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私をおろすこと(日記)

今週は第2コリント人への手紙12章9節「キリストの力が私をおおうために、むしろ多いに喜んで私の弱さを誇りましょう」のみことばを握り祈っていました。

その中で気づかされたのが、ずっと神様の前で強がっていた私です。

振り返ってみると、小さい頃から、ずっと「私にはできない」「耐えられない」を伝えるのが苦手でした。

大人になってからは、それも強さだと思っていました。仕事ではアピールが必要な時もあります。

しかし、神様の前でも同じように強がっていました。そして、そのことに気づいていませんでした。

キリストを聞いて、また信じて受け入れ、救われていなかったのなら、それしかなかったかもしれません。しかし今は違いました。

神様は全知全能の方です。気づいてみると、その方の前に「わかります」「できます」「耐えられます」といったところで、どれほど私ができると言うのでしょうか・・・

私は大人だし、今や親にもなりましたが、父なる神様の前では子どもでした。

私にはこれは、わかりません。できません。耐えられません。祈りで父なる神様に告白する時、確かに神様の愛をもって聞いてくださるのがわかりました。

またキリストは、ヘブル4:15にあるように、確かに「私たちの弱さに同情できない方ではありません」でした。

確かにみことばが祈りの中で働き、私の重荷をおろし、なぐさめと平安を、また満たしと力をくださっています。

不思議と、これまで悩んでいた対人関係のことの1つが、本当に解決しそうになってきました。結果にも感謝ですが、神様との関係性を新たに教えられた事が本当の感謝でした。(おわり)

"しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。"
コリント人への手紙 第二 12章9節


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