君は私。

「君は私だよ。」

嘘偽りない純粋な眼差しで彼女は言葉を吐いた。目まぐるしく変化する景色を見向きもせずに、ただ一点だけを見つめる彼女に逞しさを感じた。

「どういうこと?」

僕は率直に返した。彼女と同じ純粋な眼差しで。

「君は私なんだ。そして私も君なんだ。君は自分が誰なのか分かってる?恐らく分かってないと思うんだ。それは私も同じ。私も私が誰なのか分かっていない。」

時々、彼女は僕といるにも関わらず、独りになってしまうことがある。寂しそうに自分に言い聞かせるように話すんだ。

「たぶんさ、自分と他者っていうのは分離していないんだよ。これが真に私だって証明できるものってないじゃん?それは他者も同じで、みんな何者でもないんだよ。だから私達はみな本質的には同じなんだと思う。」

カーテンの隙間から陽光が差し込む。宙に浮かぶ埃が可視化され、彼女は手をそっと差し伸べた。

「この埃だってそうだよ。これも私。そこにある鉛筆だって私。消しゴムもボールペンも。全部私なんだ。そして全部君なんだ。」

机の上は筆記用具で散らばっていた。正直分からなかった。彼女の言葉ひとつひとつを頭の中でゆっくりと噛み砕いた。

「私達はいつからか世界に傲慢になってしまったんだよ。比較を通してあれは正しい、あれは正しくない。そうやって世界を認識して、切り捨てて。けど違うんだ。もともと全部ひとつなんだよ。全ては同一なんだ。だからさ、最初は許すべきなんだよ。許してからが始まりなんだ。」

「ごめんね。深く理解できていないからあれなんだけど、つまり人を殺したりとか、窃盗とかも許されないといけないってこと?」

彼女の優しさに甘えて疑問を返す。

「そうだね。最初は全てを許すんだ。だってさ、君は人を絶対に殺さないって言える?絶対に盗みを働かないって言える?この世界は選択の連続で、少し選択が異なっていれば人を殺していたかもしれない。盗みを働いていたかもしれない。今の君がいるのは過去の選択の巡り合わせなんだよ。だから、殺人を犯す人だって、窃盗を行う人だって、もしかしたら私だったかもしれない。別の世界線の私なんだよ。だから、だから許してあげるべきなんじゃないかな。」

そう返す彼女の言葉を僕は受け入れることができなかった。

「けどさ、大切な人を殺された側の人たちはそんなこと言ってられないんじゃないかな。」

「うん、そうだと思うよ。だから最初だけでいいんだ。最初は許す、その後は司法や時間、周囲の人たちが苦しみを溶かしていく。折り合いがつけられないこともあるだろうけど、最終的には否が応でも結論が出る。残酷だけどね。」

ペットボトルに入ったぬるいお茶を飲み干す。喉を通る感触をいつもより強く感じた。

「もちろん許せないこともあると思うし、なんならそっちのほうが多いんじゃないかな。けど私達はひとりじゃない。共同体として存在している。濁って混ざり合っている。そういった意識は必要なんじゃないかなって、理想論かもしれないけどね。」

苦笑しながら答える彼女にどこか諦めを感じた。不可能を感じ取っていたのだろう。やるせなさが零れ落ちた。

僕らは不完全な世界を渡り歩いている。どうしようもない、どうにもならない現実を目の当たりにし、無力と無秩序が姿を現す。いつまでも夢を見ていたい。そう願っても決してそうはならない。否が応でも朝がやって来る。僕ら人間は何もできない。相容れない感情が葛藤を生み出し魂を汚していく。

「全てはひとつなんだ。」

僕は彼女の言葉を反芻した。

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