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第40回 イネス『貨幣とは何か』におけるタリーの話をMMT視点で徹底的に読む

資本論-ヘーゲル-MMTを三位一体で語る」の、第40回。


  表題でイネスと書きましたが、レイのこちらの本に関して。

 とにかくこれはすごい本です。
 イネスの議論はこの本の、特に第三章で論じられています。

 ワタクシが今回これを書く動機になったのは、SNSにおけるレイのこの本に関してのこの発言を見たことでした。

レイ本への感想

 うーん。

 しかし、これがどのような誤読であるのかをちゃんと説明するのは簡単ではありません。

 特に石塚さんが混乱されている元の語であるところの deficient household 、surplus household といった概念は、確かにちょっとわかりにくい。それだけに、その部分だけを拾い読みしたのでは絶対に理解できないところです。

 またそれだけに、元の本に即してこのあたりをキチンと解説しておくことは、MMTに少しでも関心のある方にとって有意義なことだと思われます。

 そして焦点を絞らないと面白味はないし、論点がぼやけるため、石塚さんの発言から三つの問題を抽出し、それぞれを説明して御覧に入れることをある種の「導きの糸」にする意識で論じていきましょう。

 その三つとは、以下です。

三つの問題

  • 問題1
    「税金が払えない家計に政府が貸し付ける」と読める箇所についての説明

  • 問題2
    「税が払えない不足した家計が負債を発行する。しかも、その負債は fiat -money -of-account建てであること。」これはどういうことか?
    さらに、「余裕のある家計がその負債を持つ」とは???

  • 問題3
    レイがこの本で「銀行業が、税を払えない人に対する公的な貸付から始まった」と主張していると読解された、その箇所の本来の意味は?

ではどうか、まあお気楽に。


銀行と政府の連動メカニズムの理解は必須、なぜなら。。。

 現代の日本において、多くの家計は決済に銀行預金を使っています。銀行預金は、その銀行が預金者に発行している負債だ。これは預金者の資産であり、銀行の負債です。
 ここに政府は登場していません。

 しかし次に、政府と通貨『円』の関係を考えてみましょう。政府がジェット機を購入するとします。

 これは財政支出です。

 政府はジェット機の対価として、自らの負債として『円』を発行する。
 このしくみはジェット機の購入であっても、年金の支払いであっても共通している。

 ところで、わたしたちが日々使っている通貨と政府の関係はどうなっているのでしょう?
 国民(納税者)たちは、銀行を媒介者として通貨『円』を「使って」いる。紙幣(日本銀行券)や硬貨を手に入れるときは銀行に行くし、多くの場合、紙幣や硬貨の代わりに預金を「使って」いる。
 公共料金の支払いにわざわざ紙幣や硬貨を使っている人はほとんどおらず、みんな銀行の預金を使っている。

