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漢語「三昧」はサンスクリット「समाधि samādhi」の音声転写では無い

【要約】漢語「三昧 *sam-məys」はサンスクリット「samādhi」の音声転写ではなくガンダーラ語「samasi」あるいはその近縁方言の音声転写である。

(2023/11/13 一部加筆修正)

サンスクリットの転写という記述

漢語「三昧」がサンスクリット「समाधि samādhi」の音声転写だという記述は至る所で見られる。

新聞社の記事にもあれば、

「三昧」はサマーディというインド語の音を写したもの

【仏教】冥利、所詮、仏生会、天上天下唯我独尊、遊戯三昧 - 毎日ことばplus

悪名高い(?)インターネットサイトにもあり、

サマーディ(Samadhi)の音写である三昧(さんまい、サンスクリット語: समाधि、samādhi)

三昧 - Wikipedia

三昧は、サンスクリット語「samādhi」の音写

三昧/さんまい/ざんまい - 語源由来辞典

ツイッターでは定期的にこの記述を拡散させているアカウントが存在する。(2020年2月23日2020年10月18日2022年5月27日2023年2月14日

これは間違いである。

「三昧」という単語は、後漢代の仏僧・支婁迦讖によって翻訳された(とされる)『道行般若経』に初めて現れる(⇒CBETA)。このような初期の漢訳仏典がサンスクリットではなくプラークリット(中期インド・アーリア語)に由来することは、(研究者の間では)20世紀半ば頃からよく知られたことである。その原語は特に、カローシュティー文献によって知られるガンダーラ語に非常に近しい言語であったということも、現在ではよく知られたことである。「三昧」は漢語音韻論とガンダーラ語音韻論の研究の収束点の良い例とも言えるので、サンスクリットの音写という誤解は残念なものである。

ここではこうした研究成果については部分的にしか紹介しないが、より包括的な、あるいはより詳細的な情報は末尾に紹介する文献に当たることを推奨する。本記事は「三昧」に関するより正確な情報を周知することを目的としていることを読者は心に留めていただきたい。

「昧」の末子音とガンダーラ語の子音弱化

「三昧」では二音節目に「昧」が用いられている。「昧」は中古漢語の去声音節である。去声音節はかつての *-s で終わる音節に由来すると1950年代に提案されて以降、それは定説となっている。すなわち、「昧」は漢代には語末に *-s を伴って発音されていた。したがって、「三昧」の漢代の発音はおおよそ *sam-məys のようなものだったと言える。

一方、同じ『道行般若経』でブッダ(サンスクリット buddha 、ガンダーラ語 budha)は「佛 *but」と転写されている。原語のT音は漢語でもT音で転写されるのである。しかし「三昧」には *-t ではなく *-s で終わる「昧」が使われている。samādhi の dh 音の転写として *s 音の使用は不適切であり、「三昧」が samādhi の音声転写だとは考えられないだろう。

古インド・アーリア語の母音に挟まれた閉鎖音はガンダーラ語では弱化して摩擦音(ただし無気鈍音は接近音)になる。したがって、古インド・アーリア語 samādhi はガンダーラ語では samasi となる。これはカローシュティー文献から確認されている(なお、samāsi ではなく samasi と表記するのはカローシュティー文字が母音長を表記しないため)。一方、その他の中期インド諸語では依然として閉鎖音が維持される(例えばパーリ語 samādhi)。

すなわち、*-s を持つ「昧」の使用はまさにガンダーラ語の子音弱化によって生まれた s 音を反映しているのである。

補足1

「三昧」はサンスクリット samādhi の三音節目を捨てて「samā」部分だけを転写したわけでは無い。それならば平声音節の「魔 *ma」などの文字を使うことができた(「魔羅」のように)。去声音節「昧 *məys」の使用は意図的である。

ガンダーラ語 samasi の第二音節部分の転写に、「魔 *ma」に対応する去声音節 *mas が用いられなかったのは、主母音の直後の語末 *-s は異なる音になっており、例えば上古漢語の *mas という音節は漢代には既に *mah の類の音になっていた(つまり翻訳当時の漢語には *mas という読みの文字は無くその音に一番近いのは *məys だった)からかもしれない。

(なお、a ~ ə の母音の違い、すなわちガンダーラ語 sam- が漢語 *səm ではなく *sɑm で転写されたのに対して -mas(i) が漢語 *mays ではなく *məys で転写されたことを気にする必要はない。当時の漢語に *səm や *mays という読みを持つ一般的な文字は存在しなかったので、それは事実上不可能だったのであろう。いずれにせよこのことは原語の状況に影響する問題ではない。)

補足2

『道行般若経』に見られる「首陀衛 *śu-da-weys」は、サンスクリット śuddhāvāsa に対応する。この単語のガンダーラ語形の実例は無いようだが、あれば †śudhavasa だっただろう。原語の vas が *-s を持つ「衛 *weys」で転写されている。この例ではサンスクリットでも vas 音を持つので、漢語 *-s は原語の s の転写に違いないことがわかる。支婁迦讖と同時代の仏僧である安世高や康孟詳が翻訳した経典でも、vas を「衛」で転写した例が多く存在する。

安世高と康孟詳が用いた「波羅奈 *pa-la-nays」はガンダーラ語 Baranasi の転写で、原語 nas が漢語 *nays で転写されている。サンスクリットの語形も s の音を含むとはいえ、既に説明したことからわかるように「波羅奈」自体は

(梵)Bārāṇasīの音写

波羅奈国(はらなこく)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書

では無い。

(こうした「衛」や「奈」の例でも、主母音の直後に *-s が続く音節ではなく *-ys で終わる音節が用いられていることは興味深い。)

結論

漢語「三昧」はサンスクリット「समाधि samādhi」の音声転写では無い

ガンダーラ語の音声転写である、とも言い切れない。なぜなら、狭義に言えばガンダーラ語とはカローシュティー文献に用いられている言語のことであり、後漢代の漢訳仏典が厳密にそれと同じ言語から翻訳されたものかどうかは依然としてわからないからである。既に述べたように、漢訳仏典の原語は(現在知られてる言語のうちでは)ガンダーラ語に非常に近しいものだったという言い方が限度であろう。すなわち、漢語「三昧」はガンダーラ語「samasi」あるいはその近縁方言の音声転写である

さらに深く知るための資料

s 音以外の漢語とガンダーラ語の比較、ここで紹介しなかった例外を含む豊富なデータは、Coblin (1983) “A Handbook of Eastern Han Sound Glosses” を参照。ただし40年前の著作ということで、特にガンダーラ語研究は1990年代以降に大きく進展したため、やや時代遅れである。近年のガンダーラ語とカローシュティー文献の包括的な調査は Baums (2009) “A Gāndhārī Commentary on Early Buddhist Verses” を参照。


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