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曖昧な表現は控えよう

さて、自分のバンドの企画も終了して1週間が経とうとしています。
企画に対する想いは前回のnoteで散々ぶつけたので、今回からは平常運行に戻ります🛞。

今回のタイトルは「曖昧な表現は控えよう」。読んで字の如く。会話でも文字でも気をつけたいポイント。




一言に「曖昧な表現」とは言ってもあまりにも輪郭が不鮮明すぎるので、このnote内では「曖昧な表現」とは以下のものと定義づけます。↓

・〜してほしい「かも」、〜だったと「思う」などの断言でない語尾
・任せる、どっちでもいいなどの他人に意見を委ねる表現

発言している本人は、相手を傷つけないようにとか、角が立たないようにと考えて慎重に言葉を選んでくれている場合が多いと思います。
実際僕も高校まではそうでした、相手に嫌われることを極度に恐れていたので。


でも結局のところ、そう言った婉曲表現、回りくどい表現は相手に優しくないんです。むしろ不親切まである。

梱包を頑丈にしすぎて開けるのに一苦労の封止めのテープ。
商品に対して大きすぎる箱。
詰めすぎの緩衝材。

開封の際、処分する際にストレスを感じた心当たりはありませんか?


それと同じです。そんなにガチガチに守らんでも商品は壊れないから(雑に扱っていいとは言ってない)。


特に仕事や業務連絡の場面では尚更不親切。
回りくどい表現をされたところで相手からしたら「どっちやねん」ってこと。
僕らは超能力者じゃありませんので。
気持ちや考えは言葉であったり文字に起こして、可視化、可聴化してくれないと真意までは伝えられないんですよ。


「手空いたらその仕事もやってくれると助かるかも」
「ギターの音はもっとこう、前に出して欲しいかも」


なんでそんな余計なところで気遣ってるんですか?
”かも”ってことは自分の都合のいい解釈していいってことですか?


よく聞く「結論から言え」というのも似たようなこと。
前置きが長いと、本当に伝えたい核が不明瞭になってしょうがない。
理由なんて後で聞くから簡潔に、端的に。




「他人に意見を委ねる表現」、これはもはやバンドにおいては仕事の放棄と言って過言ではないかなと。

異議申し立てが出来るのは、日頃から決め事に対して自分の考えを発信している人のみである。これが僕個人の考え。

そもそも自分の都合の悪い時だけ首突っ込んで、残りは我関せずな奴に発言権なんてねぇんだよ。


また今回定義した「曖昧な表現」たちは、自分の発言の責任逃れにも感じます。

”〜かも”だったり、”決めていいよ”とすることで「自分の発言に対する責任」をぼやけさせ(あるいは責任転嫁をさせ)、いつでも逃げる準備を整えている。

捻くれていますか?妄想が激しいですか?

そうかもしれませんね。


でもねぇ、僕は思うわけです。



自分の発言くらい堂々と責任持たんかい、と。

自分の考えをはっきり、回りくどいことを使わず「こう思っている」と伝える。
話し合いはその後だ。



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