 税の支払いも、税務署に紙幣や硬貨を持っていく人よりも、預金で振り込む人の方がはるかに多い。というか、今や預金の振り込みがデフォルトです。

 冒頭に書いたように、わたしたちがが「使って」いる銀行預金は銀行の負債であって、預金者と銀行の関係があるだけで、この関係に政府はかかわっていないのです。

 わたしたちは、政府の通貨『円』を「使う」、つまりジェット機の対価としてや年金の形で政府の『円』を受け取ったり、税や罰金を支払うときに銀行を媒介にしている。

 図にしてみました。

 「媒介者」である銀行のおかげで、政府も納税者もラクになっている面がありますね。
 納税を考えるとわかりやすい。

 だって、われわれは、納税の時にわざわざ「政府の負債(紙幣や硬貨)」を集めなくても銀行が媒介してくれている。

 これを政府から見れば、税を集めやすい仕組みになっているともいえる。

 しかし、この媒介者の仲介ぶりを本質的な機能面で理解するのは簡単ではない。

  A.F.イネスは What is money?、と題される1913年の論文でこれに挑みました。

 そしていまご紹介している、レイの Understanding Modern Money においてもイネスの説明が重要な役割を果たします。

 これから詳しく書きますが、イネスは中世イングランドの「タリー」を使ったシステムを題材に採るのです。

 そしてその基本的な仕組みは、古代バビロニア時代からのものと同じであるし、現代の貨幣システムも本質的に同じだという論じ方をする。

 これは確かにうまい方法。

 そこでワタクシもここから徹底的にやってみましょう。

イネス『貨幣とは何か?』における中世イングランドのタリーの話

 幸いなことにWhat is money?は楊枝嗣朗が翻訳を公開されています。

 ちょっと長いかもですが日本語訳を併せて引用しますね。
 できれば全文お読むべきなのでしょうけれど。

The method by which governments carry on their finance by means of debts and credits is particularly interesting. Just like any private individual, the government pays by giving acknowledgments of indebtedness—drafts on the Royal Treasury, or on some other branch of the government or on the government bank. This is well seen in medieval England, where the regular method used by the government for paying a creditor was by "raising a tally" on the Customs or on some other revenue-getting department, that is to say by giving to the creditor as an acknowledgment of indebtedness a wooden tally. The Exchequer accounts are full of entries such as the following:—"To Thomas de Bello Campo, Earl of Warwick, by divers tallies raised this day, containing 500 marks delivered to the same Earl." "To. . . . . by one tally raised this day in the name of the Collectors of the small customs in the Port of London containing £40." The system was not finally abandoned till the beginning of the nineteenth century.
政府が債務や信用といった手段でファイナンスを行う方法は,とりわけ興味深い。丁度,あらゆる民間人と同様に,政府も,国庫や政府の他の部局あるいは政府の銀行宛に振り出された債務受認の証書を渡すことで支払を行っている。この点は,中世イングランドでもよく見られる。そこでの債権者への支払に政府が使った通常の方法は,税関やあるいは歳入を取り立てる他の部局宛の「タリーで支払う(“raisingatally”)」というものである。すなわち,木製のタリーを債務の受認の記しとして債権者に与えるのである。国庫の勘定は,以下のような記述の書き込みで溢れている。「トーマス・デ・ベロ・カンポへ。ウォーリック伯は,本日,同伯爵に手渡された500マルクに対し,同額となる複数のタリーを発行した。」「何某へ。本日,ロンドン港の少額関税の徴税官の名義で,£40のタリーを発行した。」この制度が最終的に廃止されたのは,やっと19世紀初頭になってからである。

I have already explained how such acknowledgments acquire a value in the case of private persons. We are all engaged in buying and selling, we manufacture commodities for sale, we cultivate the ground and sell the produce, we sell the labor of our hands or the work of our intelligence or the use of our property, and the only way in which we can be paid for the services we thus render is by receiving back from our purchasers the tallies which we ourselves have given in payment of like services which we have received from others.
すでに私はそのような債務承諾が民間人の場合,如何にして価値をもったのかを説明した。われわれはすべて売買に関わり,販売するため商品を製造し,土地を耕し,農産物を売り,さらに労働力やあるいは知恵を使って作った製品や不動産の使用権を売る。そして,われわれが納めたサービスに対して支払ってもらう唯一の方法は,われわれが他人から受け取った同様なサービスにわれわれ自身が支払いに充てたタリーを購入者から受け戻すことによってである。

