ツイッターを離れてことばを模索している話
以前人と関わりたいというnoteを書いた。
そこからツイッターを極力やらなくなった話を書いてみる。
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昔のわたしはタイムライン眺めるの大好きマンだった。
ツイッターは、狭い世界で生きているわたしには刺激的で楽しい。
少し見るだけでたくさんの声が自分に流れ込んで来る。
タイムライン(わたしがフォローしているアカウントで出来ている)でよく見る話題。それに対する意見の数々。バズるツイート。それにつくリプライの傾向。有益そうに見える情報。それに対する様々な角度からの引用ツイート。
でも人といい関わりを持つために必要なことを考えた結果、(表に出す出さないは別として)自分はこう思う、と伝えられることばじゃないかと思った。
自分の意見があんまりないわたしは、意見が溢れるツイッターにすぐ影響されていいものを取り入れたがる。また意見を考えるときにも、無意識に様式に当てはめたり炎上を避けようとしてしまう。
ツイッターが悪い訳じゃなくてわたしがあまりに空っぽだったというだけ。そういう訳で自分のことばを持つために、まず一旦離れてみようと思った。
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今考えたい、発したいのは、顔の見える、もしくは名前を知っている相手ともっと関わるためのことば。
それは家族だったり、友達だったり、職場の人だったり、Zoom仲間だったり、これから参加するコミュニティで出会う人々だったりする。
直接話が出来る相手に向けて、自分も相手も気持ちよくいられるやりとり、アサーティブ(これは最近学んだ言葉)なやりとりが出来るようになりたくて。
そのためには自分の意見を持つほかにも身に付けたい術がたくさんある。
自分の考えのなかから伝えたい内容をうまく表すことばを選ぶこと。
相手が話そうとしていることを自分が話さずに待ったり、思いを馳せる余白を自分に持つこと。
意図せず相手を傷つけるようなことばや必要以上にへりくだるようなことばを使わないこと。等々…
うっかりすると手癖でやってしまいそうなコミュニケーションを改めていかないといけない。
でもこればかりは実践していくしかないと思うから、機会をなるべく作っていくつもり。
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ツイッターを見ないようにしたのは、むすめの影響もあるかもしれない。
もうすぐ1歳の彼女は、なんのメガネもフィルターもなしにこれから世界と出会っていく。
彼女とコミュニケーションを取るためにその視界を想像するとき、先入観や思い込みをなるべくない状態にしたかった。
たぶん時々見ちゃうけど、しばらく続けてみますね。
また書きます。