見出し画像

プライド〜最も重要であり、最も邪魔なもの〜

早速今回の結論、基本的にプライドは捨てるべき。持ってても意味がない。悪い方向に転ぶことがほとんどなので。






さていきなり結論でぶった斬るところからスタートしました🗡。

矛盾しますが、プライドというものはバンドをやっていく上では必要なものです。


とあるラーメン屋があります。
完食後、店主にこう声をかけられました。
「うちのラーメン、不味くなかったですか?大丈夫そうでしたか?」

バンドに置き換えてみましょう。

あなたはとあるバンドのお客さんの対バンイベントを見にライブハウスに足を運びました。
終演後、見に行ったバンドメンバーから一言。
「ミスしまくりで本当に不甲斐ないライブだったな〜、せっかく来てくれたのにごめんね〜。」



……………こんなこと言われたらどうよ?

こっちは金払ってラーメン食ったりチケット買って見に行ったりしてるんだぜ?

美味かったかもしれないじゃん、ライブ楽しかったかもしれないじゃん。

その言葉のせいで一気に台無しよ



プライドはもちろん必要なもの。自分の作ったものにすらプライドを持てないとなったら何のために作ったの?って話。



でも今回の焦点はそこじゃない。


気づいているとは思いますが、如何せんプライドというものは管理が難しいもの

初っ端にプライドは捨てるべきと言いました。



捨てるとは言ってもねぇ…

言うは易く、行うは難しですわな。



プライド、言ってしまえば自分の今までのスタイルなわけで。
今まで自分が正しいと思って進んできた道な訳で。


プライドを捨てる=その人の自尊心に傷がつく


場合によっては再起不能にも十分なり得ますね。



再起不能の可能性を孕んでいるにも関わらず、捨てた方がいいと考える理由。

結局固執しても状況が好転するケースはほぼなかったからです。その無駄なこだわりが枷になっていることにも気づかずに。


僕も過去にいらないプライドのせいで色々なものを無駄にしてきました。

・個人練、バンド練は「必ず」フルセットの持ち込み。
・セッティングは毎回「必ず」同じ。
・王道として使用されている機材は「絶対」使わない。etc…


「必ず」、「絶対」。

プライドの高さと思考の柔軟性は反比例するものです。


「こだわり」と言えば聞こえはいいかもしれません。


でもそのこだわりが自分の首絞めてることに気づいてます?

自分の選択肢と経験値を潰して遠回りすることに意味あります?




実際問題、プライドが高い人の考えを変えることはほぼ無理です。周りからの声を聞く耳を持ち合わせる余裕がないので。

僕は「とりあえずやってみようの精神」を持つようになってからだいぶ精神的に楽になれました。本当に。笑


強がってないでさ〜、とりあえず1回やってみない?

君の考えもわかる、でもまぁ一旦振り返ってみない?

1回とりあえず違うやり方も試してみない?



今回は以上!それではまた👋。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?