But a government produces nothing for sale, and owns little or no property; of what value, then, are these tallies to the creditors of the government? They acquire their value in this way. The government by law obliges certain selected persons to become its debtors. It declares that so-and-so, who imports goods from abroad, shall owe the government so much on all that he imports, or that so-and-so, who owns land, shall owe to the government so much per acre. This procedure is called levying a tax, and the persons thus forced into the position of debtors to the government must in theory seek out the holders of the tallies or other instrument acknowledging a debt due by the government, and acquire from them the tallies by selling to them some commodity or in doing them some service, in exchange for which they may be induced to part with their tallies. When these are returned to the government treasury, the taxes are paid. How literally true this is can be seen by examining the accounts of the sheriffs in England in olden days. They were the collectors of inland taxes, and had to bring their revenues to London periodically. The bulk of their collections always consisted of exchequer tallies, and though, of course, there was often a certain quantity of coin, just as often there was one at all, the whole consisting of tallies.
しかし,政府は売ることの出来るものを何ももっていないし,ほとんど資産らしきものをもっていない。それでは政府の債権者に手渡されたこれらタリーは,いかなる価値を持つのだろうか。以下のようにして,政府のタリーは価値を獲得する。政府は法律でもって,人々を選び,政府に対する債務者にする。政府は,海外から物品を輸入する人々に対して輸入した品々に応じて,政府に対して何がしかの金額の支払を課す。また土地をもつ人々に対しても1エーカー当たりにつき,お金の支払いを命じる。この措置は税の徴収と呼ばれるものであるが,政府に対する債務者の立場に立たされた人々は,理論的には,政府が債務支払を認めて発行したタリーやその他の証書の保有者を探し出し,彼らに商品を売ったり,サービスを提供したりして,その対価にタリーを譲渡してもらうことで,タリーを獲得しなければならない。これらのタリーが国庫に還流してくると,税が支払われるのである。このことが文字通りどれほど真実であるかは,昔の州長官sheriffsの帳簿を調べてみれば,一目瞭然である。彼らシェリフは内国税を徴収し,周期的に徴収したものをロンドンに送らねばならなかった。徴税額の大半は常に国庫発行のタリーであった。もちろん,しばしばコインも確かに含まれてもいたが,大抵,タリーが大部分を占めていた。国庫が金銀を受領し蓄え払い出す場所だという一般的な思い込みは,全くの偽りである。実際,イングランドの国庫の全業務は,タリーの発行と受領,一般にタリーのふたつの片割れの名前をストックとスタッブと呼んでいた部分の比較,そして,政府の債権者・債務者勘定の記帳と,国庫に戻ってきたタリーの廃棄から成っていた。国庫は,事実上,政府の債権・債務決済の大きな手形交換所であった。

 

 さて、ここまでで中世ではタリーが王の支払い手段と納税手段になっていたということがわかりました。

 続いてイネスは、現代のわたしたちと同じく中世の納税者たちも、王が直接タリーを集めていたわけではなかったという話をする。

図1:王と納税者の直接関係ではなかった

Taxpayers in olden days did not, of course, have in fact to search out the owners of the tallies any more than to have to-day to seek for the holders of drafts on the Bank of England.
昔も実際,納税者は,今日のように,イングランド銀行宛の手形保有者を 探さねばならないほど以上に,タリーの所有者を探し出さねばならないことはもちろんない。

 つまりこうだったわけです。

図2:中世も銀行が介在していた

 そう、銀行家がいたのです。
 そして、もっと昔から。

This was done through the bankers, who from the earliest days of history were always the financial agents of the governments. In Babylon it was the Sons of Egibi and the Sons of Marashu, in medieval Europe it was the Jewish and Florentine and Genoese bankers whose names figure in history.
これは,昔から政府の金融代理人であった銀行家を通じて行われていた。バビロンではそれは the Son of Egibi や the Son of Marashu であり,中世のヨーロッパでは,名前が歴史に残るほどのユダヤ人やフロレンスやジェノアの銀行家達であった。


 古代バビロニアも現代も、中世における「タリーとローン」の事例を媒介すると、ずっと同じなんだなということがわかります。

 現代のわたしたちにとってタリーに相当するのが紙幣や硬貨。銀行の準備預金もそうです。

 これらは中央銀行を含めた政府部門の、わたしたちに対する負債です。

 そして、現代のわたしたちの「銀行預金」は、中世も銀行のローンとして存在していたということもわかります。

 さらにそれは古代バビロニアからのもので、そのしくみがヨーロッパに入っていったと考えられるとのことです。 

 (なお、冒頭の【問題3、レイがこの本で「銀行業が、税を払えない人に対する公的な貸付から始まった」と主張していると読解された、その箇所の本来の意味は?】はここ関連の話になります)

