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MMTの「お金は『借用書だ』論」入門−注意事項あり

 今回から「お金は借用書(IOU)だ」の意味を考えてみます。
 これはちょっと面倒くさい作業に見えるかもしれません。けれど「言葉を大事にする」とはちゃんと考えることであり、ちゃんと考えないと見落としてしまうことを見落としてほしくないとじぶんは願っています。筆者がいつも問題にしている「障碍者や難病者やその家族のことを、日本語者だけが見落とす現象」はここに原因がありそうです。

「持っている」「借りている」とは?

 日本語の話者とそうでない人たちとは「いのちについての感覚」がかなり異なっていると感じます。

 じぶんが知る限り、日本語話者でない人々の多くはこんな基本認識を持っている気がします。

 人間は裸で生まれて裸で死んで行くのだから、その期間に起こることは「永遠の自分のもの」ではなく「世界から借りている」感じのものである。自己の命や人生は世界からの借り物だ。

 逆に言えば、日本語社会というところは突出してこの感覚に「欠けている」という印象があるのです。そしてこのことは、MMTを始めとした「負債についての議論」が日本語話者にすごく誤解されていることと深く関係していると考えます。負債を主題とした議論の中には当然のこととして、 have, own, pay, borrow などといった「超基本語」がたくさん登場します。ところが多くの日本語話者は上記の感覚が乏しいので、基本語の段階で意味を取り違えてしまい、結果として全体の意味がぜんぜんわからない!ということが起こるわけです。

 さらにこの問題が厄介なものになる理由の一つとして、実学の英語に少し自信がある人ほど、生活様式と言語のつながりを見落として「ああ、have は【持っている】で own は【所有している】だな」と、日本語変換で済ませてしまうということがあります。

 とりわけ経済学者は、哲学や文学の専門家とは異なり文化的背景を考える姿勢に欠ける人ばかりなのでこの傾向が強くなります。だから「日本の経済学の専門家による負債論紹介」は、実際にはむしろ「奇形的なもの」になっているにも関わらず、読者はなんとなく「専門家だから聞くべき価値くらいはあるだろう」と信用してしまう。

 元はと言えば経済学者の知的レベルが圧倒的に低いせいなのに、こんなにも馬鹿らしい状況に。。。

 しかし安心してください。彼らの邪魔さえなければ難しい話ではありません。「いのちは借り物ですよね」と知っていれば十分と思います。

 言語感覚について一つだけ例を挙げておきます。米国では、多くの人は子どもの頃から賛美歌を「知って」います。基本的な単語の意味というものは、教会を始めとした公共空間で社会的に共有されていくものだということを想像してほしいからです。

 米国賛美歌514番 「弱き者よ」 (Jesus Paid It All) 。何度もリフレインされるのが下の歌詞の部分です。

Jesus paid it all,
All to Him I owe;
Sin had left a crimson stain,
He washed it white as snow.

 イエスが原罪(Sin)をすべて背負われた(pay)ことで、人間のすべての罪は贖われた。私の全ては彼のおかげです(All  to him I owe)。

I owe you とはなんだろう

 それでは、I owe you を検討します。
 英語の語源辞典を調べてみると面白いことがわかります(文学ではこれ基本です)。owe は have と似ているとか、ゲルマン語時代の元の意味は "to have to repay, be indebted for" だったとか、"to own to yield"だったとか!

 このように英語圏の普通の人々にとって、何かを持っていることは「借りていること」であり、「いつか返さなければならないもの」という共通感覚があります。

 なので、「私」が「あなた」から「何か」を「受け取る」とは、「世界からあなたが借りているものを、わたしが借りることなった」です。
また、「私」から見れば「あなた」という他者は「世界の一部」であり、「世界の一部のあなた」が何かをしてくれたなら、そこに感謝する気持ちが自然に生まれるというものです。

公共マネーが株を買うことが悲しいわけ

 次回はようやくお金の話に入れそうです。今回は最後に政治的な話をしておきましょう。

 今回の話を踏まえると、現在日本で進行中の「日銀や年金による株の爆買い」がどれだけ酷いものであるかが経済学者以外にはわかるはずなのです。

 だって公的機関が支出をする、つまり「政府がIOUを発行する」とはいったいどのような意味になるでしょう? 
「きょう日銀が1000億円の株を買った」というニュースを見るたびに悲しく、また苦しくなるのは普通の人々の感覚ではないでしょうか。

「この政府は上場企業の株主だけには『あなた達が居てくれてありがとう』とあれだけの感謝の意を表明するのだな。障碍や治療法のない病で苦しむ人やその家族には何もしないどころか、税まで取っているのに。」

 『居てくれてありがとう』の逆は『居なくなってほしい』です。

 じぶんはふだんから『経済学者は全員居なくなってほしい』と平気で言っています。身内にも言葉が過ぎるという人がいます。でもそれは、彼ら経済学者がこれまで一貫して弱者に対して『消えろ』と実質的に言ってきたことに抗おうとしているだけのつもりです。

 でも経済学者以外の皆さんはいったいどうなんでしょう?最近は黒田日銀への批判者が増えているように感じられ心強いのですけれど。

 つづく

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