準備預金にまで広げて扱うこともできる。そのフィアットマネーは、経済学者が「ハイパワードマネー」または「ベースマネー」と呼ぶものに最も近いものだろう。
銀行マネー(bank money)
銀行マネーは、支払い手段または交換媒体として受け入れられる銀行の負債として定義される。今日ではこれは、主に小切手を振り出せる口座の預金を指すが、過去においては主として銀行券で構成されていた。銀行マネーの一部は、特に現代において、フィアットマネーおよび/または商品マネーとの間で、価値を失わない交換がほぼ可能である。今日では、この交換は常にフィアットマネーと等価で行われるが、過去には銀行マネーは交換可能でないまま流通していたことがよくあった。国家がその支払い事務所でフィアットマネーを受け入れるのと同様に、銀行も銀行システムへの債務を解消するために銀行マネー(訳注:他の銀行のマネー)を受け入れる。交換可能でない銀行マネーが流通する理由はこれである。また、銀行マネーが等価で交換可能でなかった時代、個々の銀行は他の銀行が発行したマネーを選別して受け入れていた。
この問題は、銀行が相互に等価で口座を決済できるクリアリングハウスの開発によって解決された。これにより、各銀行はどの銀行が発行したマネーでも受け入れることができるようになり、人々の受け入れが増加した。こうした受容性は銀行マネーのよりも、税の支払いに受け入れられる国家マネーの方が高くなる。国家が銀行預金を税の支払いに国家マネーと区別なく受け入れる場合、銀行預金は等価で決済される。銀行マネーは国家マネーでなくても流通することができる(実際に流通していた)。税の支払いにおいて受容されることはマネーの需要を生む十分条件であっても、必要条件ではない。
勘定単位(The unit of account)
勘定単位(The unit of account)とは、マネー、価格、および金銭契約が名目化される単位である。これは元々、小麦や大麦の一定量の重量に基づいた重量単位(シェケル、リラ、ポンド)だった。現代経済において、これは純粋に概念的なもので、ドル、マルク、フランだ。現代の国家は、勘定単位で名目化されたフィアットマネーを発行し、同じ勘定単位で常に表される税債務の支払いとしてフィアットマネーを受け入れる。米国の勘定単位はもちろんドルだ。税債務、すべての重要な国内価格(債務および資産の価格を含む)、およびほとんどの国内金銭契約はドルで名目化されている。これから議論するように、財政政策はドルの国内価値、つまりドルが国内でどれだけ買えるかを決定する上で大きな役割を果たす。
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