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透明から永遠。


待ちに待ちすぎた!

《向井秀徳が少女だ。》
ZAZEN BOYS『永遠少女』を聴いてそう思う、聴き重ねる度にその思いは強くなるばかり。

12年も待たされた。
でも、待った甲斐があった。新曲のタイトルが『永遠少女』と来れば、『透明少女』という魔法のような曲を思い出さずにはいられない。あれから四半世紀経とうとしているが、『気づいたらオレは夏だった!!』という歌詞の鮮度は冷凍保存されたようにフレッシュ。
一方で2023年の終わりに正式に発表された『永遠少女』は手垢にまみれた言葉が使われている。サウンドも耳心地良いThis is ZAZEN STYLEである。新しさは『透明少女』に比べたら、ない。だからどうした、向井秀徳・50歳にしか産み出せない、ずぶずぶと深みのある曲、それが『永遠少女』。ZAZEN BOYSで今まで鳴らしてきた『自問自答』、『The City Dreaming』、『Sabaku』『Amayadori』などで味わえるせつなみを、さらに凝縮して歌われるのが、この曲。

あえてのバカバカしさ

近年、向井秀徳にビートたけしのようにバカバカしい言動を散見するようになった。元からユーモアある男ではあったが、最近のそれはお世辞にも腹を抱えたり、感心したりするセンスあるジョークではなかった。だから、最近、わたしは向井秀徳と距離を置いていた。
それがどういうことだろう、長野市では2012年以来の単独公演に足を運んでから再び急接近することになる。(6600円という高額のチケット代を出してまで行こうとした理由は忘れた。決別する覚悟もして会場に行った)。そのことによってわたしの向井秀徳観は一変された。生で拝見して、あえてくだらない言動を取ってるのだと、ようやく気づいた。それだけ演奏される曲に息を呑むシリアスさが含まれるようになったのだ。バランスを取るために意図的にバカなふりしている、向井秀徳という男は。カッコ良すぎるじゃないか。
長野公演でも『永遠少女』は演奏された。ライブのその生々しさに、わたしは胸を撃ち抜かれた。歌詞の全体像ははっきりしなかったが、向井秀徳が弾くリフが気持ち良すぎた。12年、アルバムを出さなかったのに、その刀は錆び付いてはいなかった。当たり前か!

綿密に感性で鳴らされる『永遠少女』

そして先日、配信リリースされて歌詞を凝視することが可能になった。聴き入るとなんていう歌詞だ。とてつもなく悲しいじゃないか。先述したように使い古され、使い倒された言葉たちではあるが、だからこそ直球で、ごまかしがなく、それでいて、二重にも三重にも意味が込められていると感じた。『暗い、暗い、暗い』は『CRY,CRY,CRY』じゃないかとか思ったり、『人間なんてそんなもんだ』というフレーズには諦めと開き直りを印象付けられたが、『だからこそ人間が好きなんだ』という人類への称賛を感じるに至ったり。
これでナンバーガールの頃のように若さ故のカッコつけをしてシリアスに構えていたら、息苦しくなって聴けなかっただろう。緊張と緩和が顕著な最近の向井秀徳である。

また恋して。

ここでは敢えて向井秀徳に焦点を当てたが、ほかの3人のメンバーやスタッフの方々あってのこの楽曲であるし、もしかしたらファンあっての『永遠少女』かもしれない。
向井秀徳はメジャーデビュー当時のように透明ではなくなったのかも。人生の酸いも甘いも知ったしっかりなおじさんかもしれないな。でも、彼が《少女》であり得るのは、やっぱり純粋な《男》だからだよなあ。矛盾しているようで、どこまでも当然だ。嘘をつかない大人の向井秀徳。反対に嘘ばかりのわたしは、はっきりと汚れたおじさんだ。

わたしは以前のように、向井秀徳という『永遠少女』に恋をした。透明も永遠も儚くて大好きだ。この恋の行方を探している。

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