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映画『君たちはどう生きるか』は、わたしだけのために作られたっぽくね?

閃きに近い感覚で良い予感がしたから、『君たちはどう生きるか』をふらっと観てきた。仕事帰り、一杯のつもりで飲み屋に行くようなフランクさで席に座ったが、ムズくて、なかなか手強かったな。でも、かなり興味深かった。難解だったし、だからこそ何回も観たいと、久しぶりに思える作品だった。一人で観て良かったな~。帰りの車の中で、脳内会議を行なって、感想を箇条書きにして、ざっくり洗い出せたから。でも、友だちと行っても良かったかもしれない。みんなであーだこーだ言って、そうだよねって共感したり、それは違うよ!とか憤ったりしたかったから。

 この作品は「わたし個人のために作られた映画だ」と思わずにいられないほどの錯覚を感じさせられた。宮崎駿さんが伝えたかったのは、「あなたは《生きる》を生きるの? それとも《死ぬ》を生きるの?」ということだったのでは? そして、それは紛れもなく瀬戸際で生きてる精神病のわたし個人へのメッセージだった。『千と千尋の神隠し』しかまともに観たことがないので、的外れになるんだろうけれど、わたしのなかで宮崎駿さんはエンターテインメントの人だ。だから、今まではみんなに対して問いかけて、ある種の答えもエンディングに収めていたように感じる。だが、今作には答えがない。わたしたちひとりひとりに問いかけるスタンス。賛否両論なのもわかるが、わたしは絶対的に支持! だって生きることに答えなんてないじゃんかよ~なんて平凡なことを思いましたネ。

 こんなこと書いたら失礼だけど、宮崎駿さんが好きなことを好きなようにやらかすための作品だったんじゃないのか?なんてことも頭を過った。で、それって《わたしはライフワークである小説を、わたしの好きなように書いていいのか?》っていう最近ずっと考え悩んでいる問いの答えだと受け取ったんですよ。「あなたも好き勝手やりなさい」っていうエールだとね。これは私信でなくして何なのか。なかがわよしののために作られた映画だと断言する。だから宮崎駿さんへも私信を返信する。(ネタバレなので観てない人はここで読むのを止めることをオススメします。)

 「『君たちはどう生きるか』拝見しました。わたしにはまだまだ難しかったです。でも、ラストに、ヒミが「素敵じゃないか、眞人を産むなんて」と言うシーン、まさしく素敵すぎました。わたしには娘がいます。ヒミのような覚悟で生きられたらカッコいい、あんなふうにカッコ良さを、自分で選んで決めて、生きていきたいと感じましたね。ありがとうございました!」

 あ、パンフレットの内容が薄すぎるっていうニュースも知ってます。でもさー、特性上、そうなるでしょー。答えは観るみんなのなかにあるから、それは自分で探すべきだし、見つからなくたっていいのさ。呑気にポップコーン食べながら、観るような映画ではなかった。次は正座して観よう。それはそれで違ったラストが待っているのかもナァ。


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