 さて

 というわけで今回は、ワタクシとしても銀行という媒介者の役割を、タリーのシステムを題材にしてしっかり図にしていこうと思います。

 ここで大事なのは、タリーの貸借、つまり人々は銀行にタリーを預けたり、借りたりすることでどのようなことが起こるかを理解することです。

 タリーの発行者でも使用者でもない媒介者に過ぎない銀行が「残余(リザーブ)」の形でタリーを持つことの意義の理解が大事でしょう。

 現代の中央銀行の準備預金は、基本的に当時の「残余(リザーブ)」とそっくりな機能を果たしていますから。

 では参ります。

1.基本形:財政支出と徴税

 まず財政支出と徴税だけの基本形をこうだとしましょう。
 棒のようなイラストはタリーを表します。

図3:財政支出と徴税

 銀行内の右上の 0 の数字が残余(リザーブ)ですが、その説明は少し後回しにしましょう。

2. 預けの発生

 ここで媒介者である銀行が民からタリーを預かる形ができると、王にも民にもいいことがあります。民にとってのメリットは、保管や移動の場所や手間が不要になり、何なら納税の時も、銀行に代行してもらえばよいことになる。

図4:預けの発生

 そうすると、銀行と民の間では現物タリーのやり取りをしなくても、王の財政支出を受け取ったり、そのタリーで納税することができるようになる。

 これを詳しく見てみましょう。

3.政府支出で受け取るタリーを銀行に預けて、納税の時にそれを引き出してから納税するフロー

 その効果を実感するために、仮に、銀行に預けてはいけないというルールにすると、こんなに面倒なことになります。
 これはいわば「反面教師」です。

図5:面倒なフロー

4.上のフローを預り証で簡略化

 タリーを銀行に預けてよいということにすれば、上のフローはこんなにスッキリします。

図6:タリーの預けができれば民はタリーを持つ必要がない

 このように、民には「預り証」さえあればよく、タリー自体を持つ必要がなくなっています。

 さて次は、「貸し」の逆である「借り」が発生する様子も見てみたいですが、その前に。

5. 「預け」の性質、タリーが銀行に溜まる原理

 誰かが銀行から「現物」タリーを借りようと思ったら、銀行にタリーが存在していなければなりません。

 上の図6で、タリーが納税(=徴税)に使われていない状態がそれにあたりますので、そこでストップした図が図7です。

図7:タリーが銀行に保持(reserve)されている

 ここで止めると、現物のタリーは媒介者である銀行の内部に保持されていることがわかります。

7. リザーブ概念の導入

 この内部に保持(reserve)されている量を「リザーブ」と呼ぶことにしますると、今、銀行のリザーブは「1」になりました。

  このタイミングであれば、銀行はタリーを「又貸し」することができますね。

 ここで、貸した人にとって、リザーブ大事な量であることが直感的なわかりますか?
 貸し手が預か証と引き換えに銀行に渡したタリーは「自分のもの」という感覚があるからです。

8. 課税により「不足の民」が現れる

 さて、又貸しする先は「タリーを必要としている人」です。
 タリーが必要な人はどのような人でしょうか?

 それは王によってタリーで税を払うように命令されたような人です。

 「税債務(tax liability )がある人」と言いますが、ここで「民」たちは三つのつのグループ、階級に分けることができることになります。

 タリー不足の(deficient)  民、タリー超過(surplus)の民、そして、そのどちらでもない民です。

 この概念が重要。

 「不足の(deficient)民」は、課税によって必然的に生まれます。
 「超過の(surplus)民」は、政府との間で何かを交換することによってタリーを入手することによって誕生します。

図8:タリー単位の課税により民の階級が分裂する

 以上でひととおりの準備ができました。

 お待たせしました、「借り」の図です。

9. タリーの「借り」と「返済」の原型

図9:タリー「借り」と「返済」

 (王を省いています)
 この図もむつかしくないですよね?
 
 タリーが欲しい民は、現物タリーを借りる代わりに債務証書を差し出します。
 返済の場合はその逆で、タリーを返す時に債務証書を返してもらいます。

10.タリーの「借り」「返済」とリザーブ量・正味のタリー量

 では、上の5で「預け」の性質を調べたように、「借り」について調べていきます。

図10:「借り」によるリザーブとタリー量それぞれの変化

 「借り」によっては借り手の「正味のタリー量」は変化しません。
 この白い人は、何のために借りているのかは不明ですが、渡した債務証書と手元の現物タリーは等しい価値なので、自分の正味のタリー量は「ゼロ」のままでよさそうです。

 一方、銀行のリザーブ量は減ります。
 「現物タリー」の動きを見れば、手元にあった1が流出しているのでこれは当然。

 次に、図11は返済です。
 これはちょうど逆なのですぐに理解できると思います。

図11:「返済」によるリザーブとタリー量それぞれの変化

11.政府の課税により生まれる「不足の民」のモデル

 いよいよ「不足の民」を誕生させましょう。
 くどいようですが「タリー不足の民」は、定義によって納税義務を与えるでのみ誕生します。

 彼にとっての納税義務は、図10で銀行からタリーを「借り」、債務証書を渡した状態と近いものがあります。
 彼がタリーを渡さなければならない相手が銀行であるか、政府であるかの違いだと言えます。

図12:不足の民を生むのは課税だけ

 王による納税義務の付与は、銀行の頭越しに、銀行とは無関係に行われています。

12. 「過剰の民」が存在する状態に「不足の民」が登場

 ではいよいよ、「過剰の民」が存在する状態に「不足の民」を登場させます。 話の都合上リザーブを2にしたいので、過剰の民は二人いることにします。

 こうなります。

図13:「過剰の民」二人が存在する状態に「不足の民」が登場

 不足の民はタリーを入手しないと納税することができない。

 彼が狙うのは銀行にリザーブとして存在する現物タリー。この世界にタリーはこにしかありません。

 そこで彼は、自らの債務証書を発行して、銀行から現物タリーを引き取ります。「借り」です。

 この「借り」こそは、冒頭の問題2「税が払えない不足した家計が負債を発行する。しかも、その負債は fiat -money -of-account建てであること」とはどういうことかの説明に相当することになります。

 つまりこの「不足の民」は今から負債を発行して、納税のためのタリーを入手します。

図14:「不足の民」が負債を発行して納税のためのタリーを借りた

 お気づきと思いますが、このタリーは移動させる必要がありませんでした。
 書き直します。

13.銀行の信用創造とその深い意味


図15:「不足の民」が負債を発行して納税のためのタリーを預り証で借りた

 図14と違うのは銀行が「不足の民」に対して債務証書と交換で渡すものがタリーではなく、タリーの「預り証」になっています。

 ところで、この全体像の一部である「不足の民」と銀行のやりとりだけを観察すると、それがいわゆる銀行の「信用創造」であり「貨幣創造」に相当します。

 しかし、この図はいろいろなことを考えさせられませんか?

 右上に、預り証の数3を表示してみました。
 この世に現物タリーは2本しかないのに、預り証が3枚ある。
 信用創造があったということですね。

 銀行が「あと1本ある」というテイにしている。
 
 ただこれって、民同士でもできる取引なんですよね。

 すなわち「不足の民」は「超過の民」からタリーを借りる形をとっても、「不足の民」は税を納めることができるようになる。

 銀行にしても、「不足の民」に貸すそのタリーは「超過の民」のタリーだったはずです。

 だから、銀行が仲介者であり、中立な媒介者であると考えるならば、「不足の民」は「超過の民」から借りているし、「超過の民」の側から見れば「不足の民」に自分が貸しているという形だともいえる。

 これが問題2の答えです。

 ちゃんちゃん

 ちゃんちゃん、じゃない!

 まだ、問題は残っています。
 それは次回やりましょう。

 今回わたくしが思ったのは、次のことです。

信用創造をわかっている人ほど、レイの本は理解しにくいと思われる

 たとえば金融政策の細部を知る「学」があります。

 こういうのを知らないと、議論にならないよ、みたいな。

 まあ、それはそうだし、この程度は頭に入れておいてもいいとして、細部を突き詰めていくときに、しばしば大きな構造の方を見失う。

 銀行は何のためにあるのか。
 なぜこうなるのか。
 マルクスの剰余価値論から、この描像はどのように解釈されるか。
 なぜMMTのミッチェルは銀行国有化を言うのか。

 皆さんも、どうぞご一緒に。

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